2017年09月30日

カルボレンといいます! 〜その593〜

やり続けることができることは幸せなのかもしれません。ですがそんなことはほとんどの場合はできないのです。人はやり続けようとしても、何らかの理由で中断しなければならない事態になることもあるのでしょう。そんなときはテンションが下がるものです。ですが、再びやり直すこともできます。それまでモチベーションを維持し続けることができればいいのですが、それは可能なのでしょうか。
一度冷めた熱が再び熱くなるのには時間がかかるのかもしれません。ゆっくりと時間をかけて温めてきたものが一気に冷めていくと変性してしまい、二度と温まらないことだってあるのでしょう。なので私は提案します。時間のかかるものは時間があるときにやるべきです。熱中するためには時間が必要なのかもしれません。そして、一度温めたものをもう一度焚くことがないようにしたいものです。一度限りだからこそ、やり続けることができるということもあるのかもしれませんから。
ただ、本当にやり続けられるものは好きなもので、好きなものは何の制限もなく続けることができるのかもしれません。結局は好みなのでしょうか。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ

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2017年09月29日

カルボレンといいます! 〜その592〜

夢中になれるというのは素晴らしい、おかげで私の体はボロボロです。
やる気があることはいいのですが、体力が追い付いていないこともあります。
体力の量を考えないで、気持ちだけでやり続けることはできます。しかし、その後にまっているのはやり終えた作業と消耗した自身なのでしょう。限界を知っているからといって、その限界を見極めてやるというのは難しいものです。終わった後からくる疲労の波に、その次の日は押し流されて、立ち上がることさえも億劫になってしまうことでしょう。
私にはストッパーがないらしく、限界を超えて動いてしまうことがあるからこそ、自分の体を犠牲にして、何かを成し遂げるということが当然のようになってしまっているのです。それは問題であって、あまり褒められたものではないのかもしれませんが、一つの私の個性なのだと思います。それを活かしてできることはどんなことでしょうか。
誰にでも個性があるのです。それをどう活かすのか考えるのが大切なのではないでしょうか。そう納得させてボロボロの体を癒しているカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年09月28日

カルボレンといいます! 〜その591〜

無駄なことを全力でするというのはいいことですね。やってもなんの得もないようなものをひたすらにやり続けるということは気分転換にいいものです。無駄なことでも一時の充実感や達成感を得ることができる。人生はそんなことばかりを繰り返していると思います。それが何かに活かされると思っていても、意外と活かされず、それを行ったことがあるという結果だけが残るのでしょう。それを誇りたくなる気持ちはよくわかりますね。それに対して達成感を得ているのですから。自己満足というものです。
自己満足は極めて楽しいものです。惹かれるものです。どうしてもくり返し、やってしまうものです。やるべきことなのです。やることで自分のことを維持することができるのです。そして一人の人間観が誕生するのかもしれません。
そうして得られるものがひとりひとりの個性であり、誰もが違うものに対して違う達成感を得ることができるのです。だからこそ、無駄なことを全力でやろう。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年09月27日

カルボレンといいます! 〜その590〜

ごちゃごちゃしていると複雑なように見えるものであったとしても、整理をしてみると意外と単純なものというのはたくさんあります。なので私は複雑そうに見えるものを少しずつ整理していくことが好きなのかもしれません。バラバラのデータを一つにまとめたり、そのデータをさらに細分化したり、その中から欲しいデータを抽出したりと、できることはたくさんあるのです。複雑に混じっているとしても、ゆっくりと分けていけば、いずれは欲しいものを手に入れることができるのかもしれません。それを私は楽しみに、整理の作業を続けているのかもしれません。
そんな整理をするときには、まず身のまわりを見たときに雑に置かれているものから整理してみるとその重要性が分かるのかもしれません。整理をしていくと、新しい発見があるのかもしれません。そのときの嬉しさを私は忘れることができないのでしょう。どんなことでも整理をしてしまいたくなります。
ただ、それは自分の興味があることに限定されるのは問題かもしれません。興味があるものとないもので大きな差があるのは嫌なものです。まずは、この汚い文章を整理する術を知ろうと思った、そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年09月26日

カルボレンといいます! 〜その589〜

この世界の不思議はふとした瞬間に見つけることができるもので、すべて知り尽くしていると思っているものであったとしても、それが目に錯覚によってまったく違うものに見えることがあるのです。そのときに驚き、事実ではないと知っていたとしても、そのインパクトによって虚像が記憶に残ってしまうこともあるのです。勘違いしてしまうことは恐ろしいことですね。人はよりインパクトの強いほうのものが残るということがあります。今までの記憶を上書きして、まったく違う性質のものと捉えてしまう。それはとても恐ろしいことですね。歳を重ねていくごとに「こういうものだ」という考えで固まり、さらに「実はこういうものだった」という強い実感によってまったく事実ではないことを事実と認識しないために正しいことを常に知る努力を怠らないことが大切なのかもしれません。
それでも、人はそんな見間違えたものを楽しく思うのです。そうして勘違いをして、事実との差が大きければ大きいほど、面白がって見ることでしょう。幽霊の正体見たり枯れ尾花とはいい諺です。怖いと思っていれば怖いものが見える。面白いと思っていれば面白いものが見える。物体は見る人の気分によって形を変えるのかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年09月24日

カルボレンといいます! 〜その587〜

言いたいことを言っても大丈夫なような世界だといいな。なんてことを思います。思ったことを思ったように言えたら、気持ちは楽になるのでしょうか。きっと楽になることでしょうね。いくらでも人は自分の思いのままに考えたことを吐き出すことができるのですがその結果が恐くてたまらないのでしょう。言ってしまったらどんな反応をするのか。それをなんとなく気がついているからこそ、思っても言えないということがあるのです。今のままでいたい。今の関係を保ちたい。穏やかな時間を過ごしたい。だからこそ、本当に思ったことを語らず、上っ面の言葉で濁すのです。それはこの世界の中で生きるためには必要なことなのでしょう。
考えても分からないときに言ってしまった一言が、誰かを傷つけているのかもしれない。そう考えると言葉を語るのは怖くなります。文章でもなにげなく書いた一行の文章でたくさんの人たちのことを傷つけることができる。言葉を理解することができるというのは、それだけ傷つけることも傷つくこともできるきっかけをつくるのもなのかもしれません。そう考えると言葉というのは禁じられるべきなのかもしれません。
言いたいことが言えない世の中は常に禁じられている、そう感じたカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年09月23日

カルボレンといいます! 〜その586〜

人は見た目が大切なのだと思います。第一印象は見た目が大切で、見た目が悪い人は良い意味でも悪い意味でも色んなことが起こります。私のように見た目が悪い人は歩いているだけで人が避けて歩いてくれるので街中を歩くときはとても便利なのですが、いざ友達を作ろうとしたときは、第一印象で嫌われてしまうのです。一人でありたいというときは悪い印象は大いに役立ちますが、寂しいと感じたときには周りには誰もいない。そんな状況になったときは、見た目の悪さに後悔するのです。見た目が良い人はその逆、とはならないのも不思議な話ですよね。
人の見た目は刻々と変化していきます。いつの間にか良くなっていたり悪くなっていたり、何をしたのか、何があったのか。とても興味深くなることがあります。そんなときは聞いてみても分からないのでしょうから真似をするしかないのでしょう。そうして真似をしていくことで人の見た目は気にすれば気にするほど、一定のなにかになるのかもしれません。むしろ見た目にこだわっていないと思われている人のほうが、見た目をこだわっているのではないか。そんなことを思ってしまうカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年09月22日

カルボレンといいます! 〜その585〜

探求し続ける。それは簡単なようで難しいことなのです。人はある一定の割合まで調べ、知識として得るとそれで考えることをやめてしまいます。これ以上は得るものがないかもしれないけれどやり続ける。ということができなければ、探求し続けることができなくなるのでしょう。やっても無駄かもしれないことをする。それができれば人は考え続けることができるのでしょう。無駄なことだと知っていてもできる人は、普通では得ることができないほどのものまで得ることができるのかもしれません。そう信じて考え続けることが私にとっての幸せなのかもしれません。
一つのことを考え続け、そのことを極めるということ。それは価値があることなのでしょう。考え続けるために必要なことは、考えが行ったり来たりしてまとまらない状態を楽しむといいのです。本当に正しいのか。そう自分の考えを疑い続け、少しでも変な場所があったら考え直す。そんなことを繰り返して洗練されていくことを楽しむのです。そうしていつまでも探求をし続けたい。そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年09月21日

カルボレンといいます! 〜その584〜

何でも貯めることができたらいいなと思ってしまいます。貯めるためには保管場所が必要になるわけですが。今、私が一番貯め込みたいのは知識で、二番目は睡眠になります。ただひたすら知識を求めるために、睡眠時間を有効につかいたい。調子がいいときにまとめて行いたいというのに眠気がそれを許さないのです。何でもかんでも貯め込むことができたらいいなと思うのはそんなわけです。不要なものばかりを貯め込んで、必要なものを貯めることができないことがよくあります。そして、そんな無駄を省いたとしても必要なものが得られるというわけではなく、ただ身軽になるというだけのことなのでしょう。それでは面白くありませんね。出来る限り必要なものだけを集めたいと思うものです。
睡眠は諦めるとしても知識を蓄えることは簡単です。覚えたい知識を頭の中に入れていくだけでいいのですから。どんな知識を得たいのか。それを整理することで必要なだけ、好きなだけ得ることができる。そうして貯め込んだものを私は何に使うのでしょうか。そんなことを考えるカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年09月20日

カルボレンといいます! 〜その583〜

知りたいことの探求を続けていると満足感を得ることができるのです。その満足を得るために他のものすべてを捨てることはできますか。たとえ捨てたとしても、そのことを極めることはできないかもしれない。他の人とたいして変わらないレベルしか知ることができないかもしれない。それでもすべてを捨てるという選択肢を持つことができるのが人間なのです。なにか一つに特化することができるのも、すべて均等に得ることができるのもどちらも人間なのでしょう。探求はそのための行動の一つでしかないのでしょうから。
私は私の満足が行くほうを選びたいのです。そう考えると何か一つを得ることがいいと思ったのです。自分が知りたいことはいったい何なのか。それを求めて何を得ることができるのか。そう考えただけでも幸せになることでしょう。一つひとつ今まで培ったものを捨て、その代わりに一つのことを探求する。その結果として自分自身がどんな人間になるのか、そんなことに興味があるカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:10| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする