2016年12月31日

カルボレンといいます! 〜その325〜

さて、今日は大晦日です。今日で2016年は終わりを告げ、2017年が始まるわけです。
2017年がどんな年になるのか。ということに期待を膨らませ、2016年に起こった出来事を回想する。そのつもりが2015年やら2014年やら、ずっと前のことさえも思い出して、自分の人生を大いに振り返る。その結果、今までとは違った見方をした人生を元にして次の新しい年に希望を乗せるのです。やるべきことは自分の歩んできた人生の中に複数の答えがあるのでしょう。どの答えが正しいか。なんてことは分かりません。分かりませんがどれも正しい答えなのです。どれを選んで実行したか。それが大切なのです。どんな選択をしたとしても明日はやってくる。来年はやってくるのです。その毎日を楽しんで、さらに新しい年がやってくる。それを繰り返していくことで人の人生は毎年大きくなりながら厚みを増していくのでしょう。そんな人生を最終的に確認をして、自分の満足が出来る結果を得ることができるように、私は生きていかなければならないのかもしれません。
来年の私に満足出来るような選択を、どれにしようか悩んでいるカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年12月30日

カルボレンといいます! 〜その324〜

掃除がなんとか終わって落ち着いたカルボレンです。部屋がきれいになってだいぶ落ち着くことができました。毎日、掃除を出来ていればもっと楽に掃除が終わるのかもしれませんが、なかなか毎日掃除をするのは難しいですからね。掃除は毎日しているとするところがなくなっていつの間にかしなくなるというのに、なぜか何日かさぼるだけで掃除をしなければならない場所が多くなるのです。それを執事の原理というのかもしれません。言っているのは私だけなのですが。掃除を毎日してくれる人がいるなら綺麗ですが、掃除をしていないとすぐに汚くなっていく。そんな感じなのだと思いますよ。
自分なりの理論を作るというのは面白いですね。これが常に起こるかもしれないと思ったら、それに対して名前を付けて、その理論外のことが起こるまで適応される自分ルールのようなもの。それを作って、それを用いて生活をすること。そうすることで常に原理を考えるのです。常に原理を考えて、常に新しい考えを取り入れる。それが私にできる一つの楽しみなのだと思っている、そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年12月29日

カルボレンといいます! 〜その323〜

さて、もう少しで今年も終わりますが、いかがお過ごしでしょうか?来年に向けて準備のほうは進んでいますか?部屋を片づけたり、いろんなものの整理をしていたら来年への準備というのは大変だな。なんてことを思います。部屋というのは一年間で、ずいぶんとものが変化するものです。品物だけでなく、自分自身や他の人を含めてのものです。置かれているものが変わるだけでなく、自分自身の考え方も変わっていく。昔は可愛いと思っていたものであったとしてもいらないものへ変わっていることもある。そんなことを繰り返しているうちに、きっと私の部屋は大きく変化していることでしょう。毎年のように感性が変化していくのでその変化にあった部屋作りをして、結果としてその部屋はきっと毎年大きく変化するのです。その変化を年末にまとめて行うために忙しいことになる。毎年、追い込まれてからやっていますからね。もっと早くやっておいたら良かったと何度思うことでしょうか。来年はもう少し早く、というよりも思いついた時に変化させていきたいと、そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年12月28日

カルボレンといいます! 〜その322〜

時間が好きなのです。続くことが当然だと思っていた時間が好きだったのです。この続くと思っていた生活が終わったとしたら私は何を思うのでしょうか。また時間が始まったと切り替えることができるのでしょうか。それとも悲しみに打ちひしがれてしまうのでしょうか。それは誰にも分かりませんが、やっぱり時間は当然のように流れていくのです。流れている時間が好きで居られるうちに私は人生を楽しんでいたいと思うのです。人生を楽しまなければきっとここで時間を過ごしている意味が薄れてしまうような気がするので。
私はいったい何に時間を使って楽しんでいるのか。そんなことを漠然と考えていると、何もないことに気が付くのです。人は何も無いことに時間を使うことが好きなのかもしれません。時間は何もしなくても流れていく。そんな時間だからこそ、何もないという幸せを噛みしめることができるのかもしれません。それほどに人の人生というものは様々な要因が積み重なって、大きな変化へとつながっていくのだと思いますからね。大きな変化が嫌いな私はきっとこの時間を、とても好きなのだと思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年12月27日

カルボレンといいます! 〜その321〜

画質が悪くても小さくすれば少し良く見える。人の目は簡単に騙されるのですが、その騙されやすさを利用して錯覚を作るというのはいいのかもしれません。人は見たこともないような世界を見ることが好きですからね。そして、それが果たして本当なのか。と考えることも好きです。嘘を見破ろうとすることもあるでしょう。そんな時間がとても素敵だと思うのです。素敵なことをする為に、私はどうすれば錯覚を簡単に作れるのか。ということを考えているのかもしれません。自然に生まれる錯覚だけでは、そのうちに見飽きてしまいますからね。どんどんと錯覚を生み出して、その錯覚はどうして生まれたのか。ということを考えてもらう。それが私は好きなことの一つなのかもしれません。錯覚を作る為に少しだけ勉強をしたというものなのです。人は欲しいことがあったら勉強をすればいいのでしょう。勉強をして、いろんな原理を知ることによって、錯覚の理由を推定して、実際に再現をしてやってみる。その組み合わせによって面白いことが起こるのであれば、起こしてみたいと思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年12月26日

カルボレンといいます! 〜その320〜

人によって幸せの定義というのは様々です。私にとって幸せは自分の好きなことをしているときでしょう。人によって好きなことというのは違いますから、そう考えると好きなことが幸せと言っている人にとっても違った幸せの形があるのです。そんな幸せの形が自分でも分からなくなったとき、自分の幸せとはいったい何か。ということを考えるのかもしれません。私にとって幸せが好きなことをしていることなのだとしたら、自分にとって好きなこととはいったい何なのか。そんなことを考えると意外となんだろうな?ということを思うことでしょう。自分の趣味が一体何なのだろうか。それは本当に楽しんでいるのだろうか。そんなことを考え始めるといつまでも考えてしまいますよね。楽しいものでも楽しくないときがある。常に楽しいから、楽しくないときがあるからといって、それが趣味ではない。と言ったら趣味でなくなる。人にとって趣味とは、趣味だと言ったら趣味になるものですね。たとえにわかであったとしても。それが幸せなのです。知らなくても、稚拙でも、やっているということが幸せにつながり、楽しいは趣味なのかもしれません。
私はそんな幸せを求めて今日も趣味を探しています。そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年12月25日

カルボレンといいます! 〜その319〜

やりたいことを整理したら紙面一枚分くらいあって、暇が欲しいな。と思ったカルボレンです。しかし、暇があったらあったでまた別のことをしてしまうのでしょうから。結局今くらいの忙しさで良いのかもしれません。しなければいけないことと、したいこと。それがちょうど半々になっているような、そんな感じがしますからね。
人は暇すぎても、忙しすぎてもダメなのでしょう。ちょうど良い感じで狭間にいるのが良いのでしょうね。忙しくて何も考えることができないというのもいいですね。次にするべきことがずっと決まっているというのは楽ですからね。やりたいことがあって、やらなくてもやりたいことがあって、それをやりたいと思うことが面白いとも思うのですよ。やりたくてもできない。どうすれば出来るのだろう。ということを考えることさえもできない日々。想像しただけでも大変ですね。でもそれが現代の人なのかもしれません。
自分のしたいことをやるために仕事や学校をして、時間ばかりが流れていく。そんな日常を思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年12月24日

カルボレンといいます! 〜その318〜

冬でも喉が渇くので自分が呼吸をしているということに気が付きます。夏でも冬でもたくさんの水を飲む私ですから、より生きているということを実感できるのかもしれません。喉が渇くということは生きている証なのかもしれませんから。
自分が生きていると感じるのはどんなときですか?私にとって生きているというのは喉が渇くという現象です。人によっては心臓が奏でるリズムが生きていると感じるのかもしれません。痛みを感じるからこそ生きている。考えることができるからこそ生きている。生きているという定義は様々です。
とはいえ、喉が渇かないから生きていないのでしょうか?心臓が止まっていたら、痛みを感じないから、考えていないから生きていないのでしょうか。そんなことは無いと思うのです。
何が生きていて、何が生きていないのか。生命活動が止まったとき、人は本当に亡くなるのか。そんなことを考え始めると夜、眠れなくなりそうな気がしますね。
その気になって眠れないということも生きているんだ。ということを感じるきっかけに成っていると思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年12月23日

カルボレンといいます! 〜その317〜

パソコンがフリーズしてしばらく焦っていたカルボレンです。パソコンは日々で使う大切なものになっていたのでかなり焦りを感じました。こんな形でようやく大切なことに気が付き、大事に使おうと思うのですが、またそのうち雑に使うようになるのです。人はそんな焦った記憶でさえも薄れていってしまう。それは猫などの動物よりも劣っているのかもしれないと思いました。進化し過ぎてしまって、まるで付属品を付け過ぎてしまった器具のように使いにくい物になってしまったのかもしれませんね。
でもパソコンは性能が上がったというのに、扱いやすくなっていく。不思議なものですね。余計な機能さえ増えなければ問題なく操作することができるものなのです。根本は変わらないというのに性能は上がっている。それが素晴らしいことだと思うのです。人も根本は変わっていないはずですが、生き物という進化のカテゴリにおいては大きく変わってしまったものなのだと思います。そんな大きな進化をしてきたのですから、自分自身も大切に扱わないといけないのかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2016年12月22日

カルボレンといいます! 〜その316〜

色々考えるということは楽しいことですね。どんなことにも理由があって、その理由を知っていれば、その現象を楽しむことができるというものです。どうしてそうなったのか。ということを知っていれば覚えやすいですし、一つ一つのことを紐解くと、その背景が見えてくるのです。私はそんなことが好きなので調べてまとめてみたくなるのですが、なかなかすべてを覚えておくことができないでいるのです。膨大な量を覚えておくというのは大変なことですよね。でも、少しでも調べておくことで、少ない情報からでも浮かんでくることが増えていくのでしょう。色んなことを知っていると、少ないことであっても話を広げることができるのです。
だからこそ、私はものの由来やら原因ならを調べておくのでしょう。それを人は雑学というのかもしれません。つまり私は雑学を、日常では使わないような知識が欲しくてたまらない存在なのかもしれませんね。その割には何も知らないのですけど。
もっといろんなことを知りたいと思っていて、少しずつ記憶していこうと考えている。そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ

posted by さくら紅葉 at 17:18| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする