2016年09月30日

カルボレンといいます! 〜その237〜

体調によって普段は簡単に出来ていることでさえも出来ないというのは嫌なものですね。
普段は出来ている単純な作業。長時間やっても問題ないような作業でさえも、普段の半分もタスクが終わらず、少し進めただけで猛烈な睡魔に襲われてしまう。そして少し休憩をとろうとすると、そのまま一日が終わってしまうのです。
そんな日々が続いてしまったら、いよいよ私にも終焉が来たのかと疑ってしまいますが、たいていその次の日には元の体調に戻ってくれているので、まだ大丈夫だということなのでしょう。
恐ろしいくらいにその日の体調によって左右されるようなことが日課になっていて、かつ確実にこなさなくてはならないノルマがあるというのはどうなのでしょうか。やはりその日の体調に合わせた適切な量があるのではないのか。ということを思ってしまう今日この頃ですが、それがさぼりや、これくらいでいいかな。という妥協を生んでしまう可能性があるので、困りものなのです。
そんな考えだからこそ、今日のように本当に体調が悪い時に苦労してしまうのですね。
そんなことに気が付いた今日のカルボレンなのでした。明日には忘れます(´っ・ω・)っ
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2016年09月29日

カルボレンといいます! 〜その236〜

喉が痛いですね。私は声をよく出しているのですが、一日中話しているとさすがにつらいのですよね。だというのに一日中声を張っているというのは私にとっては致命傷であり、しばらくは話したくないと思ってしまうのです。それでも次の日には何かをしなければならないのです。何かをするには声を出さなければならないので、喉の痛みをおして、また声を張るのです。そして喉を酷使して、だんだんと悪化していくのですね。なんだか消耗され続ける人生です。それでもケアをして長持ちさせようとしているだけマシなのかもしれませんけどね。
声というのは普通だとどのくらい出すものなのでしょうか。人によって会話の回数や声の大きさというのは違いますからね。ただ久しぶりに喋ったりすると、どうしたら声を出したらいいのか。ということを忘れて喋ることが出来なかったり、音量の調整が出来なかったりしてしまうのですから注意しないといけませんね。それなりに喋り続ける生活をしたいと思うのですが、ずっと喋り続けたくはないと、そんなことを思ってしまうのです。
もともと喋ることが苦手な人間ですからね。それでも喋らざるを得ないのは大変なことですが頑張ろうと思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ

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2016年09月28日

カルボレンといいます! 〜その235〜

雨が降らないで欲しいと願うことはけっこうあることなのでしょうか。どんなときに雨が降って欲しくないと思いますか。それはきっと何か大切な、もしくは楽しみな外出や出勤や登校があるときに思うのかもしれません。晴れであったら、雨である時よりもメリットが大きいとき。雨が降るとデメリットが大きいときといった感じで変化します。
つまり雨が降らないで欲しいと思うのは自分にとって利益になるからなのかもしれません。そうなると逆もまた存在するのです。
雨が降って欲しいと思うこともあるのです。それはきっと雨が降ったほうが利益があるからこそなのかもしれません。どんなことでも喜ぶ人と悲しむ人がいるのです。それは人によって、利益になること。不利益になることというのは違うのです。
その違いは様々なことであり、それによって争いが起こることがある。なのでどちらも正しくて尊重するべきことだというのに、理解するのは難しいのです。
そう考えると明日が雨で嫌だな。と公言することは辞めて心の中で止めておくだけにしようと思うのです。そのほうが差し障りがありませんからね。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2016年09月27日

カルボレンといいます! 〜その234〜

いやはや気温の変化が激しくて湿気が高くて大変息が詰まりそうな気候ですね。なんだかこうしていると気温や湿気と友達にならないと体がついていかないような、そんな気がしてなりません。気温は低い方がいい、湿気は低い方がいい。私にとって一番過ごしやすいのはフリーズドライなのかもしれません。乾燥させて凍らせる。そうすることで私は過ごしやすい。寒いくらいだと湿気があった方が体調はいいのかもしれませんけどね。気温は寒いというのに湿気が100パーセントとはどんな感じなのでしょうかね。それで思いついたのは業務用冷蔵庫。寒さで内壁が凍っているよ。そんな感じでしょうか。いいですね。そんなところに机があったら中身を取り出すことができなくなりそうです。
それよりは少し暖かくていいです。部屋の窓が気温差で結露して、水が溜まるくらいの気温の差でいいのです。それだけで人は過ごしやすいと思うことが出来る。ようは工夫で何とかなるのかもしれません。
過ごしやすく生きる為にどんな工夫をしたらいいのか。ということを考えてみているカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年09月26日

カルボレンといいます! 〜その233〜

実際に目に見えていないものを信じるということは難しいことで、実際に明日地球が滅ぶとしても、実際に滅ぶまで信じない人だっていることでしょう。自分の身近でないことであればそれだけ信じることが出来なくなっていく。それが当然のことでしょう。自分に関係があって、かつ身近であり、少しでも理解があるというのならば、それだけ信じることが出来ないのは信じたくないという気持ちとあり得ない気持ちの半々なのでしょう。信じられないことがあったら裏をとる。しかし、その裏でさえも本当かどうか怪しい情報だったりするのです。世界中のすべての人間が騙されてしまえばそれは真実になってしまうというのはそこなのです。実際に起こらないとしてもそれが真実になり、起こらなかったとしても誰の責任でもないのです。それが真実となってしまったのですから。真実であるのならば信じるしかありませんからね。
人にとって問題になるのは真実であるかどうかということ。真実であればそれを否定する必要はないのです。真実だけを追い求めて、確かなことだけを選択する。それは本当に良いことなのでしょうか。そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ

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2016年09月25日

カルボレンといいます! 〜その232〜

声というのは人の印象を大きく変えるものですが、低い声、高い声という、おおまかにいえば二種類に分けられ、そこから声の澄み具合。澄んでいるか曇っているか。そうして多種多様な声の種類に分けられるのでしょう。どんな声が好きですか?好きな声を分類するとどんな感じですか。か細い感じですか。それとも野太い感じですか。聞いたことがある声を分類分けしてみるといいのかもしれません。やっぱりそれを表す方法として適しているのはグラフなのでしょうか。男性・女性で分けることが必要なのかもしれませんが一緒でも別に構いません。声が高いか低いか。声の力が強いか弱いか。そんな感じでグラフにして見ると面白いことがわかるかもしれません。
さて、声が高い、低いというのはすぐに判断できることですが、強い、弱いというのは判断基準は自分の耳で判断するしかないのでしょうか。そもそも声というのは地声のことをいうのであって、作られた声と地声の判断はどうすればいいのか。そんなことを考えているといつまで経っても声の判断なんて出来るものではありませんね。
やっぱり声はその場で聞いて、良い声だなと思ったら良い声。ダメだと思ったらダメという判断をするようにするくらいでいいのかもしれないと思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2016年09月24日

カルボレンといいます! 〜その231〜

眠いと現実の世界でも夢を見ることがあります。それは幻と言われたり、気のせいであったり勘違いであったりと様々なことが言われます。現実の世界でも夢を見られるようになるとこの世界はとても面白いものに変化するのです。道を歩いていると急にどこからか壁が生えてきたり巨人に遭遇したり、現実では起こりえないことがたくさん起こるのです。皮膚に虫が這いずり回る感覚を感じながら目の中では魚が泳ぎまわっている。口の中にすべての味を感じ、耳の中で蚊が自由に飛び回っている。そんな感覚を味わいたいと思ったのならばただ睡眠不足になればいいのです。自分のものとは思えないような感情が現れ、支配され、自分が自分ではなくなっていく感覚に溺れたいというのならば。
夢を見るためには意識が覚醒するか覚醒しないか、その中間であれば夢を見ることが出来るのです。つまり現実の世界で眠気と戦っていて、その戦いに負けそうになったとき、夢を見ることが出来るのでしょう。現実とも虚実ともとれない。意識の中であり外である感覚を楽しみながら今日を生きているカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年09月23日

カルボレンといいます! 〜その230〜

人は自分の思った通りに生活していたら、いったいどんな性格になるのでしょうか。人の性格というものはその人の今までに歩んできた人生によって構成されるものであり、その人の性格からどんな人生を歩んできたのか。ということを示してくれることがあるのです。自分の人生と性格を交互に見比べてみてください。なんとなく納得できるような要素があるのではないでしょうか。
人にとって人生は基準です。どう生きれば一番良いのか。ということをなんとなく考えた結果、性格が構成されていくのです。それは行動原理となってその人の行動をパターン化し、彼はするかもしれない。彼は絶対にしないといった感じで判断させてくれる材料にもなるのです。その人が苦労してきたんだな。って思うようなこと、ありませんか?動きを見ているだけでその人のことを判断することもできる。あくまで推測でしかないのですけどね。間違っているかもしれない。でもそれが楽しいのですよね。
人の過去を詮索するというのは意外と楽しいものです。そしてその方法として有効なのはその人の性格や癖を見抜くことから始まるのだと思います。ぜひやってみてくださいね。そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2016年09月22日

カルボレンといいます! 〜その229〜

自分がこの世界の人間ではないという風に振る舞うには、その世界の設定をしっかりとしなければいけません。この世界に生きている時点でその世界が基準になり、それ以外の世界の様子なんてわからないのです。なので普段からその世界のことを考えておかなければその世界の人間になりきることくらい簡単になるのかもしれません。普段の生活と違う世界の生活を交互に行いながらだんだんと違う世界のほうに行けばいいのです。そうすれば違う世界になれ、きっと違う世界の住人になることが出来るのです。
さて、違う世界とはいったい何なのでしょうか。それは頭の中にある世界の話なのでしょう。頭の中には無限の世界が広がっているのです。似かよったものがありますけどね。それでも人によって違う世界を持ち、その世界は一つではないのです。その一つ一つの世界を使い分けてその世界に存在する自分になりきることが出来るのなら、きっとこの世界も楽しくなるのでしょう。皆さんの世界を見ながら、私の世界のすべてを見通してみたいと思う。そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年09月21日

カルボレンといいます! 〜その228〜

人には優先順位があり、その優先度を間違えてしまうと大きな損と後悔をするものです。しかし、自分の好みがあり、自分が避けてしまったがゆえに失ってきたものはたくさんありますね。
しかし、しなかった方の結果というものを知るすべはありません。こうだったのに。と言われて、それが本当にそうなるのか。ということでもないのです。そのとき。その瞬間だからこそ起こることだってある。人の気持ちが一瞬一秒で変わるのと同じように、結果というものもすぐに変わっていくものなのです。一秒前に動き出していたら結果は変わっていた。なんてことがたくさんあります。つまりそれは運が絡んでくるのでしょう。
その運のばらつきは優先順位によって。その人の趣味によって大きく変わるのです。自分の好きなことが良い結果を生みにくいものであることもありますから。
その結果を積み重ねて人の優先順位は変わるのでしょうか。それは難しいことなのかもしれません。好きでやっているのですから。それが自分に悪影響であると気がついて初めて改善することなのです。人に言われて気が付くこともあるのかもしれません。
そう考えると人の運というものは上げるのは難しいものですね。そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 20:06| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする