2017年05月31日

カルボレンといいます! 〜その472〜

ものの味というものは、よく噛みしめて味を確かめながら食べないと分からないものです。さっさと飲み込んでしまったらもったいないと思うのですが、時間が大切なとき、何も考えずに食事をしていると、あっと言う間に、何を口に入れたのか分からないままに食べ終わってしまうのです。それがもったいないと思ったので、口に入れたものは必ず何回か噛んでから飲み込むことを意識しながら食事をすることにしました。すると、何でもないただのものだったものに、味があったことに気がつきました。そんなことは結構あるのかもしれません。
普段食べているものの味ですら、うまく表現することのできないことが多いのです。何を食べているのか。ということを考えて、味を覚えていないと、ちょっとした変化では気がつかず、必要最低限の情報しかいれないのかもしれません。それでは毎日、しなければいけない食事というものをないがしろにしているということに他ならないのかもしれません。
そう考えると一つひとつの食事、行動を味わって行うことは大切であり、今からでも遅くはないと思うのです。
いろんな物事をよく噛もうと思った、そんなカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年05月30日

カルボレンといいます! 〜その471〜

やりたいことは上書きされてしまいます。そのタイミングはいつだかわからないのが問題で、いつでもやりたいことの順位は入れ替ってしまうのです。そして、その衝動は止めることができず、頭を支配していくのかもしれません。今、私がしたいと思っていることは、本当に今、必要なことなのでしょうか。その時にやって、ただ満足を得るためのものだったらやらないほうがいいのかもしれません。しかし、それで止めることができるほど、この衝動は弱いものではないのだと思うのです。
人にとって大切なこととはなんでしょうか。それは人によって違うことは知っています。傍から見て明らかに必要のないことだと思っていても、それが必要なことだと思っていることも知っています。なので他人の行っていることに対して何も言わないことも知っているのです。
やりたいことをやめろという権利を私たちはもっていないのです。いまさらだということはわかっていますがやりたいことをしていきたい。そして後悔をしたくない。そんな思いがやりたいことの上書きに繋がっていくのではないでしょうか。やりたいことはすればいいと思います。そんなカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年05月29日

カルボレンといいます! 〜その470〜

一年間同じ場所を定点で撮り続けていると、少しずつでも変化していくことに気づくことができます。毎日、ずっとその場所にいて、ずっと見ていると、まったく変化がないような気がしますが、実際には目に見えない程度の変化をしているのです。なので、同じ場所を早送りで見てみると、その変化がよくわかります。一年前と一年後、それを見比べてみるとわかる微妙な違いは一年をかけてゆっくりと進んでいったものなのです。たまに大きく変わるときもある。そんな変化にすら気がつかず、ここはいったいなんだったのだろう。なんてことを更地になった場所をみながら思ったりもするわけです。そんなに気にしていませんが、気になると調べたくなるものなのですよね。
人にとって小さな環境の変化、自分に関係のない場所の変化は気にならないことが多いのです。いつの間にか終わっていた。いつの間にか変わっていた。なんてことはたくさんあるのですが、そこに目を向けないと気がつくことができないのです。写真と今の風景を見比べて、ああ、確かにここにはこんなものがあったんだ。と思うことができる。そんなものなのでしょう。
変化を感じるというのは楽しいですよね。変化を探し続けるカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年05月28日

カルボレンといいます! 〜その469〜

ムキになると大抵の場合失敗するのです。どんなときでも力まずに、淡々とこなすことができることしかしない。もしくは真剣にやればできることしかしないほうが、後で後悔しないときもあります。自分の持っている以上の力を出そうとすればするほど、大きな失敗、後に引いてしまう失敗をしてしまうことが多いような気がします。歳を重ねるごとにそういうことがわかっていくのです。若い頃の自分に対してムキになって行動をするのは愚の骨頂ともいうべき行為なのでしょう。それでもやってしまうのが人なのです。自分よりも優れている、もしくは同等のものに対してムキになる人は、見ていて面白いのでいいのですが、自分自身に対してムキになっている人は、ただただ切なく、見ていて辛いものであり、自分自身を傷つける結果になってしまうことがあるのです。
だからこそ、今の自分を冷静に受け入れて、このくらいになったけど、確かに私はちゃんとやった。そして、このくらいならできるんだ。という自信を持ち続けていたいと、そう思うのです。
どんなことでもやらなければ衰えていく。その衰えたことにがっかりするのではなく、今の自分をしっかりと見据えようと思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年05月27日

カルボレンといいます! 〜その468〜

久しぶりにしたことは思った通りにいかないことが結構あります。自分ってこんなものだっけ。なんてことを考えながら、がっかりとすることもあるのではないでしょうか。そんなことを考えながら何回も繰り返していると少しずつ取り戻しているような気がしつつ、なんだか中途半端な気分になって終わってしまうのです。
そんなことにならないためにも、毎日、大切なことは毎日続けたほうがいいのかもしれません。毎日続けることで、ある一定の水準をキープし続けることができ、かつ自分が不調である日というのに気がつくきっかけになってくれたりするのです。いつもよりも力が入らないな。いつもよりもできていないな。何て言う日は、気がつかないうちに体調を崩していることがあるのです。もしかしたら風邪を引いたかも。そんなことを思った次の日に熱が出て、「ああ、やっぱり…」なんてことを思うわけなのです。
普段は簡単にできていることができない。それにはなにか理由があるはずなのです。その理由は今後にも影響を与えることが多いものばかり。心の準備や対策をすることができる。そのチャンスを見逃さないようにできることなら毎日、続けられることがあるといいですね。
カルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年05月26日

カルボレンといいます! 〜その467〜

考えても考えていなくても、何でもいいことがありますが、そういうことでも考えておいたほうが役に立つ可能性もあるのです。なんでもかんでも考えてみることがいいのかもしれません。考えなくてもいいことを考えるのは、考えなければいけないことを考えた後であったら、いくらでも考えていいと思うのです。常に人は考えているべきです。何に使うのかなんてわかりませんけどね。
自分とは何なのだろうということは考えなくてもいいことなのです。しかし気になることではあります。それは答えのないことなのかもしれませんが、それでも考えておくといいことであり、後回しにしてもいい問題でもあるのです。
生きているうちに自分とはこういうものだ、ということを理解すればいいし、それは変わってしまっても構わないのです。自分という存在は常に変わっていく。数年後の自分は数年前の自分と何が違うのだろう。そんなことを考えると、色んなことに気がつくことができるのかもしれませんね。自分だけでなく、他人のことも考えながら楽しみたい。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年05月25日

カルボレンといいます! 〜その466〜

本当に大切なことを相手に伝えたいと思ったとき、伝えるべき言葉を選んで、ほんのわずかな言葉を送るためだけに数時間と考えることがあります。相手にこの文章をどう受け取るか、どんな印象を受けるのか。ということを考えると送るのを躊躇ってしまうのです。自分がこの文章を受け取ったらこう思うけど、相手の考え方だとこう思うかもしれない。でももし、想像と違ってこういう考えの持ち主だったら、きっと悪い印象を与えてしまうだろう。だとすると……。そうして考えているうちにどんどんと時間が経っていき、最終的には自分らしさを失った無難な言葉を選んでいるのかもしれません。相手に本来伝えたいと思っていたことの本筋から外れたことを話しているのかもしれません。そう考えると相手に伝えるということは大切なことであるほど難しいということがわかります。勘違いされてもいいような雑なことであれば、すぐに言葉が浮かんでくるのに、いざと言うときに言葉に詰まってしまう。そういう人はたくさんいるのかもしれません。
そういうときは、自分らしく思ったことを言うのが結局いいのかもしれません。自分が納得でき、あいては自分の実体を見ることができるのかもしれません。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年05月24日

カルボレンといいます! 〜その465〜

虫がたくさん飛んでいる季節になりましたね。家の中にいても、たくさんの虫がやってくるようになりました。
なかでも一番、気になるのは蚊であって、別に気にしていなくても近くを飛んでいることがわかるくらいには存在感を出しています。誰よりも存在感を出している蚊という存在は、とてもすごいと尊敬すらしてしまうものなのかもしれません。
それに、蚊も血を選ぶという話を聞きました。ということは血を吸われるということは、いい血だということを教えてくれるのかもしれません。そう考えると、血を吸ってくれるというのは嬉しいことなのかもしれません。痒みを感じるというのも生きているという証拠になるものなのかもしれませんしね。
とは言っても痒いというのは嫌なものですね。本当にイヤなものです。痒いだけでそれが気になり、他のことに集中することができなくなってしまうのですから。少しでも痒みを弱くするためにはたくさん刺されればいいみたいですね。そうすれば慣れるらしいのです。毎日、夜は外に手足を晒して、痒みを楽しむといいのではないでしょう。
蚊に刺されるときは、最後まで吸われたほうが、途中で止められるよりも痒くないそうですよ、カルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年05月22日

カルボレンといいます! 〜その464〜

集中して作業をしていると一日はあっという間に終わるものです。今日も一日、同じことを延々とやっているだけで一日が終わってしまいました。本当にやりたいことをしていると一日中やっていても苦にならないのかもしれません。体の底から力が湧いてくるような気さえするのです。その力は人間の好奇心に起因しているものなのかもしれません。
一日中ゲームをし続けることができる人がいるとします。それはゲームの内容が気になるから、最強を目指して、どこまでも突きつけていきたいから。そんな気持ちがあるわけで、目が疲れてしまった、指がもう動かないというようなことがない限りはきっと続けられることでしょう。そんなゲームのようなことが他にありますか。ずっと続けられるようなものをずっとすることができる。それは幸せなのかもしれません。毎日がこのように終わるのなら、きっと楽しい人生ということができるのでしょう。
私にとって、今やっている作業はそうなのかもしれません。いつまでも同じ作業を続けることができる幸せを感じながら、今日も同じことをしている。そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年05月21日

カルボレンといいます! 〜その463〜

何もしたくないことは何もしなくていいと思います。結局、集中することができないのですからね。物事は集中していないとあまり効果的ではないのですから。やりたいときにやればいい。そうすれば進んで行くのですから。
集中力というのは楽しんでやることによって生まれるのかもしれません。楽しいこと、したいことをしているときは、あっと言う間に時間が過ぎていくのですから、それは集中しているということになるのかもしれません。
同時に色んな作業をする、たとえばながら作業みたいなことをしているのはきっとどちらかに偏ってしまうし、どちらも中途半端になってしまうのかもしれません。それではただ時間がもったいないだけになってしまうのかもしれません。
なので、テレビを見るときはテレビだけを見る。パソコンをするときはパソコンだけをする。読書をするときは読書をするというようにして、飽きて集中力がなくなってきたら辞めるようにすればいいのだと思います。
一つずつ正確にこなしていけばいい。そんなことを思っているカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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