2017年02月28日

カルボレンといいます! 〜その381〜

怖い話というのは大好きなのです。でも、怖いことは嫌いです。実際に自分の身に降りかからないからこそ、怖い話というものを好きで居られるのでしょう。
もしも、怖い話をして、その通りのことが自分に降りかかるのだとしたら、私は絶対に怖い話は聞かないことでしょう。
それでもこんなことがあります。聞いた話が夢の中に現れることがあります。夢の中で起こる怖い体験はまるで本当に起こったかのようなリアルさのときがあります。
そんなときは怖い話を見て、聴いて、考えてしまったことを後悔するのですが、そんな体験ができたことを、そして今、生きていることを安堵するのです。本当に怖いことが起こって、何か害があったとしたら、きっとどうしてこんな目に、なんて思うことでしょうから。なので夢の中で起こる怖い体験はお化け屋敷のようなものですね。恐怖を求め、よりリアルな恐怖を味わいたいのであれば夢で充分なのかもしれません。実際に殺されかけるような状況にならなくても充分に怖さを知ることができる。
その根底として自分の経験が活きてくることは間違いないのですが。
もっと怖いことを考えるには、もっと怖いことを体験しなければならないな。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年02月27日

カルボレンといいます! 〜その380〜

ファンタジーというのに人は惹かれます。それは現実でなければないほど、惹かれていくのかもしれません。実際にないからこそ、人は安心してその話を読むことができる。それが現実に近ければ近いほど、人は嫌気がさすのかもしれません。現実に逃避したいときにファンタジーの世界に酔いしれるのだとしたら、今、ファンタジー小説を書きたいと思っている私は現実から目を反らしたいのかもしれません。夢の中で、現実的ではないことが起こっているのも、きっと現実から逃避しているからなのかもしれません。そんなことを考えていると、ファンタジーの世界というのは危険で恐ろしいものなのかもしれません。
でも最近では夢の中のファンタジーの世界から私は嫌われてしまっているようです。空想の世界の中でも虐げられ、追い出されてしまうように起きる私は、きっと頭の中では現実に戻らなければならないということは分かっているのでしょう。しかしそれでもファンタジーの世界に囚われているのは、ファンタジー依存症になっているからなのでしょう。実際に無いであろうことを望み、現実を疎む。それが続いている限り、私は小説を書くことができるのですから。
そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年02月26日

カルボレンといいます! 〜その379〜

難しいことを簡単に言いかえることも、簡単なことを難しく言うことも簡単なのです。それはたくさんの似たような小説があることからも分かるでしょう。たくさんの言い換えがすることができる言葉は、わざわざ難解にすることも簡略することも簡単に出来るのです。人に伝えるとき、自分たちだけに伝わる言い換えをすることも、誰もが分かるように思考して出した言葉も、同じことを言っているというのに、その重さは大きく異なるものになるのです。
なので、自分の色の文章を書くというのも良いことだと思います。私は自分の色を探して言葉を繋いでいるのです。結果として自分だけの言葉を手に入れることができるのでしょうか。それは出来るのでしょう。敬語の使い方やら言い回しに特徴があるだけではなく、雰囲気で、書いているのがあの人なのだ。ということが分かるような文章を書きたいと思うのは、一つの自分の表現なのでしょう。
とはいっても、あまりにも個性を求めすぎて変な語尾を付けたりしてはいけないのです。普通の言葉で、普通の感じなのにその人だと分かる。そんな風になりたいと思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年02月25日

カルボレンといいます! 〜その378〜

物→日本語→英語という流れから、物=日本語=英語につなげるにはどうすればいいのか。ということを考えているのですが、日本語を覚えてしまった今となっては、どうしても流れが出来てしまいます。知っているものが知ろうとしていることを隠してしまうことは良くあることですが、それを減らしていきたいと思うのです。
その為には今までに知ったことを忘れる必要があるのでしょうか。そんなことはないのでしょう。同時に浮かぶようにすればいいのです。見た瞬間にすべてがつながっていくと気持ちよく浮かぶことでしょう。物=日本語=英語、英語=日本語=物であるように覚えるのです。覚える方法を工夫すれば知ることができるのです。
知っていることが知らないことを隠してしまうなら、知っていることから知らないことを導いてあげればいいのです。そうすれば勝手について来てくれることでしょう。そうして色んな事を知って、それを記憶し続けることができるというのなら何よりも素晴らしいことになるのでしょう。すべてをつなげていこうと思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年02月24日

カルボレンといいます! 〜その377〜

人が眠気に打ち勝つ方法は人を辞めるしかありません。人を辞めて、作業に没頭する機械になることができるのであれば、きっと人は眠気に打ち勝つことができるのでしょう。その為に、人は機械になる為の準備をすることになるのです。しかし、機械は指示されたこと以外のことをすると壊れてしまうことがある。毎日、同じ作業ばかりだったら動き続けることが可能であったとしても、少しでも違うことを行うとなると、急に眠気が返ってきて、深い闇の世界に誘われることでしょう。
私はその闇の世界が怖くてたまらないのですよね。闇の世界に行ってしまえば身体を自由に動かすことができなくなり、本当にこの世界に帰って来れるのか不安になるのです。その不安をどうにかする為には目を覚ますしかなく、私は眠気が来るたびに怖くなるのです。だからこそ、私は機械化したい。ずっと起きていたいと思うのです。
だからこそ、私はひたすら同じ作業を繰り返し、毎日、疲れないように、眠くならないように行動し続けているのかもしれません。
どうでしょうか。同じ毎日を過ごして長い時間を過ごすのと、違うことをして普通に時間を過ごすのはどちらがいいのでしょうか。そんなことを考えているカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年02月23日

カルボレンといいます! 〜その376〜

花粉が飛んでいるのでしょうか。鼻がむずむずしますね。頭もどうにかなりそうなほどにごちゃごちゃしています。それともこの時期は忙しいのでしょうか。色んな要因が重なって嫌になります。何が原因でどうなっているのか。ということがよく分からなくなってしまいますから。
原因が分からないと不安になりますね。どうしてこんなことになってしまっているのだろう。そんな一つ一つの理由を解明していくことで不安を消していくことが必要になるのかもしれません。そうして人は納得し、安心を得ることができるのです。私たちは安心が欲しいがために原因を追究する探求者だということなのでしょうね。そう、人は皆、探求者なのです。何かを知りたいと思っているのかもしれません。
人にとって興味は知りたいからということだけではなく、知らなければならないから。ということもあるのです。いくら知りたいという気持ちがあったとしても知れるとは限りません。それでも人は知りたいのです。自分なりの納得をしたいのです。だから私の体調不良の理由も花粉ということにして、すべての原因を押し付けることにしました。花粉が飛んでいるので納得ですね。
ただし決めつけは本来の形を変えてしまうので注意が必要ですね。病院に行こうと思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年02月22日

カルボレンといいます! 〜その375〜

面倒なことは誰でも面倒くさいですが、人によって、面倒くさいことというのは異なるのです。ちまちました作業が好きな人が居れば嫌いな人が居る。しっかりしたいと思っているもの、別に雑でいいと思えるもの。様々な作業がありますが、人によって向き不向きがありますが、不向きなものをわざわざやる必要はないのかもしれませんね。だって面倒くさいのですから。
やらなくてはいけないことだったらまだしも、やらなくてもいいことを面倒くさがりながらやるというのは、ただの無駄でしかないのです。効率も悪いですしやる意味がない。だからこそ、やる気があるときにそれをしたほうが楽しいし、一気に進むに決まっているのであれば、どんどんと次のことをしていったほうがいいと思うのです。なのでそのことをやる人がたくさんいるのであれば、分担した方が早い時もあるのです。やりたいことをすることにしましょうか。そんなことを思います。
面倒なことを面倒だと思わないような人になれたらいいのにな。なんてことを思うのです。そうすればどんなことでもずっとやり続け、そして効率は落ちないことでしょう。そんな人を目指して私は考え続ける、カルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年02月21日

カルボレンといいます! 〜その374〜

人の身体とは脆いものですね。同じ場所に負担がかかるだけで壊れてしまいます。
しかし、その壊れは、自然回復するのです。それは無機物よりも優れている点の一つなのかもしれません。人の身体で、金属のような固さを持っていたらどんなにいいか。と思うのです。金属でも削れることはありますけどね。摩耗していってしまうのです。なくなっていってしまうのです。その削れてしまった部分が自然に回復する機構を作ったとしたらどうなるでしょうか。今の技術では出来ることかもしれません。しかし、きっと金属そのものの強度は落ちてしまうことでしょう。強固につながっている部分に別の機構が入り込んでしまうのですから。そう考えるといかに修復するか、ではなくて、いかに消耗を抑えるか。ということを考えたほうが現実的なのだと思います。
それでも、ちょうどいいくらいに使うことができる自動修復する金属があって欲しいと思ってしまうのです。硬く丈夫で、そしていくら使っても最高の状態でそこにある。そんなゲームのような道具があって欲しいな。なんてことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年02月20日

カルボレンといいます! 〜その373〜

考え過ぎると頭が痛いですね。最近、頭が痛くてたまらないカルボレンです。きっとあれなのでしょう、空気が乾燥しているというのもあるのでしょう。疲れと乾燥が私の頭痛の原因であるというのなら、解決策は簡単ですね。ただただ水分を取りつつ休憩すればいい。目の疲れが頭に直結しているというのなら温タオルを目に乗せればいい。人に愚痴を言う前に、自分で行為を実行してしまえばいい。それをわざわざ口にするのは、方法は知っているけど自分でやるのが面倒くさい場合。方法は知っているけれど心配をして欲しいと思っている場合。それら二つなのでしょう。ただ思っていることを言っているだけなのかもしれません。周りが優しい人だったらきっと解決方法を教えてくれ、その行為までしてくれるかもしれません。しかし、余裕がないときにそんなことをされたら、人はきっと無視することでしょう。構ってくれる人がいる場所がある人はいいですね。心配してもらえて。心配してもらえない人だとしても、自分で解決する方法を発見することは、今では簡単でしょう。是非とも問題を解決してください。そして何も話さないでください。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年02月19日

カルボレンといいます! 〜その372〜

インターネットの回線が遅いとイライラしてしまいますね。いつもはさくさく見ることができる動画も、読み込みに何分もかかってしまうのです。そうならないように気を付けるべきことは、パソコンの処理が重くなるほどにたくさんのデータを詰め込まないことが必要なのかもしれません。余裕がある状態であるとパソコンが動いてくれますからね。なのでデータ整理というのはしなければならないのです。どんな情報であったとしても、あればあるほど重くなっていくのですから。
どんなものにも余裕が必要なのです。その余裕を遊びというのかもしれませんか、遊びの部分がないと、どんどんと故障の原因になってしまうことでしょう。人の思考回路に関しても同じことが言えるのでしょうか。同時にいくつものタスクをこなそうと考えていると、何からすればいいのかパニックになることがあります。それでも続けていけば誤作動のない限りはタスクをこなすことができるのでしょうか。さくさくとしていたほうがいいのでしょうか。人によるかもしれませんが、パソコンと人間の脳が同じなら、対処法もよくわかるのだと思いました。そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 19:35| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする