2017年06月30日

カルボレンといいます! 〜その502〜

なんでもいいことにこだわるということは素晴らしいことです。誰の目にも止まらないようなことであったとしても。それにこだわって、それだけを追求することで誇れるものへと変化していく。そんなことをたくさん見てきました。身近なことであったとしても、特殊なことであったとしても、どんなことでも追求することで素晴らしい技術、技として認められることでしょう。ゴミを投げてゴミ箱に入れるという行動でさえも、それが一回だけの偶然ではなく、何回も連続で、かつ確実に真ん中に入れることができるのであれば、それは素晴らしいものとなります。きっとそのことによって誰か喜んでくれる人がいるかもしれませんし、大きなものに取り上げられるかもしれません。偶然を確実に行うことができる。些細なことを突き詰める。そんなことで人から凄いと尊敬されることが可能なのかもしれません。
人から尊敬されたり、すごいと言われることは簡単なのです。ただ何かに熱中をして、それが他の人よりも優れていればいいのです。そして、それは一般的であればあるほど共感してくれる人が多いというそれだけのことであり、ライバルが多いほど、その尊敬やすごいという声が大きいというだけの話です。
限られた人だけで構わない。自分の好きなことで笑ってほしい。そんなことを思っているカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年06月29日

カルボレンといいます! 〜その501〜

重さというのは人によって感覚が異なり、ある荷物を軽く持ち上げることができる人がいたり、重そうにしている人がいたりと様々です。それは人の持っている筋肉だったり、その個体によって軽々と持ち上げることのできる重さというのは異なりますが、重さというのは一定であり、その場に留まり続けています。同じものであるというのに、人によって感じる重さが違うというのは、なんとなく不思議な感じがしませんか。
ただただ人によって持っている力が違うだけ。ということがあるかもしれませんし、同じ重さでもその物質の持ちやすさによって決まる。という面白くない事実を言う人はたくさんいます。色や形によって重いように錯覚しているとか、理論的なことを言う人がいるかもしれません。どれも正しいのです。重さは変わりません。変わっているのは、それを持ちあげようとしている人間の違いしかないのです。
真実ばかりを追い求めてしまってはつまらなくなってしまうのかもしれません。どうしてなのだろうと考えている時が一番面白いのです。そう考えると色々な知識を蓄えて御託を並べるようになってしまったら、この世界は面白くなくなってしまうな。なんてことを思ってしまったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年06月28日

カルボレンといいます! 〜その500〜

500というのは結構、特別な数字なのかもしれません。きりがよく、そして見た目も綺麗な500です。だからといって、特に特別なことはありませんが、区切りというのは嬉しい気分になるものです。記録などを取っていて、きりのいい数字になると喜ぶことが多々あります。なので記録をとるということは素晴らしいことなのかもしれません。
どんなことでも記録をとっていると、わかることがあって楽しくなります、今日は平均以上だった、平均以下だった。という常にわかることから、今日は今までで最大だった、逆に最小だったというように、その変化の大きさがその統計を取っている人に印象を与えてくれるものであってくれるのです。
そう考えるとどんなことでも記録をしておくと、常に新しい発見をすることができるチャンスを得られるのかもしれません。人々の生活の中には、しっかりと数値化することができるもので溢れているのですから。毎晩、体重を測るという動作をしている人は多いでしょう。しかし、それをわざわざ記録して平均を出し、そしてそのデータから得られる情報を調べる人は少ないのかもしれません。せっかく数値を手に入れるのですから、そこから分かることをしっかりと調べ上げるというのも楽しいのではないでしょうか。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年06月27日

カルボレンといいます! 〜その499〜

ずっと同じ体勢でいると疲れますが、それでもいなければならないときがあります。少しでも休憩することができたらいいのですけどね。せめて、一時間に一回くらいは立ち上がって、背伸びをするくらいのことはさせて欲しいと思います。それだけでも少しは回復することができるのですから。
同じ体勢でいることなど、ずっと同じだと疲れてしまうことがあります。なので同じことにこだわらず、いったん別の形にしてみたりすることは必要だと思うのです。どんなことでも同じことを繰り返すというのは大変であり、苦痛を生じるものなのですから。
あらかじめ休憩をする時間や切り換える時間を決めておくとそれまで頑張ろうという気持ちになることができます。人は決まった時間内ならば、頑張りやすいのです。いつまでやればいいのか分からない状態で、ずっと同じことを続けていると、その時間が永遠に感じ、いつまで経っても終わらないような気分になるのかもしれません。そんなことにならないように工夫をすると毎日を疲れずに過ごせるかもしれませんね。そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年06月26日

カルボレンといいます! 〜その498〜

日によって調子が違うのは当たり前です。それでムキになっていつも通りの力を出そうとすれば、それだけ力んでさらに悪くしてしまうことがあるでしょう。だからこそ、そんなときこそ力を抜いて、そのときの最善をするしかないのでしょう。
力を抜いてやったほうが力が入るときもあるのです。力をこめることで芯を外し、うまくいかないこともあるのでしょう。調子がいいときはきちんとしていても、調子が悪いときに生じてしまうずれを、その日その日で調整することによって少しでも捕らえられるようにしていく。それがその日のベストということになるのではないでしょうか。
今までの生活を振り返ってみると無理をしてきたこともあったのかもしれません。無理をすればするほど、どんどんと悪い方向に進んでいく様に感じるのです。確かに悪い方向に進んでいることもあるでしょう。そんなときにはいったん一息ついて、冷静に状況を把握し、力を抜くことが必要なのかもしれませんね。そうすれば少しずつ前の状況に戻ることができるのではないでしょうか。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年06月25日

カルボレンといいます! 〜その497〜

自分の見ている世界だけが世界ではなく、この世界は広くて把握しきれないのです。自分の世界と他人の世界、そして何の意志も影響しない世界に分かれていて、その大きさを比べると自分の世界はあまりにも小さいのかもしれません。この世界は広すぎて誰も把握することができず、自分の見ている世界だけを知って、世界を知っている気になっているだけなのです。表があり裏がある、楽しさの裏には苦労がある。笑っているように見えて、実は泣いている。そんな状況になって初めて、人はその世界を知ることができるのです。そう考えると自分の知っている世界は、全体のどれくらいなのでしょうか。とても考えることができないほどに微細なものなのでしょう。
そうしてこの世界から脱け出して、別の世界に入ってみたいと思っても、その世界からは否定され、拒絶され、そして排他されるのです。そう考えると自分の世界だけでもしっかりと把握しておこう。なんて、そんなことを思うのです。
自分の世界のことを知らない人が深い闇を見てはならない。自分の世界を押し広げて、そして見えてくる世界が自分の限界なのだということを把握するべきだと思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年06月24日

カルボレンといいます! 〜その496〜

ジンクスやおまじないという形で自らに制限をかけることがあります。それをしないとなんだか落ち着かなくなったり、うまくいかなかったような気がする。それはきっと思い込みの力なのかもしれません。脳が勝手に、この行動をした後はうまくいく。とインプットしたために、それをしないとうまくできないと体が思い込んでいるのかもしれません。なので、それをやった後はうまくいくということを身体に教え込むことによって、調子を常にキープすることができるのかもしれません。
どんなことでもいいのです。簡単なことでいいので、やるべきことの前に何か動作をする。手を高く上に掲げるとかそんなことでいいのです。その習慣をつけることによって、気持ちが切り替わり、その行動を成功へと導くきっかけになってくれるのかもしれません。一種のくせのようになったのであれば、きっとどんなときでも同じだけのパフォーマンスを出せるようになることでしょう。
そのためには成功のイメージと動作との関係を関連づける必要があって、その作業は簡単ではありません。続けることで定着するのでしょう。毎日、続けていこうと思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年06月23日

カルボレンといいます! 〜その495〜

最近、落ち込んでいることが多いカルボレンです。落ち込むときは落ち込む要因になるような出来事が立て続けに起こっているような気がしますが、実際にはそんなことはないのです。普段は普通に思っていることでさえも、いつもよりも不幸だと思ってしまう。それは自分が今落ち込んでいるから悪いことが起きる。ということを思っているからなのでしょう。悪い気持ちのときは悪いことが起こると思い込んでいるのです。
どんなことが起こったとしても嬉しいことだと考えることができるのなら、落ち込むことはないのでしょう。ポジティブな人はどんなことがあっても、マイナスのことを考えることはないのかもしれません。辛いということさえも気がつかないかもしれません。そんなふうになるためには、初めはどうすればポジティブに考えることができるのか。ということを考え、そしてそれが自然にできるようになるまで。悪いことを頭の中から除外し、楽しいことだけを考えることができるようになったら、きっと誰よりも幸せ者になることができるのでしょうね。そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年06月22日

カルボレンといいます! 〜その494〜

食べたいものを食べようと思ったときに、すぐに手に入るようになったので、この季節だからこれを食べよう。ということが少なくなりましたね。今の時期の旬はなんだろう。なんてことはだんだん必要なくなっていくのかもしれません。それほどに味に大差がなくなってきているのかもしれません。そう考えると何も考えずに自分の好きなものを好きな時期に食べることが幸せに感じるのかもしれませんね。
色んなものの旬について考えてみたりしているのです。どんなもの、どんな事柄にも旬はあるのだと思います。それが曖昧になっていたり、一年中旬、その年だけ旬、その瞬間だけ旬などあるのかもしれません。きっと自分自身にも旬があるのかもしれませんし、あったのかもしれません。人間の旬はいったいいつなのかと考えると、少々面白いのかもしれませんね。あなたの旬はなんですか。そんな話題に旬がくることはあるのでしょうか。考え始めるとよくわからなくなっていきます。
旬はそれほどに複雑なことではなく、美味しいと思う時期であるならば、人によってそれぞれ感じ方が違うのです。自分にとっては旬、という風になればいいのだと思います。そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年06月21日

カルボレンといいます! 〜その493〜

ひどく落ち込んだときはリフレッシュが必要ですが、リフレッシュはどんなことが良いのでしょうか。どんなに落ち込んでいても、いつも同じことをしている人にとって、何をしたらいいのかなんていうことは分からないのかもしれません。リフレッシュとはいったい、なんだったのでしょうか。そんなことを思いながら、きっと何もしないことも一つのリフレッシュだということを感じるのに、だいぶ時間がかかったものです。自分の存在を一瞬でもニュートラルにすることができるのなら、それだけ余裕が生まれるのかもしれません。人には余裕が必要なのです。そうしなければ何も気がつくことができないのですから。
何もしないということと、眠るということは少し違うのかもしれません。何かを見ているようで見ていない。何かに集中しているようでしていない。眠っているように見えて眠っていないというくらいですが。眠るとの違いは意識をして無になっているということなのかもしれません。頭の中を空っぽにして何もない瞬間を作り、落ち込んだ自分を客観的に見る余裕を作ることでリフレッシュすることができるのではないでしょうか。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 20:15| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする