2016年10月31日

カルボレンといいます! 〜その267〜

物事には始まりがあり終わりがある。それはどんなものでも言えるのでしょうが、時間というのは無限なのでしょう。何もない空間であっても、その場所で時間が流れたという記録は残る。ただしまったく変化が無いだけです。だからこそ人はその変化がないという状況に価値を見出すことが出来ないために永遠は存在しないというのです。人が数えることが出来無い程遠い昔。そして遠い未来にも空間は存在し続けることでしょう。そこにあるものがどんな状況で、どんな生活を送っているのか。なんてことは分かりませんが。
人が考えつくすべての事象がこの永遠の時の中で起こっているのかもしれません。今、地球という環境に住んでいる自分たちには想像もつかないような世界。灼熱の世界や極寒の世界。重力の有無に空気の割合。そのすべてが異なり生物は違った進化の過程を経てどんな姿に生まれ変わるのか。その一つの可能性を想像することで、過去、もしくは未来に存在するかもしれない何かの存在を表現すると、それは事実かもしれないと思うのです。
だからこそ、フィクションです。と言われているものでさえも本当にあった、もしくは本当に起こる可能性を秘めているのだろうな。とそんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2016年10月30日

カルボレンといいます! 〜その266〜

人というのは限界を超えると逆にうまくいくものですね。限界を超えても続けることによってエンジンがかかるなんてことは結構あり、その後で、エネルギーが尽きるまでは全力以上の力を出せているような気になってしまうのは、きっと脳がそうだと錯覚しているからなのでしょうね。
人の脳というのは、痛みを感じると、その痛みに対して中和効果のある成分を出すのかもしれません。そうすることによってバランスをとっているというのなら、その効果が効いたとき、人は実力以上の力を出すことが出来るのかもしれません。
そう考えると人は多少無理するべきなのかもしれませんね。無理をした結果として自分の持っている以上の力を出すことが出来るのかもしれません。私の思っている以上の力の限界がどこまでなのかを知りたいと思うとき、その限界が来るまでやるしかないのですからね。
自分が限界を決めるのでしょうか。それとも、見かねた人たちが声をかけるのでしょうか。そんなことは分かりません。しかし、倒れるまでやっても自分の限界かどうか分からないのですから、やってみれるだけやってみればいいと思いますよ。ぜひやってみてくださいね。カルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2016年10月29日

カルボレンといいます! 〜その265〜

人というのはお願いしたことに対して本当に実行してくれたのか、ということに対して報告して欲しいと思うものなのでしょうか。報告・連絡・相談が大切だと言われているにも関わらず、そんな当然のことを言わないでくれますか?のような反応をされると困るものです。もう知っているからいい。その情報は自分にとって必要のない情報だからいい。ということではなくて、しっかりと聞く耳を持たないといけないと思った今日一日でした。
しっかりと人の話は聞くべきですね。人の話というのは色んなことがあります。そのうちで自分に必要な情報なんて一握りなのでしょう。しかし、それ以外の情報であってもどこで使えるか分かりません。思わぬ幸運が舞い降りてくれるかもしれない。だからしっかりと報告をして欲しいと思ってしまうのです。
人と状況によっては何度も同じ話をしなければならないことがあります。そんなときでもしっかりと話して欲しいのです。そうしないと伝わらないのですから。何かをしたらそれに対して影響がある人には少なくとも言っておくことが必要だと私は思うのですけどね。
そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年10月28日

カルボレンといいます! 〜その264〜

言葉にしなくても、詳しい説明がなかったとしても伝わることはたくさんあるのです。そんな言葉を探し続けているのですが、考えて使おうとすると難しく、いつの間にか使っていることが多いのです。意思疎通が出来る方法は話しをするだけでなく行動で示すことが出来る。私はその言葉よりの中間を欲しいと思うのです。それがどんなものなのか説明をしようとすると、なかなか大変なものですね。
なので私はより言葉を省いて、多くを説明しないことによってその言葉を手に入れようとしていた。ということにしておきたいと思うのです。そしていまだ手に入っていない。万人が理解していて、万人が同じように考えるようなことでなければ、きっと出来ないことなのかもしれませんが。それでも全ての人が理解できるように広め続ければ、それが言葉になると信じて、言葉と行動の中間を行き来しているのでしょう。意味があるかはわかりませんが。
人の行動には意味が必ずあるものであり、一見無意味だと思うような行動でも、その人にはその人だけの思いがあるのでしょう。それが全てに通じることであったのなら綱道だけで言葉になる。そんなことを思っているカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ

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2016年10月27日

カルボレンといいます! 〜その263〜

喉が痛い季節ですね、これはいったいなんでしょうか。ただ単に風邪を引いているだけなのか。それとも空気が乾燥しているのか。それとも乾燥しているからこそ生まれたものでしょうか。良く分かりませんが喉が痛いという事実だけがここにあります。私には声しか特技がないのですから、こんなことをしないで欲しいものです。私から声をとってしまったら何も残らないのです。
痛いというのは気になりますね。気になるからこそなんとかしなければならないということを思うのかもしれません。痛みを感じないということがいいことだとは思いませんから。痛みがあるということは後で何か残る可能性もあるのです。その確認をしているだけかもしれませんが、それが必要となるのです。痛みが必要になる。その普通が私は嫌になったので、痛みをなんとなく、なくしてみたいのです。体が動かなくなって、はじめて異常を感じるような、そんなことがあっても面白いと思ってしまった自分がいるのです。
痛いということが特別なことではないと感じる今だからこそ、痛みが特別になるようなことが起こればいいと思った、そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年10月26日

カルボレンといいます! 〜その262〜

服装をどうしようか、ということを考えることは必要ですね。毎日、同じ格好をしていると、その格好が名前になることがあります。特徴的な格好であればあるほどに。そしてその人に馴染めば馴染むほどに…
毎日、同じ服装でも構わないと思うのです。自分に似合う服であればなんでもいいと思うのです。しかし、毎日会う人には「またその服ですか」と思われるようになるのは考えものですよね。少しでも工夫をして、同じ服であっても違う服のように見える着方というものを考え始めるのかもしれません。買うとなるとなかなか大変なことですからね。しかしたくさん買う人はいるのです。考え方の違いというものでしょうか。着飾るというのは服を買うということだけではなく、着方を工夫するという方法もあると思うのです。
では、どうやって着れば自然でしょうか。それなら小物を使えばいいのかもしれません。小物で飾ることによって違う服に見せることもできるのかと思います。そういうことで服よりも小物を買ってしまうのが私なのですよね。
小物を買って見ているだけで、楽しい気分になるのです。そんな楽しい気分が続くといいと思った、そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年10月25日

カルボレンといいます! 〜その261〜

人と人との関係というのはとても簡単なことで壊れるものです。少しでも策を練ってやれば仲違いさせることができ、想像以上に被害を大きくすることも、利益を得ることもできるのです。人の関係というものはそれほど重要であり、操作することが出来ると思っています。自分の思うがままに操作できるかどうかは分かりませんが。
人と人を仲良くさせることも、喧嘩させることもできるのです。自分が好かれるように行動することも、嫌われるように行動することもできる様に、他人を動かすことが出来るのです。その方法は人によって様々で、自分で自分のやりやすい方法で自分の好きな状況に進めるということが出来るのです。そう考えると世界はとても楽しい場所ですね。自分の好きなように動かすことが出来るのですから。
自分はどんな立場でありたいですか。そう考えると周りというものが必要で、周りがしっかりと自分の立場を支援してくれれば、自分の立場は確率するのです。自分がしたいようにするには周りを動かして自分に都合の良いようにしなければならない。そう思うのです。そのために人の関係というものを操作する方法を考えている。そんなカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2016年10月24日

カルボレンといいます! 〜その260〜

だんだんと世界は変わりつつあります。その変化に気がつかなくても気がついてもどっちでも構わないことかもしれませんが、だんだんと変わったことがそのものだと認識されていくのに疑問さえ感じなくなっていくのでしょう。昔はどうであったか。ということは問題ではなく、今、どうなのか。ということのほうが人は重要なのです。自分が今のことを知っていることによって、昔を知る余裕が出来るのでしょう。今でさえすぐに変化していってしまうこの世の中で、昔のことを考える余裕がなくなったとき、人はその変化に気がつかなることでしょうね。
人にとって過去とはいったいなんなのでしょうか。それは変化なのでしょう。その変化の幅を知ることによって未来を知ることができるのかもしれませんが、今で充分満たされていれば過去なんて知る必要はなく、今の変化した結果だけを見て知ればいいのでしょう。過去はもしかしたら興味の世界の話になりつつあるのかもしれません。
変わりゆく世界に嫌気がさしたのなら、その変化を逆行してみてください。必ず行き着くはずなのです。そんなことはしないほうがいいかもしれないと心変わりするのかもしれません。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年10月23日

カルボレンといいます! 〜その259〜

久しぶりに住む世界ではない場所に行ってきました。自分に合っている世界とそうでない世界に分かれています。その世界の中に迷い込むと、人は苦労するものです。その世界に居続ければ適応することが出来るのでしょうか。私には出来ない様な気がします。人には性格があり、その性格に合わないことをするのは無理なことなのですから。
それでも仕事と割り切ったり、なにかを理解すると慣れないなりにも生活することが出来るのでしょうか。人はそれしかなければそれをするしかないのです。今は敬遠しているような場所であっても、その場所に行かなければならないような状況になったのならば人はそこに向かうのです。そう考えればこの場所に居てもいいんだ。という気持ちになれるのかもしれません。
自分が居てはいけない場所はないのかもしれません。気にし過ぎていては逆にその場所に対して除外されてしまうかもしれません。自分はここに居てもいい。それが当然だ。という顔をしていれば、どんな場所でも適応できるのだと思います。人はずうずうしくなければならないのかもしれないと思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年10月21日

カルボレンといいます! 〜その258〜

電気で動く機器たちは、ただ組み立てられているだけなので、少しでも崩れてしまえば異常が起こるのでしょう。単純な作りの機器であれば直すことは可能かもしれませんが、複雑になるとその道のプロに頼まなくてはならなく、その技術に対して、ふさわしい金銭を支払うことになるのでしょう。だからこそ、自己修復という機能を作ることはその人達の仕事を奪うことになるのかもしれません。出来る様になったとしても、きっとすべての製品に対して搭載される機能ではないのかもしれませんね。
人の知識によって、製品が進化していくにつれて、人の仕事というのは減っていくのでしょう。単純な組み立て作業なんかは機械のほうが正確で、かつ早いです。システムさえ作ってしまえばひたすら作り続けてくれる。そんな機械だけが働いて、人間は何もしなくても良いという世界になることも可能なのでしょう。しかし人は働きたいのです。人よりも働いて利益を欲しいと思うのです。だからこそ、すべてが機械化するという未来はもう少し先になるのでしょうが、技術的にはもう、できてもおかしくないのでしょう。
いつか、職業が機械の責任者と自分の趣味を生業とする人ばかりになる未来を想像しているカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 19:20| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする