2017年10月31日

カルボレンといいます! 〜その625〜

最新の技術を見ていると、なんとも魔法を見ているような気分になります。どうしてこんなことになったのか。それが見ていてまったくわからないことがしばしばです。今では完全に解明されていることであったとしても、それでも知識がないために理解できない。そんなことがたくさんあるのです。何十年も前の技術だというのに、その構造を知らないために魔法のように見えるのですから、見たこともない技術が得体の知れないものに見えてしまうのは仕方がないことなのかもしれません。未知のものというのは、知ってしまえばなんてことのないものだとしても、とても優れていて、特別なものに感じてしまうのかもしれません。
逆にいってしまえば、知識があると、どんなものでも魔法だと思えなくなってしまう。感動というものが少なくなってしまう。そんな感覚を感じることさえなくなってしまう。それは寂しいことなのかもしれません。無知であればあるほどに、人は感動を覚えることができる。幸せを感じることができる。それはたった一度きりのプレゼントなのかもしれないのです。
そんな感覚を忘れないうちに形にしないともったいないのかもしれませんね。文字という形で遺したい、そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月30日

カルボレンといいます! 〜その624〜

なにもしなくていいと言われたら、あなたはどうしますか。何もせずに居られるでしょうか。何時間も、何日も何もせずに、ただ坐っているか、横になっているか、ただ、立っているだけで生活していく。それができるのでしょうか。私にはできないことでしょう。きっと何かをし始めるのです。じっとしているということは苦痛なのかもしれません。時間があったらなにかをしなければならないという気持になるのです。それはどうしてなのでしょうか。特に時間が大切だと思っているわけではないのです。しかし数分間、黙って座ることさえできない。そんな人もいるのではないでしょうか。
結局、人は高い頭脳を持っているからこそ、じっとしていることができないのです。じっとしていると、自分の考えに押しつぶされてしまうのですから。そう考えると、人は動き続けるために物事を考えるのではないか、ということを思ってしまうのです。なにもしなくていいということはなにも考えなくてよいということに似ています。人は考え続けるかぎり、なにかをし続けなければならないというのは仕方はないのかもしれませんね。
そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月29日

カルボレンといいます! 〜その623〜

疲れると目が痛くなるのはどうしてでしょうか。脳がまるで目を押し出してしまっているようです。押し出されても出ることはできず行き場を失ったその力が眼球を潰そうとしているかのような、そんな気分になるのです。それを避けるように疲れないようにしていても疲れてしまうのは加減ができないからなのかもしれません。
自分のことができないことも無理してやってしまう。人は自ら疲れるように動くのが得意のようです。やりたいときにやる。そうしているうちに疲れは蓄積され、まるで憑かれているかのように作業をしていることがあるのです。いつの間に、疲れによる目の痛みを抑えるために何か作業をするというような、そんな事態になり得ることでしょう。
そうならないためにもしっかりとガス抜きをする必要があるのです。どんな方法があるのかはわかっています。ただ、それをすることができるほどの余裕がないだけなのです。
わたしは余裕が欲しかったのかもしれません。そのことを、痛みが教えてくれたのでしょう。そう考えると、痛みというのは誰よりも信頼できる友達なのかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月28日

カルボレンといいます! 〜その622〜

まだ見たことがないものを見つけようとしたときに、どうすればいいのか、ということは簡単にわかります。ただ単に、まだ行ったことがない場所に行けばいいだけの話なのです。では行ったことがない場所がなくなってしまった場合はどうすればいいのでしょうか。そうなってしまったら、もう見たことがないものはないのでしょうか。
きっと、そんなことはないはずです。なぜなら行ったことがある場所であったとしても、同じ時間にその場所に行くことはないのですから。自分とおなじように見たことがない場所を探してる人もいます。そんなものたちとの出会いが、きっとまだ見たことのないものと出会うきっかけになるのではないでしょうか。それがどんなものであろうと。
すべての巡りあわせは、そのタイミングによって色彩を変え、思いも寄らない相乗効果をもたらし、見たことのない姿に変貌することでしょう。それは望んでいても、いなくても起こってしまうことなのが問題なのです。
見たことのないことに出会うのは明日なのかもしれません、それを求めているのかもしれませんね。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月27日

カルボレンといいます! 〜その621〜

ひとつのシミ、ひとつの違和感、ひとつの不快な存在によって、かなり気持ちが変化する心境のときがあります。わたしはそんなに潔癖症でもないというのに、細かい粗が気になってしょうがなくなってしまう。神経が敏感になり、すべてがより繊細に見え、普段は気がつかないようなことでさえも気になって仕方がないのです。そんなときに人は病んでいるといえるのかもしれません。手に浮きでてきたシミを気にして、爪でこすっているあいだに皮がめくれ、地が滲みでてくるのを見て我にかえり、ただひとことをいうのでしょう。「ああ、痛い」
細かいことが気になるというのはそのことについて集中をできている証拠なのかもしれません。自分にとって関係がないものに対しては不快に感じないものです。なので不快に感じ、それに手を入れることは当然のことなのでしょう。自分の害を排除するために行っていることなのです。しかしやり方を誤るとより酷く、醜く変化していくことでしょう。
なので、しっかりと調べてから、よりよい方法を見つけだし、実行しなければならないのかもしれません。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月26日

カルボレンといいます! 〜その620〜

たまに、なにもしなくても目眩むときがあります。ものがぼやけて見えたり、不可解な形に変化したり、消えたりあらわれたりします。近くにあるようで遠い。色が明るくて暗いようで、実際には赤であり青である。丸いものが四角くなり、四角が三角に変化する。そんなふうに、普段は正確に見えているものはまったく違うものに見えることがあります。それはどうしてでしょうか。それはなんでもない、脳の思いこみや勘違いによって起こるものなおかもしれません人によって認識は、だいぶ異なります。特筆すべき特徴もそれぞれ異なり、なにを中心に考えるかでそのものは大きく変わる。では、その中心が不確定に揺れ動いた場合、どのような結果になるかは自明なのかもしれません。
人は混乱するのです。自分が思ったようにそのものが映らなくなったとき、人はそのものを見失うのです。そうなったときに目眩み、なにも影響を得ることができなくなってしまう。そんなことは起こってほしくないものですね。
そのためには、そうだと思う固定概念を無くさなければならないことでしょう。目の前の真実が、真実であると思えるほどの。
カルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月25日

カルボレンといいます! 〜その619〜

なにも顔に表情を出さない人間になりたいものです。自分がいまどんなふうに思っているのかをばれてしまったら、困ったことになるのです。
人によっては、表情から考えを読まれては困る時があるのです。そんなときはどうすればいいのでしょうか。簡単な方法は顔に仮面をかぶってしまうことです。本物の仮面を。
最近は簡単に仮面を手に入れることができるようになりました。手作りで作らずとも自分の好みの仮面を探し、買って装着することができます。しかし仮面を被っている人はあまり見かけませんね。みんな心の仮面を張り付けているというのに、本格的に仮面をして、顔を隠そうとしている人は見かけなくなりました。してもせいぜいマスクでしょう。
この前に見かけたマスクにサングラスをしている人は、ほとんど仮面をしているようなものですが、きっと仮面を勧めても断ることでしょう。そんなこともあります。仮面は普通、いまの時代ではつけることは滅多にないのですから。
それでも私は仮面に憧れて、仮面を集めているのです。それは顔を気にしているからなのかもしれません。顔を見ただけで悟られてしまう。それが恐くて仮面をつけることを望む。そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月24日

カルボレンといいます! 〜その617〜

こんな時間になってしまいました。時間が経つというのは早いものです。気がついたらこんな時間だ。ということが最近はよくあるような気がするのですが、どうしてでしょうか。時間というのは常に一定のはずなのに。
それに関してはよく書いていることですが、人はそのときに行っていることの興味度によって、感じる時間の流れが変化するということでしょう。だからといって、こうして時間を忘れてしまうというのは問題があるもので、予定というものがすべて狂ってしまう原因にもなるのです。やるべきことはやらなければいけません。しかし、そんなことさえも忘れてしまうほどに集中できることがあるというのはとても幸せなことなのかもしれません。
集中できることはいいことであり、かつ怖ろしいものでもあるのです。自分を貫くということでもあり、らしさでもあるのかもしれません。夜が深まり、朝になり、日が高く昇って沈んでいく。そんなことさえも気がつかずにひたすら机に向かってなにかをし続ける。そんなことばかりをしていると、気がついたときには後悔する人生を送っているのかもしれません。ですが今は続けるしかないのでしょうね。
そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月23日

カルボレンといいます! 〜その616〜

自分ができない技術というものは羨ましく思うものです。何回も練習したとしてもすることができないほどに洗練された技術というのは、吐き気がするほどに嫉妬してしまうものです。そしてそれを目指してやっているうちに、いくらやってもできない自分に嫌気がさして、イライラしてきてしまうことでしょう。それを人は劣等感と言ったりするわけですが。たいてい、イライラしているのは自分が劣っていると認めているからなのかもしれません。
身の回りにいつもイライラしている人がいます。しかしそれは自分にイライラしているのかもしれません。余裕がないのです。人には余裕が必要で、余裕がなくなっていくにつれ本性が現れるのです。人の本性は誰よりも自分が大切といったものであり、自分ができないことに対しての劣等感にイライラしている人もいるのです。そんなときは放って置くしかありませんが、その人を避けようと思ってはいけないのかもしれません。そういう人はたいてい頑張り屋さんなのですから。
なので応援をしてあげながら見守ってあげましょう。そんなことを思ったカルボレンなのでした。(´っ・ω・)っ
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2017年10月22日

カルボレンといいます! 〜その615〜

つまらないものをやらなければならないときに、なにか目標をつけるとやりやすくなるのはよくあることです。なにか法則や、どんなものなのかを知ろうとすること。極めていこうとすることなど、様々な工夫を凝らしてつまらないものを面白くしようとするのです。その方法はそれぞれで、自分に合った方法を見つけるまで、工夫するのでしょう。
わたしにとっては一つの作業を繰り返し行うことが多いので、そこから得られる情報を数値化し、その数値をまとめることで、得ることができる結果から法則やルールを作りだすのが楽しいと感じる人なので、データの量を増やしながら、ブレがなくなるまでやり続けることができるのです。ひとつのデータから得ることのできないものも、数千、数万というデータが集めれば、そこから得られるものがあることでしょう。そのデータが確実になることはありませんが、限りなくそれに近づけていくことができる。一よりも百、百よりも千、千よりも億・兆・京とやっていくうちにデータはぶれのないものになっていく。それが楽しいのです。
そうしているうちに何時間も続けることができる、そんな作業を楽しみましょう。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:02| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする