2016年06月30日

カルボレンといいます! 〜その146〜

食事をしながら考え事をしていると、食べ物が喉に詰まったり気管のほうに入ってしまうのは仕方がないのかもしれませんが歳をとったような、そんな気がしますね。食事中に咽るというのは、安心しきっていた自分自身の幸せな食事を邪魔されたような気がしませんか。自分のせいとは言え、なんだか悲しい気分になってしまうのは人にとって食事の時間は大切なものだからなのかもしれませんね。食事をしているときに幸せを感じる人もたくさんいるのです。だというのにその食事を邪魔されるというのは耐えがたいものなのかもしれません。
咽ないためにもしっかりと食事のときには食事に集中したほうがいいのかもしれません。口の中に入っていく食べ物を意識していれば詰めるという機会を減らすことが出来るのかもしれませんからね。食べた後でも、十分に考える時間というのはあるのでしょうからね。食べてからゆっくりと考え事をする。そうすることで逆に時間の有効利用が出来るのかもしれません。
遠回りだったり、時間がかかると思っていたことが実は近道だということもあるのです。そんなことを食事の中で思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年06月29日

カルボレンといいます! 〜その145〜

人のことを勝手に想像して、その想像だけで話すというのはいけないことですね。確信がないことを広げてしまうことで迷惑する人はたくさんいるのだと思います。その影響をもろに受けて嫌な思いをした人もいるのかもしれません。そんなときは思うのです。自分はそんなことをしない。しかし実際にはしているのが人間であり、人ほど他の人の生活を気にし、その人の話をネタにして面白おかしく話すことによって楽しむのでしょうね。それが嫌で仕方がないのです。人に後ろ指をさされることほど気になることはありませんからね。後ろ指をさされないように必死に生きながら他のダメな人に対して裏でこそこそと悪口をいう人はたくさんいるのです。自分がされたくないのであれば、まずは自分が他人のあることないことを面白おかしくいうことを辞めないといけないと思うのです。そうしなければ巡り巡って自分のところにそれが返ってくるのだと、そんなことを思うのです。
人に話すことはなく、思ったことは自分の中に潜めておくという奥ゆかしさが日本人らしいのかもしれないと思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2016年06月28日

カルボレンといいます! 〜その144〜

人は無理をするとその分だけ代償を払うのです。
普段出さないような声を出す練習をしただけで喉が裂ける。普段しないような筋力トレーニングをすると身体の節々を痛めるように慣れないことをすると失敗したり後悔したりすることがあるのです。しかし慣れていないからといって遠ざけているといつまでも出来るようにはならないのです。やはり少しずつでもやることによって体に馴染ませていく必要があるのでしょう、毒を毎日少しずつ飲むことによって慣れていくようなことをするのでしょう。ただそれは体の中で分解することの出来る毒であって、蓄積される毒では意味がないのですけどね。毒はなんとなく分解できるできないが分かるからいいのですが、普段やらないことのできるできないは分からないので困ったものですね。
そうはいってもやりたいことを練習するわけですからね。その結果としてダメだったら諦めがつきますし、出来たら出来たで嬉しいですからね。そんなものなのかもしれません。そんなことを思う喉を痛めて傷めているカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2016年06月27日

カルボレンといいます! 〜その143〜

気がついたら朝だった。という言葉と、気がついたら夜だった。という言葉で印象が真逆な感じがしますね。朝だったというと夜に作業をしているうちにいつの間にか寝てしまっていつの間にか朝になっていた。という感じがしますが、夜だったという話では、まるで昼間に遊んでいたような、いつの間にか夜になってしまっていた。というような印象を受けるのです。それはなぜなのでしょうか。
その一つとして朝だった。というのは自分の経験上、夜に作業が多いことが原因なのかもしれません。よく机に突っ伏して寝ていたことがあるので朝だった。という言葉には努力の結果なのかな。ということを考えてしまうのです。
夜だった。というのも自分の経験で、休みの日の昼間に何もしないでぼんやりとしているうちにいつの間にか日中が終わり夜になっていた。ということがあったので、夜だった。というのはサボった結果だと思えてしまうのです。
そんな風に言葉というのは自分の経験によって意味合いが変化していくのです。そうして日本語に新しい雰囲気が加わっていくのだと思った、カルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年06月26日

カルボレンといいます! 〜その142〜

虫が多い季節になりましたね、いつの間にか刺されたら目立つ場所を蚊に刺されて、少し寂しい気分になりました。このことによって蚊の繁栄に少しだけでも貢献したと思うと、この世界にある水たまりのすべてを消してしまいたいほどに嬉しいことですね。血を吸うのはメスの蚊だけということなので男は蚊に血を吸われたらモテモテだというべきなのでしょうか。そんなことは知りませんが蚊を避けるにはどうすればいいのか。ということを考えたとき、自分自身が防虫の形体を取ればいい。自分の体液が虫を避ける性質になればいいのかもしれませんが、それは生きていくのに適していない体質になってしまうかもしれませんね。蚊を避けることをとるか、生きることをとるか…やっぱり共存を考えたほうがいいのかもしれませんがどうなのでしょうか。蚊と共存する。虫と共存する。虫も考えがあって行動していて、人も考えがあって行動している。似たものだからこそ共存するべきなのかもしれませんね。虫も人もお互いに食べて暮らしている。人も虫の体液だけを啜って生きることができたらいいな、と思った人の血を啜るカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年06月25日

カルボレンといいます! 〜その141〜

そろそろ熱中症になりやすくなる時期ですね、しっかりと水分を取っていますか?
私は夏でも冬でもたくさんの水分を取っているのでこの時期の水分の補給量は異常レベルなのですよね。やっぱり普段から多いと、必要になったときには普通よりも必要にあるのかもしれませんね。
普通では満足することが出来無い。慣れてしまったら普通の量では足りなくなるのです。一度膨らんでしまったら元に戻ることの無い物体のように、容器の違いによって片方ではいっぱいいっぱい。もう片方では半分も入っていないように見えるように私にとっての水の許容量が大きくかつ、普通である為に過剰分が出てくるからこそ、水分は取らなければならないということになってしまうのでしょう。そうしなければ体調にその結果が現れる。人には水以外に出もそんなことがあるのかもしれません。
どんな物に対しても人は中毒になることがあり、足りなければ欠乏症状が現れる。ほどほどが一番なのかもしれませんが、そのほどほどが分からなければ人はどちらかに偏り続けるのかもしれませんね。それを防ぐために人は人と会話するのでしょう。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年06月24日

カルボレンといいます! 〜その140〜

興味があることがたくさんあるというのは大変なことですね。好きなことを調べているだけで時間が終わってしまうのです。時間が有限であるからこそ感じることが出来る悩みといったところでしょうか。時間は有限であるからこそすべてを知ろうとすることは大変であり、興味を持つ、持たないによって人は時間を有効に使おうとしているのかもしれませんね。
だからこそ興味が多いというのは時間という概念さえなければ素晴らしいことなのですが、時間が有限であるからこそ興味の選別をしなければいけないのかもしれません。
自分が本当に欲しいものはなんなのか。そのときの思い付きで考えてもいいのかもしれませんが未来を見据えて自分の興味を考えるということを考えるとある程度限られるのかもしれません。自分が将来的になにをしたいのか。そしてどんな人間になりたいのか。そんなことを考えて自分の興味を考える。そうしていくときっと自分自身の行動に後悔する機会は減るのかもしれませんね。私はしませんけど。
結局、自分の将来がどうこうというより、したいことをしたい。それだけで動いているのでしょうね。好きなことをしようと思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年06月23日

カルボレンといいます! 〜その139〜

この世界には様々なものがあり、その一つ一つを細かく分類しているのですね。その一つでも極めれば、人は達人というのかもしれません。
一つのことを極めてその道の知識人になることもいいことなのかもしれませんが、偏った知識を持っている人間と一つのことを極めた人というのは異なります。狭く深いのが極めるということであるのならば、狭く浅い知識を持った人が偏った人間ということが出来るのかもしれません。
狭く浅いというのは一見すると悪い印象を受けるのかもしれませんが、多くの場面で扱うことの出来る便利なものなのかもしれません。ある分野においてある程度の知識を持っているということ。それは相手に話を合わせやすくなり、かつ知らないこともあることで相手の話に合わせやすくなるという柔軟さを持つことが出来るのかもしれません。詳しいことがあって、かつ疎いものもある。そんな人間らしさがあったほうが親しみを持つことが出来るのでしょうからね。あまりにも広く浅い知識を持っている人、狭く深い知識を持っている人は面倒と感じてしまう人もいるかもしれませんからね。
自分の知識の範囲でさえ考えないといけないということ自体が面倒くさいと思ってしまうそんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年06月22日

カルボレンといいます! 〜その138〜

宇宙人に会ってみたいですね。
宇宙人でなくても地球の外にいる生き物に会ってみたいと思うのはどうしてなのでしょうか。この地球上にはまだ見たことの無い生き物というのはたくさんいて、それを見る機会を作ろうとするよりも地球外生命体に会いたいと思うのは、きっとまだ誰もその詳細を知らない神秘的なものだからなのでしょう。
誰かが知っている何かを知りたいと思うよりも、誰も知らない何かを知りたいと思うのが人の常なのでしょうからね。
地球外に知的生命体が居た場合、意思の疎通をしてみたいと思うわけで、違う価値観を見てどう感じるのか。ということを知りたい。というのが私の夢の一つであって、それは海外の、違う考え方をして生きてきた人とどう接するべきなのか。ということを考えることにつながるのです。
宇宙人がどうこう言うよりも先に、地球のすべての人と話すこと出来るようになることが先なのかもしれません。日本を知り、世界を知り、そしてその後に宇宙に進む。物事には順序が必要なのでしょうからね。
まずは日本を知ることから始めようと思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年06月21日

カルボレンといいます! 〜その137〜

人は自分にとって都合のいい情報を信じやすいという話があります。それは確かなことでその結果として人は文章を読み間違えるのでしょう。それはそうであって欲しいと思うからであり、自分の意識の中にある言葉に変換することもしばしばなのです。
同様に自分が意識しているものが目の前に現れるという話はよくあって、好きなもの、嫌いなものを見間違えることがほとんどです。自分の意識に無いものを錯覚することは稀であり都合のいい解釈をしているからなのだということが出来るでしょう。
見間違えるというのはある意味で期待しているのかもしれません。そうであって欲しいという気持ちから脳が勘違いをする。見間違えが多いというのはきっと集中力がどうとかいう問題ではなく夢見がちなのかもしれません。夢と現実の区別がつかなくなってきている私だからこそ、きっとよく見間違えたり聞き間違えたりするのでしょうね。
現実が面白くなければ人は想像するのでしょう。妄想の中では人は退屈をしなくて済む。だからこそ人は本を読み、本を作るのでしょう。私もそんな中の一人になれたらいいな。とそんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 20:25| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする