2018年04月21日

カルボレンといいます! 〜その794〜

ああ、まとめるということは難しいものですね。まとめる人によってその見やすさは大きく変わります。一つの物語だとしても、どの人がどのようにまとめるかによって印象が大きく変わります。すごく哀しい物語だというのに面白いものになったり、良い話が悪い話にまとめられたり自由に印象を変えることができます。綺麗にまとめる人とまとめているうちに訳が分からなくなる人、何が違うのでしょうか。
それはきっと一つの軸があるかどうかに決まるのではないでしょうか。どんな物語にもいくつかの軸があることでしょう。そのうちの一つを正確に読み取り、その部分をうまくつなげることでまとめになるのかもしれません。
しかし豪華に装飾されたものからその骨格を取り出すということは技術が必要なのです。何度も推敲を重ね、たくさんの作業をすることによって技術を高めることでまとめる力というものが必要になるのかもしれません。要領の良い人は簡単に出来てしまう作業だと思いますが、できない人にはいつまでもできないことでしょう。
まとめるというのはきっと多くの努力が必要になるのかもしれません。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:13| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月20日

カルボレンといいます! 〜その793〜

人には我慢が必要ですが、どこまで我慢することができるのでしょうか。
人にとって我慢はしなければならないものです。しかしどこまでのことを我慢すればいいのか、ということを教えてくれる人はいないでしょう。自分の尺度で我慢の限界は決められているのです。我慢することが得意な人が我慢できることは、我慢できない人にとっては信じられないものなのかもしれません。なのでその基準に引き上げることはできませんし、引き下げることもできない。自分がどこまで我慢できるのか、ということを知らなければ分からないことなのでしょう。
我慢にもさまざまな種類があることは知られています、我慢にも様々な種類があるのでしょう。我慢できるものと我慢できないものがある、それは確かなのです。それは人それぞれに好みがあるのと同じようなことなのでしょう。
なので私は思います。我慢しきれないと思ったら誰か、不特定多数に相談をすればいいのです。これは我慢するべきことなのか、我慢しなくて良いことなのかを考えてもらえばいいのです。他人は冷静に、客観的に判断して、決めてくれることでしょう。
そんな人がいない私は誰に相談すればいいのでしょうね、そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年04月19日

カルボレンといいます! 〜その792〜

夢で幾度も見た光景を実際に自分の眼で見ることができたらどれだけ面白いことでしょうか。朝起きたらその場所に居た。なんてことがあったら面白いと思います。自分が眠りに就いた部屋の夢を見て、目覚めたら同じ場所に居るという例外を除いてですが。
しかし面白くはありますが夢を見る場所が普通に立つことが出来る場所とは限りません。空高く飛んでいる夢を見るときは目覚めた瞬間に墜ちますし、海底深くに沈んでいる夢を見たら目覚めた瞬間に溺れます。夢が良い夢である可能性は悪い夢を見る可能性と等しいものであり、決して夢で見た光景=行ってみたい場所、もしくは居心地が良い場所とは限らないのですから。
見ている夢に入り込み、そこを現実にしたいと思ったとき、人は夢に囚われるのでしょうか。起きたくない、目覚めてしまったら終わってしまう。という気持ちが生まれたときには夢は切り替わり違う夢が始まっていることでしょう。
現実が夢であったとしても気がつかないような夢を何度も見てきました。空を飛んだことはありませんし海底に沈んだこともありません。夢で幾度も見た光景は結局いつもと変わらない普段の光景だったのです。
結局夢を実際に見たとしても夢ほどの美しさがないのかもしれないと思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年04月18日

カルボレンといいます! 〜その791〜

色んな人のことを見ていることが趣味なのですが、その人の一生を見続けることは叶いません。その瞬間瞬間を見ただけではその人のことを完全に知ることはできません。その人のプライベートな部分とパブリックな部分、年を重ねるごとに変化していく性格と人と人との繋がり。すべてを知らなければ意味がないのですから。
一生は尊いものです。自分の一生は何にもないように見えて、日々の繋がりであるということが分かるように、他人にも毎日の積み重なりの結果、生まれたものです。そう考えるとこの世界はいくつもの世界が存在し、重なり合わない部分を知りたいと思うのも人の心境ではないでしょうか。
人々が積み重ねた毎日の記録、それは自分にしか分かりません。しかし話に聞くことが出来るのです。どのような日々を送ってきたのかということを。話を聞いて成長を見守るというと偉そうに聞こえるかもしれませんが、人々は日々変わっているのです。その変化が大きいとしても小さいとしても、微笑ましいものでもつらいものでも、どんなものであったとしても、私自身の刺激となり得るものなのではないでしょうか。
だからこそ今日も私は探しているのかもしれません。そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年04月17日

カルボレンといいます! 〜その790〜

印象とは大切なのです。一つひとつの印象を積み重ねてその実像ができるのですから。
そのなかでも初めの印象は一番大切なのでしょう。それによって基盤ができるのですから。基盤は簡単に固まってしまい、簡単に変えることはできないのです。それを元にして印象を積み重ねていくのだとしたら、その対極が本当の実像だとしても、そこまで辿り着くのは難しいことでしょう。初めの印象は注意しなければならないのです。
だからこそ、誰も知らないものを作り出すことは大切なことです。それが良いものであればあるほどそれが基となるのですから。しかしその後が続かなければ実像が衰え見向きもされなくなってしまう。初めの印象が普通なら、傷は少ないのでしょうが、それが良いかどうかは判断しかねます。
印象を操作することは誰にでもできます。その印象に残ることを口に出せばいいのですから。しかしそれが実像から離れれば離れるほど伝わりにくく、忘れ去られてしまう。だからといって、伝わりやすく覚えられているものが実像とは限らないというのはなんとも面白く興味深いものです。
印象と実像が重なることは永遠にないのかもしれない、そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:41| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする