2017年10月22日

カルボレンといいます! 〜その615〜

つまらないものをやらなければならないときに、なにか目標をつけるとやりやすくなるのはよくあることです。なにか法則や、どんなものなのかを知ろうとすること。極めていこうとすることなど、様々な工夫を凝らしてつまらないものを面白くしようとするのです。その方法はそれぞれで、自分に合った方法を見つけるまで、工夫するのでしょう。
わたしにとっては一つの作業を繰り返し行うことが多いので、そこから得られる情報を数値化し、その数値をまとめることで、得ることができる結果から法則やルールを作りだすのが楽しいと感じる人なので、データの量を増やしながら、ブレがなくなるまでやり続けることができるのです。ひとつのデータから得ることのできないものも、数千、数万というデータが集めれば、そこから得られるものがあることでしょう。そのデータが確実になることはありませんが、限りなくそれに近づけていくことができる。一よりも百、百よりも千、千よりも億・兆・京とやっていくうちにデータはぶれのないものになっていく。それが楽しいのです。
そうしているうちに何時間も続けることができる、そんな作業を楽しみましょう。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月21日

カルボレンといいます! 〜その614〜

謎の雰囲気というものは楽しいものですね。自分の知らない世界、空間に入りこんでいくようなことがあると心が躍ります。神秘的であっても、冒瀆的であっても、わたしはその雰囲気を味わい、噛みしめ、そして自らの力に変換することができると嬉しい。そんなことを思うのです。
わたしはそんな雰囲気の場所を求めて、さまざまな場所に赴き、風を感じようと試みることがあります。場所によっては、相応しくないような不気味さを感じたり、心が躍るような感覚を味わったりすることがありますが、その理由がどうしてなのか、ということを考えるのです。明らかに普通の場所であるというのに、なぜか普通ではない。ちょっとした風に恐怖を感じたり、太陽の暖かい日差しに癒されたりすることもあるのでしょう。
しかし、場所によってはそんなファクターをなにも感じない場所だというのに心の奥底で何かを感じているような気がする場所もあるのです。記憶を掘り返し、どうしてかわからない気持ちに怯える。それはとても楽しいことなのかもしれません。
そんな場所はめったにありません。造られた、そう仕組まれた雰囲気では感じられないそんな場所。どこかに見つけられたでしょうか。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月20日

カルボレンといいます! 〜その613〜

まったく関係のないところで運をつかってしまうと、なんだかもったいないような気がしますが、運はあったり、なかったりするものではなく、常に一定にあるはずなのです。運が良い悪いは思い込みなのです。悪いと思えば悪い。良いと思えば良いのです。なぜなら運は常に平等にあり、良くも悪くもない位置で留まりつづけているのですから。
なので今だけは運が良くあってほしいと思っているときに限って外れると、人は運が悪いと思うのです。
逆に運が悪いからダメだと思っているときに運がやってくると、人は運が良いと思うことでしょう。
なので、運を確率として見ることで、自分の人生が常に50%の確率で動いていると思うといいのではないでしょうか。起こるか起こらないかわからない。あるかないかわからない。雨が降るか降らないかわからない。そんな50%の魅力としてはどちらになったとしても納得できるということです。確率がわからない運に関しては50%でありたいと願うものです。
運が良くても悪くても、結局わたしはここにいてなにかをしているのですが、そんなものによって自分の感情が動かされる。それが煩わしく感じてきたカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月19日

カルボレンといいます! 〜その612〜

人というのは思い通りの行動をしないものです。人の行動を完全に把握することはできません。もちろん、思い通りにすることなんてできないことでしょう。それはときに自分自身を傷つける原因になるのかもしれません。ですが、それは人と一緒にいるうえで仕方がないことなのかもしれません。自分自身が相手の思った通りに動こうとしても動けないように、相手も自分の行動を計りかねているからなのですから。
だからこそ思うのです。かみ合わなかったとしても仕方がない。そんなときにどんな反応をするのか。どんな気持ちでいるのか。それが大切なのかもしれません。思い通りにならないとしても、自分はこう思っている。相手を思いやる。ということができればいいのかもしれません。相手を手玉にとるのではなく、相手と共感しあう。自分が妥協する。お互いに妥協し合うことができたのなら、問題はないのかもしれません。
しかし、そう思わない人ばかりだということは明らかで、自分がよければそれでいいという人がたくさんいるのです。そんな世界ですが、そんな人たちも認め、仲良く生きていかなければいけないのでしょうね。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月18日

カルボレンといいます! 〜その611〜

おや、もうこんな時間ですか。
そう思う日もたまにはあります。なにかを必死でやっていたり、夢中でやっているとときが経つのを忘れて、過ごすことができるものです。朝起きて、いつのまにか夕方、いつのまにか夜ということもあるでしょう。
それに対していつまで経っても夜にならない日もあります。それはどちらのほうが幸せなのでしょうか。
一日が長いという人は一日の重みを知らず、一日が短いという人は時間を無駄にいる。そんなことを思うのかもしれません。どちらも損をしていると思うのです。
ならばこそ、一日が長い、短いということを考えずに、毎日毎日が一定であり、いつも通り一日が始まり、一日がいつも通りに終わるために、時間が長かった。短かった。という感想がないほどに平凡に忙しい一日というものが理想のような気がしています。気にしたら負けというものです。
時間というものは必ず一定で過ぎていくもの。それは間違いないのです。なら難しく考えてしまえばしまうほど損をするのかもしれません。考えないようにしたいものです。
しかし考えないようにすると、なにもかもを考えないようになってしまう。時間というものはすべてのものに密接にかかわってくるものなのです。めんどうなことですね。
時間に追われ、どうすればよいのか答えを出せない、そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月17日

カルボレンといいます! 〜その610〜

夢中になってやっているといわれることがあります。どうしてそんなにも続けることができるのかということを。しかし、そんなことを言われても困ります。それがしたいからしているのですから。そこにその作業があったからとしか言いようがないのです。そうして続けていると自分が満足感を得ることができる。ただそれだけで他人が驚くような集中力を発揮して、やり続けることができるのでしょう。気がついたら一日が終わっているなんてこともよくあるのではないでしょうか。気がついたら一日中、庭に生えている雑草を抜いていて酷く喉が渇くことだってあるのでしょう。こだわりがあってこそ、やり続けることができる。この庭がキレイになるためだったら、どんなことに時間がかかったとしても、雑草を抜き続けることができるのです。
傍から見ればどうしてそんなことを続ける事ができるのか。と思うかもしれません。ですが「庭を綺麗にしたい」というのが原動力となり、理想の形になるまで続けることでしょう。なにかに夢中になっていると、その形になるまでやり続けることができるのです。たとえ無駄なことだとしてもやってしまうのです。そんなものでしょう。
夢中になるのは自分には理解できる理由がある。そう思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月16日

カルボレンといいます! 〜その609〜

目をつぶって暮らしていると、普段見えているものが見えなくなり、とても不安になります。暗闇を怖れ、目の前に何があるかわからないことが嫌になることでしょう。普段触っているものも、手触りが違うように感じ、食べたものの味もいつもとは違うような気がする。それほど目が見えている人にとって視覚とは大切なものなのでしょう。普段、感じているものがまったくの異質になることがあり、そんなときは疑問を感じ、恐怖を感じるものなのかもしれません。
目をつぶって動きまわる違和感を、今の私は感じているのかもしれません。普通に今までのように生活をしているつもりだというのに、どうしてなのでしょう、違和感を感じ、自分が自分ではないような、そんな気がしてしまうのです。
そんなときはたいてい、疲れていたりして、思い通りに動かすことができないのだと自分に言い聞かせることは簡単ですが、自分の行動がなにかの影響によって制限されているのかもしれないということを考えることができるのかもしれません。自分の知らない未知の力が働いて違和感を生みだしているのかもしれません。それはわからないことでしょうね。
そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月15日

カルボレンといいます! 〜その608〜

食べものがおいしい時期になりましたね。食べ過ぎて体調を崩さないように注意しなければいけません。
おいしいからといってたくさん食べてしまうと体調を崩したり、体重管理が難しくなるのです。
でもよく考えるとどの時期でもおいしいものがそこらじゅうにあるこの世界では、自分自身の管理というものは難しくなっているのかもしれません。運動をする機会というものも徐々に減っていっていますしね。
食べて、食べた分だけ体を動かす。そんなことが昔は容易にできたのです。いまでは限られた土地で、限られた時間で、限られた人が一定のことをすることが多くなり、おいしいもので得たエネルギーは、消費されずに蓄積されやすくなっていくのかもしれません。なので、自分が動く分だけのエネルギーを補充できればいいのですが、おいしいものはそれを邪魔するのです。
そう考えると、いま過ごしているこの世界のおいしくなっていく食べものたちは、わたしたちにとって害になりうるものなのでしょうか。そんなことはないと思います。おいしい食べ物も食べる量をきちんと管理できれば良い仲で居続けることができるのでしょう。
なにごともほどほどが大切なのだと思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月14日

カルボレンといいます! 〜その607〜

お風呂に入りながら夢を見るというのはたまにあることです。うとうとと眠っているうちに懐かしい顔が浮かんでは消え、浮かんでは消える。いつの間にか見覚えのある場所に立っていて、そこで起こった印象的な出来事が起こっているような錯覚を覚える。布団のなかで見る夢よりもより具体的ではっきりとしている気がするのはどうしてでしょうか。それは入浴中の睡眠は危険だということを頭のなかで認識していて、無意識のうちに半分寝ていて半分起きている状態だからなのかもしれません。
夢というのは見る場所によっても時間帯によっても違うのかもしれません。それは頭のなかで無意識に思っていることが関係しているのかもしれません。夜に眠るときは「眠りにつかなければならない」という気持ちがあるのでしょうが、昼間にベットに横たわるときは「こんな時間に眠れるなんて幸せだ」なんて思ったり「こんな時間に寝てもいいのだろうか」という葛藤があるかもしれません。ベット以外の場所では「こんなところで寝てはいけないのに」という気持ちがあるかもしれません。そんな気持が夢によりあらわれているのかもしれません。
そう考えるといい夢を見たいときは自分の求めていることで満たされているときに見るのかもしれませんね。そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月13日

カルボレンといいます! 〜その606〜

やりたいことが多くて困ります。ひとつひとつをやっていたら人生が足りなくなってしまうほどに。人がやりたいことというのは挙げていったらきりがありません。そのうち、生きている間にどのくらいのことをすることができるのか。そんなことを考えてしまいます。
人の人生は思っているよりも短く、そして毎年毎年衰えていく自分の体が怖ろしくなるのです。昔は出来ていたことができなくなり、新しいことを覚えようとしても覚えにくくなる。昔のようにはいかないことが増えていき、どうしてこんなことをしていたのだろうと、無駄に過ごした日々を悲しむのかもしれません。自分がいずれは消える存在であるということに気がついたとき、恐怖を感じることでしょう。生きるということはそれだけ恐怖を感じることなのかもしれません。
自分よりも歳をとっている人がいます。その人たちの歳にいずれ近づいていき、いつかは超えることになるのでしょう。自分が老人になったとき、どんなことを思うのだろう。そう考えると今の自分がなんともったいないと思うのでしょうか。
いざ死の間際にたったとき、自分がなにを考えているのか。そんなことを考えていたカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:46| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする