2017年08月31日

カルボレンといいます! 〜その563〜

闇の中に勝手に生物を生み出すのは自由です。人は暗闇や何も無い空間に、得体の知れない生き物を生み出して怖がったり、楽しんだりすることができるのです。私はその生き物たちを愛し、そしてより具体的に表現したいと、そう考えている人でもありますが、そのイメージは私の頭の中にしか存在せず、より正確で、より具体的にその姿を文章として描かないと、まったく伝わらないことでしょう。自分の目でしか見ることのできないものを人に正確に、そしてわかりやすく伝えるということは難しいものです。言葉一つによってそのものは強大になったり、弱小になったりする。そんな言葉を正確に使うことができたのならば、誰も見たことのない私だけの生き物を、この世界に産み出すことができる。その生き物たちの産みの親になることが可能なのでしょう。
しかしそれは簡単なことではなく、実際に何かを現実に物を生むのと同様に難儀なものとなるでしょう。自分が描きたいものが描けるようになるまで、永遠に勉強し、永遠に訂正し続けて、死ぬときにようやく満足できる。そんな人に慣れたらいいなと思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年08月30日

カルボレンといいます! 〜その562〜

自分で物語を作りたいと思ったときには、その情景を思い浮かべなければならないのでしょう。その形が明確であればあるほど、より精密で美しい物語を書くことができるのかもしれません。イメージを持つことが良い物語を作るために必要なのかもしれません。なのでより現実に近いイメージしやすい物語のほうが良い物語になることでしょう。ということは現実が面白く、より不可解なものであれば面白い物語になるのかもしれませんね。自分にとって現実がどんな現実なのかはわかりませんが、実際に体験をする現だとするのなら、きっとどんなことでもいいのでしょう。自分が体験したことを物語にする。そうして紡がれた物語を文字という形で浮き上がらせることによって、他の人にも伝えることができるというのならば、とてもいいものなのかもしれませんね。
自分の頭の中に自分の分身を作り出して、頭の中の世界を放浪させることもあります。そこで出会う人々も建物も実際の世界をモチーフにした少し違った世界の中を。その中でも大きく現実と違っている部分の物語を体験し、書くことができたら楽しいかなと、そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年08月29日

カルボレンといいます! 〜その561〜

人は優れていなくてもいいのです。別に見栄を張ったりする必要はなく、自分は自分らしくあるべきです。疲れてしまいますからね。疲れないように自分が普通であると思うべきです。どんなに優れていても限界がくるのなら普通でありたいと思います。どんなに頑張っても手に入らないものがあるとしても、それが自分の力量が足りないからと思うのではなく、それが普通だと考えたほうが楽なのですから。
優れていると思っている人ほど、できないことを普通とは思わず、自分の力が足りないからと考えてしまいます。そんな自分が嫌になることがあるかもしれません。そんなふうに思うくらいなら自分は普通であると思っているほうがいくぶんマシなのかもしれません。優れていないほうが気楽なこともあるのかもしれませんね。
そもそも優れているとはどのようなことをいうのでしょうか。生まれてきて人は必ず一度は自分が優れていると思うのかもしれません。それがいつまで続くのか。いつ気がつくのか。それは個人差があるのでしょうが、見栄を張り続ける人は優れていたい憧れが強いということ。優れていないからこそ、考え過ぎるのかもしれませんね。
優れていたいと、そう思ってしまうカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年08月28日

カルボレンといいます! 〜その560〜

自分が求めているものはついつい大きく見がちになり、見失ってしまうこともあるのかもしれません。人は自分が欲しいと思っているものを過大に評価してしまうことがあります。するとその物事を見ることができなくなり見失ってしまいます。世界最大だと言われてどれほど大きいのかと期待をして向かったら、そもそもの比較対象が小さく、たいしたことがなかったためにがっかりする。それに似ているのかもしれません。求めているものが思ったよりも小さいとしても見逃さないようにしたいと思うのです。
大きいものは目に入りやすく、どうしても気になってしまいますが、そのために下に転がっている無数の小さいものに気がつかないことがあります。その小さいものの中に大切なものがあっても気がつかない。それが自分の求めているものであったとしても。
人が求めているものを手に入れるためにはたくさんの障害があり、物陰に隠れていることもあるのかもしれません。そんなときは見た目だけで判断せず、触って確認することも大切なのではないでしょうか。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年08月27日

カルボレンといいます! 〜その559〜

この手で何かを生み出すというのは楽しくて嬉しいものですね。何でもいいので自分の手で何かを作ってみると、なんだかそのものに対して愛着が湧くものです。文章であってもそれは同じで、美味しい果実が豊作になったかのような楽しさと嬉しさがあるものです。畑で作業をしながら美味しい作物ができますように。と願うことと、いい文章ができますようにとあらすじを書いているときの気持ちは似ているのかもしれません。何かを生み出すということは、それだけその人にやる気と力を与えてくれるものなのです。
それは新しいことでなくてもいいのです。ただ同じ消耗品のようなものであったとしても、作っていくと自分だけのオリジナルのように感じてしまい、特別視してしまうこともあるのでしょう。それは自分にとっては良いことです。自分なりにも評価をつけて、自分を高めていくこともできることでしょう。色んな楽しみ方をすることができる創作という作業を、私はいつまでも続けていきたいと、そう思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年08月26日

カルボレンといいます! 〜その558〜

つらいときはつらいと言ってもいいのでしょうか。たとえそれが自業自得であったとしても。それは言ってもいいのでしょう。つらいことには変わりはないのですから。
つらいときはなにをしてもうまくいかない気分になりますが、それなりに行動することができます。それが逆に自分にとってつらいものになることでしょう。自分が今まで通りのことができないということになるのですから。自分が普段できていることができないということはつらいことなのです。つらいは積み重なっていくことでしょうから。
つらいときはどんなことでもつらいと感じるものです。普段は何も思わないことであったとしてもつらいと思って、さらにつらくなるのです。そうして自分は不幸な人間だと思ってしまったとき、人は人生のどん底にいるような気分になることでしょう。
人生のどん底というのは一つのつらいから始まっていることが多いのです。それを改善することができればつらいはなくなるのではないでしょうか。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年08月25日

カルボレンといいます! 〜その557〜

どんなものであっても、一度は受け入れてあげる余裕が必要なのかもしれません。自分が知っている事実とは異なったとしても、知らなかったことだったとしても、自分が考えていることと違かったとしても、その目の前のことが真っ向から間違っていると否定してしまっては考えることをやめ、どうしてその考えが出たのか、ということを知る機会を失ってしまうのです。柔軟ではありません。
どんなに間違っていると思ったことであっても、一度は噛みしめてみるといいのかもしれません。どんな味がするかはわかりませんが、何かしらの味はあるはずなのです。今までに感じたことのない味が。私はその味がたまらなく好きなのです。
しかし、何度も同じことを言われると、だんだんと鬱陶しくなります。もうそれはいい、と思ってしまいます。それでも、とりあえずはいったん受け止めるべきです。そして、どうしてそうなったかを聞くと、違う角度から見ていて「そんな考えがあったのか」と思えるきっかけになる可能性があります。そんなことを積み重ねていくことで知識は確かなものになるのではないでしょうか。
そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年08月24日

カルボレンといいます! 〜その556〜

神話生物が好きで、よく探しながら街を歩いているのですが、そうして歩いていると、ふとした陰でさえ、それなのかな。なんて思ってしまうものです。ちょっとした物陰に変わったものがあると、まるで引き寄せられるかのようにそっちのほうに向かっていき、その正体を知ってがっかりとしてしまう。そんなものです。
そう考えると、正体を知らなければその場所にその生物は居続けるわけで、それが一つの伝承や噂話に変わっていくことでしょう。この世界はそんな話ばかりが存在しています。そしてそのうちのいくつかは確認できていないだけで本当のことなのかもしれません。不確かな事実というのはそのぶんだけ甘美であって、惹かれるものがあるものです。
噂で聞いていることの真偽はどうであれ、その物語が面白いからこそ、事実であってほしいからこそ広がっているのです。それが本当である、嘘であるということは問題にはならず、正しいことであったとしても噂としたほうが早く広がっていき、事実と分かったら収束していく。嘘のような本当の話より、本当のような嘘の話のほうが楽しいといったものかもしれません。自分の得になるのならなおさらです。
皆さんもそんな夢を見られるといいですね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年08月23日

カルボレンといいます! 〜その555〜

まったく喋らないほうがいいこともありますが、喋らないと何も伝えることができません。でも喋らなくても伝わることはある。何も話さなくても考えていることが伝わるのは伝えるのが上手か、それとも読み取る力が上手なのか、それは知りませんが、それを見ると仲が良いのだな。なんてことを思ってしまいます。喋らなくても考えていることが伝わるということは仲が良いということの表現としても使われ、一つの指標として用いられているものなのかもしれません。
そう考えると、人との付き合いの最終形態は喋ることなく思いを伝える、まるでテレパシーのような状態で会話することなのかもしれません。お互いに考えていることを送受信し、伝え合うことができる。声で感情を読み取ることができるように表情や態度で、もしくは雰囲気によって思っていることを感じ取ることができる。たとえそれが初対面の相手でも。そうなったらこの世界はとても平和で休まらない世界になるかもしれません。事件や事故が起こる前に、声をかけることができるようになったり、危険があることを知ることができるのですから。
そんな形が色で表現される世界であれば、とても色とりどりで美しいだろうな。なんてことを街を歩きながら思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年08月22日

カルボレンといいます! 〜その554〜

何もない。存在しない。そんなことがあるわけない。そう思うことは実に簡単です。そこで考えることをやめればいいのですから。しかしこの世界は広く、宇宙はどこまでも続いている。その宇宙に浮かんでいる一つひとつの星々をくまなく探していくと、それは存在しているのかもしれない。そう考えるとすべてを確認するまで「何もない、存在しない」ということはできないのです。
この世界、この空間だけでなく、別の世界、別の空間も含めると無いものなんて知らないだけでたくさんあるのかもしれません。探す努力をしていないだけで、ただただ諦めているだけなのかもしれません。探してみてください。そして新しいことを発見し、それが存在するということを認識してください。そのとたんにそれは「存在する」ということが決定し、この世界の一部になることでしょう。この世界に存在するもののすべては「存在しなかった」ものが「存在している」ものへと変貌を遂げた結果に成り立っているのですから。
探す努力をした結果は必ず報われるときがくる。その経験を引き継ぐことができ「この部分には存在しない」ということを証明することができれば。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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