2016年04月30日

カルボレンといいます! 〜その88〜

思い出す記憶というものがあることは良いことです。それを元にして色んなことをすることができるのですから。記憶は良いこと、悪いこと、様々ですが、その様々な記憶を思い出すたびに懐かしく思いながら参考にすることが出来るのです。記憶は頭の中に形を作り、留まり続けるもの。消えていくものがあります。それは自分にとって必要だ。と思うようなものだから残るわけではなく、自分に興味があることなのか。ないものなのか。ということが影響します。たとえ覚えておかなければいけないことだったとしても、自分にとって興味のないものだったとしたら忘れてしまう。そんなものなのです。
だからこそ、自分の興味があることだけを覚えている必要があることをし続ければ忘れることはないのでしょう。どんなに複雑なことであったとしても自分の興味が物事を勝手に関連付けて、連鎖的にすべてを思い出すことができ、ふとした瞬間に思い出すことも可能でしょう。
しかし、必要ないくだらないような、忘れたいような記憶でさえも残ってしまうのは、自分がそれに対して何か特別な感情を持っているからなのでしょう。なんでそんなことを覚えているのか、考える必要もありそうです。そんなカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2016年04月29日

カルボレンといいます! 〜その87〜

さて、珍しく一日中外にいたので頭がくらくらしているカルボレンです。私は強い日差しの下では生きていくことが難しいのです。それほどに日差しに弱い。弱点とも言えるものなのです。日差しがなければいいのに。と思うのですが、日差しがないと何も育ってはくれません。人は滅入ってしまいますし、植物は枯れてしまうでしょう。日差しは必要なもので切り離せないものだというのに、自分はそれが嫌だ。という気持ちになってしまう。どうしても避けることの出来無いものというのは意地になって避けたいと思ってしまう。そんなものなのかもしれませんね。
絶対に確かなこと。変わらないものを見つけたとき、人はそれを疑うのでしょう。疑って、それが不確かなものであることを証明し、自分自身が不確かでないことを正当化しようとするのかもしれません。
自分自身が完全ではないからこそ、完璧であるものは存在して欲しくない。と思うものでしょう。完璧に見えるものは欠点を探し、こじつけてでもダメな点を探し出して納得する。それが人のさがなのかもしれませんね。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年04月28日

カルボレンといいます! 〜その86〜

変わり者というのはどこにでもいるものです。どんな場所であっても人が集まれば違う意見を持った人間が現れるものです。同じ意見を持っている人間なんていない。だからこそ、例え同じ思想を持って集まった集団であったとしても、必ず違いは生まれ、大きな違いがあるものは変わり者、異質なものとして扱われることでしょう。
その異質な存在によって、一つの集団であっても内部から瓦解することもあります。また、そこから新しい発見をすることもあります。変わり者の存在は一つの変化をする為のきっかけであり、必要なものなのでしょう。たとえ変わり者によってその集団がなくなってしまったとしても、それは変化の結果であり、仕方がないことだと諦めるしかない世界なのですから。
考え方の違いから、人の考えはより正しいと思われる方に流れるとするならば、より正しいと思われる考えが現れた時点で、その考えにすべてを奪われることになる。その考えが変わり者と言われる人の考えであったのならば、今までの考えが変わり者になってしまう。
だとするならば変わり者から見れば周りは変わり者であり、なにが変わり者なのか分からなくなってしまいますね。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年04月27日

カルボレンといいます! 〜その85〜

この世界というものは似ているものがたくさんありますね。世界に存在するすべてのものは必ずどこかでつながっているのかもしれません。連想ゲームを続けていくと、どんどん初めのものと変わっていくように…
だからこそ、身近にあるものから連想していって、最終的に目標にしたものに出来る様に言葉を選ぶ練習をすると、この世界はつながっているのだと気が付くことが出来るのかもしれません。似ているという定義が大き過ぎるとどうにもなりませんけどね。この世界にあるものはすべて物質なのですから、すべてが同じものであるといっても間違いではなく、すべてが似ていて実は違うものといっても間違いではないのです。まったく同じものなんて、この世界には存在しないのかもしれません。突き詰めていけば必ず違うところが出てくるのです。
だからこそ、逆を言えば物事は簡略化していくことによってすべては同じになる。その中間にあるものが似ているという感覚であり、同じであって違うものが類似になるのでしょうね。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年04月26日

カルボレンといいます! 〜その84〜

こんにちは、自分の趣味にまっしぐらのカルボレンこと私です。趣味というものは多ければ多いほど時間を要し、その為に時間を費やせば費やす程に自分自身の持ち味になってくれるものになると信じています。それがどんなものであったとしても。
趣味になるようなものがどんなものなのか。それは自分の興味があるものであり、自分が興味のあるものは意味が分からないようなことであってもいつの間にか熱中していることがある。そんな風に熱中出来ることがあることで何でも出来るような気さえしてくる。そう信じても許されますか?…
そうしていつの間にか歳をとっていく。周りは変化していき、自分も変化していく。その変化を趣味の結果とみるのか生きる事によって得たものだと考えるのか。良く分かりませんね。すべてが合わさって今の自分があり、趣味だけでは今の自分は居ない。その少しの要素として趣味があるのだとしたら私はその趣味によって自分が構成されていると思いたい。趣味に生きて趣味に死ぬのも面白いのかもしれないと思った、そんな私なのでした(^▽^)/
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2016年04月25日

カルボレンといいます! 〜その83〜

久しぶりに自分らしい一日を送ることが出来たと感じたカルボレンです。やっぱり自分のしたいことが出来ると一日は楽しく感じるものなのでしょう。自分のしたいことの為に一日を犠牲にした、ということも出来るのかもしれませんけどね。でも自分のしたいことを一日中する日があってもいいはずなのです。それでも足りないくらいやりたいことというのはあるんですけどね。
自分のしたいことをまとめておく必要があるのかもしれません。そうすればその時間にまとめて、かつ効率的に自分がしたいことを出来るのかもしれません。手帳にいっぱいのやりたいことを書き記して真っ黒になったページを見て、どれからやろうか。ということを考えるのも楽しいですからね。
しかしやりたいことがたくさんあるということは、まだ迷っているということなのかもしれません。自分が目指していることが見つかったのならば、きっとしたいことというのは減っていく。そう思うのです。
やりたいことを選ぶ力。優先順位を決めて、どんどんと後回しにされるもの。それが自分の必要としないもの。それに気がつくことが出来たらきっともっと良くなれる。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年04月24日

カルボレンといいます! 〜その82〜

美しいの基準は人によって違うというのに究極の美しさを求めるというのは難しいことなのです。自分にとって美しいものを追い求めることによって他人にとって醜いものになったとしたら、それは美しくないものなのか。そんなことはないでしょう。自分が美しいと思っていればそれは美しいもの。たとえ誰が見ても醜いと感じるものであったとしても、自分が美しいと思っていれば美しい。そんなものなのでしょうね。
自分の好きなものを追い求める。それが一つの自分の世界なのでしょう。自分の世界を追求し続けること。それが必要になるのかもしれません。それの基準が美しさであるとするのならば、自分の追求したいようにすればいいのでしょうからね。美しさを求める。ただそれだけの為に行動を出来たらそれでいい。私の人生は自分の美しさの追求の為に生きることが出来るならばそれでいい。そんなことを思ってしまうのです。
でもそれが美しいと思われるとは限らない。自分のことを追求するということは個を極めるということ。それでも続けることが出来たのならば、きっといいものになることでしょう。それを目指して私は今日も生きていこうと思います。そんなことを思う私なのでした(´っ・ω・)っ
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2016年04月23日

カルボレンといいます! 〜その81〜

いつもとは違う時間にこんにちは。こんな時間に投稿するのは珍しいことですが、なにかイベントがあるごとにこんなことになったりもするのです。色んなことがあるからこそたのしいのかもしれませんね。
だからといって、毎日イベントごとがあったとしたら、きっと疲れてしまうことでしょう。疲れない程度に休息を挟みながらイベントがあるといいのかもしれませんね。そうすればいつもとは違う状況を楽しむことが出来る。そう思うのです。
だからこそ、一日にイベントを密集させて、その一日の為に命を賭けるというのもいいのかもしれませんね。ひたすらその日の為に準備をして、その日をこなす為に考え続ける。そして実行して次の日のことは考えないような、そんな生き方。私は好きなのです。
今を生きる。その生きる為の力がイベントであり、そのイベントを大切にしたい。そう考えているからこそ私にとって日々は準備し続ける為の行動を続けている。そんな人間なのかもしれませんね。どんなイベントをして、どんなふうに準備をするのか。それを考えるだけでも十分に楽しい。そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年04月22日

カルボレンといいます! 〜その80〜

人の幸せを素直に喜べるということは自分自身に余裕があるということなのかもしれません。他人の幸せを妬むのは自分も幸せが欲しいということなのかもしれません。
人が幸せなときは周りを見る余裕があるのかもしれません。自分が冷静でいられると、そう感じることが出来るときは、そこら辺にいる人よりも幸せなのです。その幸せに慣れてしまって気がついていないだけのことで。
何もないという幸せ、何かあるという幸せ。なんの変哲もないような幸せの積み重ねで生きているのかもしれません。幸せとは何なのか、そんなこと分かりませんけどね。
考え方によって変わるのですから。すべてが幸せで、すべてを楽しむことが出来るのならどれだけいいか。そう考えたときに幸せは、すでに自分の中にあったのだと、そう思えるだけで気持ちが楽になるのかもしれません。そうして自分の中に生まれた余裕を他人に使えることが出来たらいいのにな。とそう思うのです。
人のことを見ることが出来る人間でありたい。自分のことで精一杯でいたくない。そう思ってしまうのです。それがどんな役に立つのか。なんてことは分からないのですけどね。他人の為でなく自分がしたいから。なのかもしれませんね。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年04月21日

カルボレンといいます! 〜その79〜

人は何かに特化することが出来るのでしょうか。
それは一つのことに対してどれだけ集中できるのか?ということになるのかもしれません。一つのことに打ち込むことが出来るだけで、それはすごい成果を出すことの出来る可能性を引き出すものとなる。結局は可能性でしかなく、確実ではないとしても絶対に無理ではなくきっかけを得る為に必要な事柄を見つける確率を上げるために続ける努力が出来るのならば、人はどんなことでも極めることが出来る。
しかし、そのきっかけに気がつく人は簡単に気がつくことが出来る。どんなに低い確率であっても一回で引くことが出来る様に運の良い人、察しが良い人は次々と上に進んでいくことでしょう。それでも何かを極めたいと思う人はそんなことを関係なしにただひたすら同じことを、視点を変えながら続けていくことで新しい発見をし、その発見を基にして次のステージに進む為の条件を満たしていくことでしょう。
そのステップをいくつこなすことで頂点に辿り着けるか。なんてことは分からないし人によって違うかもしれないけどそんなことは関係なく、自分が楽しんで、やりたいから極める。ということが理想なのかもしれませんね。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:42| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする