2016年03月31日

カルボレンといいます! 〜その61〜

さて、今月は今日で終わりです。今年度も終わりです。色んな所で来年度への準備と今年度の後始末をしたことでしょう。なごり惜しいことですが一日一日はどんどんと過ぎていく。一年もあっという間であり、自分もいつの間にか歳を取っているというのは怖いものですね。気がついたらもうこんな歳になってしまった。と感じることなのでしょうね。時間というのは気にしていないといけませんね。そうしていないと何も出来ていない自分。何もしていない自分というのが恥ずかしくなるのでしょうね。
そうならないように、未来の自分が過去の自分を見て恥ずかしくならないように行動をしなければいけませんね。なので来年度の目標は自分自身の時間の流れをコントロールすることにしようかな。ということを思っています。
自分の目標であれば何回でも変えていいし、増やしてもいいのだと思います。新年のときも目標をたて、新年度も目標をたてる。目標が思いついた時点で目標を増やす。その繰り返しをすることによって自分をがんじがらめにすることが私に必要なのかもしれないと思った、そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年03月30日

カルボレンといいます! 〜その60〜

だいぶ暖かくなりましたね、皆さんの中には新しい生活が始まった人もいるのではないでしょうか?
今日と明日の二日間で3月が終わり、始まりの4月が始まるわけですが、生活が一転する人はどのくらいいるのでしょうかね。ある程度になってくると変化なんてなく、新しい出会いと別れがあるだけの人が増えてくるようですが、生活自体が大きく変わるという人も少なくありません。だからこそ4月というのは大切になるのでしょうね。今年度一年がどんな生活になるのか。ということを決める大切な月となることでしょう。そう考えると4月くらいは頑張ろうなんてことを思うわけですが、そんなことを考えながら4月を生活できる人は余裕がある人。あまり変化がない生活を送っている人が感じることの出来るような、そんなことなのかもしれません。
新しい生活が始まったときは、その生活に慣れるための行動をひたすらするわけですから疲れてしまうこともあるでしょうが、それを乗り切ることによって新しい生活がより良くなることでしょう。慣れるまでの辛抱と頑張ってみてくださいね。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年03月29日

カルボレンといいます! 〜その59〜

料理をすることがあります。料理はいいですね。その日の気分で味がだいぶ変わるのですから。とはいっても料理を毎日しているような人は味の変化は少なくなっていきます。だからこそ少しの影響で変化してしまうようなことであったら毎日のように繰り返すことによって品質を保つことも必要になるのでしょう。小説なども同じことが言えて、毎日書いているうちに同じ水準のもの、同じ品質のものを書くことが出来る様になっていき、その一部分がまるで高価な部位のような存在として現れるようになっていく。そんな稀が生まれる為には基準が少しでも高く、品質は維持しなければいけないのかもしれません。継続をしていくことが改めて必要だと思いました。
自分の文章の書き方というものは描いていくうちに癖のようなものが生まれ、それが個性として文章の中に埋め込まれるのでしょう。毎日続けることによって手に入れることが出来るものは自分自身の個性という武器。その武器をどう使うか、ということを考えることが出来るのはその個性を知り、それを自分のものにしたときなのかもしれませんね。
それは文章だけでなくすべてのことに対して適応することが出来る。しかしこなすことは難しい。世界はとても単純で、とても難しいのですね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年03月28日

カルボレンといいます! 〜その58〜

アニメだから、漫画だから出来ること。表現出来るものということはたくさんありますが、実際にそれを現実でもやってみようと考えることはとても楽しいことなのかもしれません。人が想像で描くことが出来ることは工夫次第によって実現させることが出来る。まるでとんちのように思えるような仕掛けがあったとしても、それでも見た目ではまるで本当に起こったかのように錯覚することが出来るというのならば楽しいと思うのです。
人は工夫次第でどんなことでもすることが出来る。そうは思いませんか。人は空が飛べますし地面に潜ることが出来る。水の中で息をすることが出来るようになるし異次元にだって行くことが出来る。少なくとも自分が思い描くことが出来る全ての事柄は実現させることができ、そんな夢を持っている人はそれを目指してより濃く現実にしていく。そんな試行を繰り返していくことが私には必要だったのかもしれませんね。気が付くのが遅すぎたのかもしれません。しかしそんなことさえも無視できるほどにこの世界は柔軟に色んなことを起こすことが出来る。ならば色んなことを今からでもしてみたいと、そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年03月27日

カルボレンといいます! 〜その57〜

人の感情はなんとなく目を見ていれば分かる。という話を聞きます。目の向きによって何を考えているのか分かるということですが、目だけでなく行動を見ることで、その人の一つ一つの動作を見ていればなんとなく理解出来ることが多い気がします。見ていて分かりやすい人の行動を見て、自分は気を付けようとしているうちに分かりにくい人間になることは可能なのでしょうか。しかし生まれてから自然に行っていた動作を修正することはなかなか難しく、顔が赤くなったり鼻が動いたり、そんな感情による身体の変化をなくそうと努力しても簡単に消すことができるものではなく、逆に意識しすぎて悪化してしまうようなことだってありえるのですから不自然です。人のくせというのはくせがあってこそ自然に見えるというものだと思っているので無理に直そうとはせずに自分らしく感情を表していけばいいのかもしれないとそんなことを思うのです。
分かりやすい人というのは分かりにくい人よりも良いことがありますから。分かりやすい振りをしている本心がわからない人が生きていて得をしているような、そんな気がするカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年03月26日

カルボレンといいます! 〜その56〜

人の身体というのは不思議なもので、経験したことの無い感覚を感じたとき、それを何か別の体験で経験した感覚で補って表現しようとするのです。常に満腹の人が空腹を感じたとき、腹痛と感じてしまうように。逆に常に空腹に感じている人は満腹になったときに腹痛に感じてしまうことでしょう。そんな感じで人の身体は慣れていない感覚を知っている感覚で補って生きているのでしょう。それが普通になるまでは。
そして、さらにその感覚は勘違いさせることができ、初めて経験したときの感覚が快感であったのならば、それがどんなに辛いことであったとしても求めてしまう。それによって依存してしまうのでしょう。とりあえず人は今がよければ未来はどうでもいい。ということなのかもしれませんね。そんなことを思うのです。
私はすべてに依存することが出来る人間ですからね。目の前にあることすべてに依存して、依存したすべてしか見えなくなる。そんな生き方をしているうちが人は楽しいのかもしれないと、そんなことを思う今日この頃のカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年03月25日

カルボレンといいます! 〜その55〜

人が自分に出来無いことを見たときにすごいと思いながらやってみたいと思うのか、それとも嫉妬をするのか。どちらにせよすごいと思っているからこそ何かを思うのでしょう。自分に出来無いことをしてみたいという欲求は常にあるのでしょう。その欲求を満たしたいからこそやってみたいと思い、かつ嫉妬するのでしょう。そしてその力を原動力にして人は成長するのかもしれませんね。それが嫌で情報を遮断したいと、そう思うのです。そうすれば嫉妬も変化もなくて済むのですからね。今の自分であり続けたいと思っているのならば情報を遮断して、同じことを繰り返していればいいのですから。
自分に出来無いことが多すぎるからこそ、人はこの世界に絶望するのかもしれません。出来るかどうかを試す前にやることを諦める。諦めて自分の出来ることだけをすることによって自我を保つからこそ、人は生きることができるのかもしれません。そうして人は人のことを馬鹿にするのでしょうね。自分が出来ることは出来て当然だと決めつけた自分だけの世界を作り出す。その結果として世界はどこまでも個人戦になっていく。客観的に自分を見ることが出来無ければいけないのかもしれませんね。そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2016年03月24日

カルボレンといいます! 〜その54〜

どこまでも上手になりたいという向上心を持ち続けることが人の生きる糧になるということはわかっていますが、無難であり続けたいこともある。人は自分の欲しいものを手に入れながら生きていこうとして欲しいものを手放していく。その繰り返しによって惰性を覚え、いつの間にか無難な生き方を選択しているのかもしれませんね。そんなことを思うのです。
人の持っている向上心が様々な方向に進み、いつの間にか逆の方向にねじれていくことなんて多々あるのです。木が太陽に向かって伸びていく間にねじれていくような、そんな歪んだものがたまらなく愛おしいと感じてしまうのは、自分自身と似ているからなのかもしれませんね。人は自分と同じものに惹かれ、それに対しての憎悪を持ったりもするのでしょう。その力が自分自身を高める為の行動となり、それが向上心となるのでしょうかね。不思議なものです。
選択肢を探す力はすでに持っているのでしょう。気が付かないうちに自分自身の考えに上書きされた自分自身の力を使って、人は自分のやりやすいような生き方をして暮らしていくのが人間だというのならば、きっと私は誰よりも人間らしい人間なのでしょうね。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年03月23日

カルボレンといいます! 〜その53〜

人にとって不幸は立て続けに起こるものなのかもしれません。逆に幸福も連続してやってくる。これは何かきっかけがあって、そのきっかけが次に起こる事象を評価するものになるからこそ立て続けに起こったように感じるのかもしれませんね。
幸福の後に軽い不幸があったとしても、それは帳尻合わせと思うことができ、それほど気にしないのかもしれません。しかし幸福の後に幸福があれば、それはあまりないからこそ人は耐性を持たず違和感を持つからこそ記憶に残るのかもしれません。そうして幸福は立て続けに起こり、不幸も立て続けに起こると錯覚するのかもしれません。まぁ不幸の方が立て続けに起こる気がしますけどね。
不幸の場合は次を望まないわけですから立て続けに不幸を感じたとき、より多くの不幸を身に受けたと感じるのかもしれません。幸せよりも不幸のほうが覚えていることが出来るのかもしれません。そんなことを毎回のように思うわけです。最近は常にそんなことを考えてしまうのですが、実際は同じくらいでつじつまが合っているのでしょう。気が付かないうちに…
だんだんと同じことを話したくなるのは私の意識が固まってきているからでしょうか。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年03月22日

カルボレンといいます! 〜その52〜

水の流れる音を常に聞いていると音がしているのが当然になって気にならなくなる。しかし音がしない場所に行った後でもう一度その場所に行くとその音が気になる。人の慣れるというのは一つに対してのみ働き、二つ、三つと環境に慣れることは難しいのかもしれません。どんな状況でも柔軟に対応するということが必要なこの世の中で、普段変わらないことの中で生じたたった一つの異常によって失敗をすることだってあるのですからね。
私の部屋の中では常に水の流れる音がしているのです。その音によっていらいらしていました。毎日毎日、常に同じ音を聞き続けるというのは嫌なものです。しかしそんな嫌なものもいつの間にか聞こえなくなる。そんな体験を何回もしているからこそ、例えばいつも騒々しい音がしている場所に住んでいるとしても、毎日聞いているうちに慣れて聞こえなくなるのかもしれません。たとえ近くに高速道路があったとしても滝つぼの近くに家があったとしてもその音はいつの間にか聞こえなくなっている。それはイヤホンで音楽を聞いていて、他のことに集中すると音楽が聞こえなくなっていく。ということと似ているのかもしれませんね。
そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:35| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする