2017年11月30日

カルボレンといいます! 〜その655〜

自分らしいとはいったい何でしょうか。人に「あなたらしい」といわれることがあって、また自分でも「自分らしいな」と思うことがあります。それは本当に自分らしいことなのでしょうか。それは誰にもわからないことで、すべて正しいのでしょう。それぞれが思う人物像が自分らしさを形作っているのです。たとえそれが矛盾していたとしても自分らしいということに変わりないのです。人によってその人がその人たる所以があるのでしょう。
そう考えたうえで、「自分らしい」とはいったいなんなのでしょうか。それは決定することができないことなのかもしれません。自分らしさというものは不安定であり、不確定なもので、すぐに変わってしまうものなのです。自分がなりたい自分があったのならば、努力さえすれば「自分らしさ」として手にいれることができる可能性があるほどに。
逆をいえば、「自分らしさ」にこだわらなくても、気にしなくても大丈夫ということなのでしょう。自分らしさは誰になにをいわれようとその人から見た自分と、自らの評価が一致することはないのですから。
「自分らしさ」は好きなようにできるのだと、そう思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 17:55| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月29日

カルボレンといいます! 〜その654〜

単純な作業であれば、人はなにか別のことをしながら完璧にこなすことができるようになっていきます。手が、目が、脳が、すべてがその作業を覚えているのかもしれません。考えなくても動いてくれる当たり前のこと。なにも考えなくてもものを食べたり眠ったりする本能の域にまで達したならば、完璧にすることができるのかもしれません。単純な作業であったとしても、片手間で完璧にこなすためには自慢できるほどの鍛錬が必要になることでしょう。
無意識でできる作業を考えてみるとどれほどあるのでしょうか。数えてみようとしても難しいことです。無意識のうちにできていることなのですから。自己判断で「できた」と評価できるものはたくさんあるのでしょう。どのレベルまでできたらその作業を無意識でできるということができるのでしょうか。そんなことを考えているとわたしは、無意識でできると自信をもっていえることがまったくないのだな。と思えてしまいます。
べつにそれでいいのでしょう。無意識のうちにできてしまうというのはつまらないものですから。わたしの知らないところで物語が進んでしまったらなにもわからないままになってしまうのです。簡単な作業のなかにもなにか物語が隠れているのではないでしょうか。
そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 17:46| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月28日

カルボレンといいます! 〜その653〜

確率を考えなければいけないとき、どれだけの試行をおこなうと満足することができますか。
たとえば袋の中にさまざまな色をした球を入れたとします。何の色がどれだけ入っているかはわかりません。ただ、ものすごく、数えきれないほどの球が入っているとします。
試行回数が一回であれば、そうして出たものは100%となる。赤が出たとしたら袋のなかには100%赤の球が入っているという結論になるのです。この話をしたところで、ほとんどすべての人は、「この袋に100%、赤球が入っている」ということを信じないことでしょう。
それでは、100回試行をおこなって、赤の球が出たのは一回であり、1%の確率です。というとどうでしょうか。100%よりも信じる人は増えることでしょう。試行回数が増えれば増えるほど、そのデータはより正確にその確率を出してくれることでしょう。しかし人によって信じることができる程度は異なります。
わたしは、そうですね。少なくとも1000回は引いて、ひとつの球の確率が0.1%となり、ひとつの種類に対して少なくとも一回はダブっていなければ安心することができないのです。ものによってはいつまでも確率計算をし続けることでしょう。
不毛なことかもしれませんが、そういうことを考えるのが好きなのですよ。そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:17| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月27日

カルボレンといいます! 〜その652〜

いまさらなのですがコメントを頂いたことに気づきました。コメントを頂けることがあるとは夢にも思っていなかったため、見逃してしまっていたのです。そんな幸せなことが起こるなんて。続けてきてよかったな、という気持がするものです。報われたといえるのではないでしょうか。
報われるというのはどういうときでしょうか。わたしは今まで数字を見て。回数を重ねることで増えていく数字を見て満足してきました。10……50……100……150……200……500……というように。
回数をこなすことを記録することによって、わたしは報われた気分になっていたのですが、こうしてコメントを頂くと、その報われた気持ちというのは、数字の積み重ねとは比較にならないほどの悦びが、興奮とともに訪れるものなのですね。久しぶりに感じました。
そんなことに気がついてしまったら、コメントを求めるようになるかといえば、そんなことはありません、わたしは数字を積み重ねて満足をする。そんな存在でありたいのです。
しかしそんなサプライズが、読者の反応というものはわたしにどんな化学変化を起こすのか。すこし見てみたいとも思った、そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:23| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月26日

カルボレンといいます! 〜その651〜

ああ、一日はなんと早く終わってしまうことでしょうか。時間が経つのは早いものです。秒、分、時、日、週、月、年、世紀と時間は進むのですが、終わってみるとあっという間だったという感想が出ることでしょう。時間は過ぎてしまえば、どんなに長い時間だと思っていたとしても忘れてしまうのです。大切に残しておきたいと思う、長い時間、感じていたかったそんな時間でさえも遙か昔のこととなり、だんだんと薄れていってしまう。あっという間の楽しい時間だったという印象しか残らずに、その本質すら忘れていってしまうというのなら、一分一秒を無駄にすることができないと思うのです。
時間がわたし達にくれるものはとても重要なものであり、機会を失うと二度と手に入らないものなのでしょう。だからといって、その重要性は手にいれてしばらく時間が経ってからでないと気がつくことができないものであり、一日じゅう考えていても仕方がないことだと分かります。
いずれは分かることと割り切って、今を楽しむべきなのでしょうか。今日一日というものは短く、寂しく、楽しいものですね。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:28| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月25日

カルボレンといいます! 〜その650〜

頑張ってやったことを認められないというのは悲しいことです。どうして評価されないのかと悲しんだり、怒ったりすることでしょう。それは当然のことなのです。そんな感情が強ければ強いほど、自分自身、頑張ったということなのでしょうから。
むしろ、やったことにたいして文句をつけられて、なにも感じないというのは、それが自分の当然であると遜っていたり、それほど頑張っていなかった。もしくはそう思っていないだけなのかもしれません。それならまだ頑張れる。そう思えるのです。
悔しいと思う気持ちが、人に努力を与えてくれるというのなら、わたしは懸命に努力をして、その努力について怒り、哀しみ、さらに高みを目指そうという気持ちを得たいと願うのです。そうすればどこまでも頑張っていくことができるのでしょうから。
認められたいがために頑張る人は、頑張るために認められないことを用いるのでしょう。なんと効率の良いことか。
人は効率化しているのだな。なんてことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 17:36| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月24日

カルボレンといいます! 〜その649〜

昔からやっていることを新しい方法に替えるというのは難しいことですね。どうしても回数をこなしているとヘンに癖がついてしまっていて、気がついたら昔からの方法でやっていたりするのです。そんなときはなんとも面倒くさいことになったりします。初めから新しい方法でおぼえられたら良かったのにと、そんなことを思ってしまいます。
しかし、そうして上書きをできることが人間のいいところであり、大切にしなければならないことなのでしょう。人は簡単に忘れることができて、新しいことを覚えることができる。そして忘れたことも、ふとしたときに思いだすこともできる。それはすごいことだと思うのです。消してしまって、もう二度と戻ってこないよりずっといいと思うのです。
癖がなかったら人は機械と同じように、指示されたことだけでしか物事を考えることができなくなるのかもしれません。癖によって人の個性が生まれ、癖がない人は個性がないといってもいいのかもしれない。そう考えると、たいていの場合は癖はいいものになるのかもしれません。癖を失くさなければいけないところもありますけどね。
わたしは自分の持っている癖を使って生きていきたい。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ

posted by さくら紅葉 at 18:32| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月23日

カルボレンといいます! 〜その648〜

休みの日というのは得意ではありません。何をしたらいいのか、わからなくなってしまいますからね。休みの日だからなにもしなくていいんだよ。なんていわれても、困ってしまいます。本当になにもせずに寝ていてもいいのでしょうか。何もしないということは布団で寝ることさえも許されないのでしょうか。なにもするな。というのは難しいと改めて思いました。
好きなことをすればいいという人もいますが、好きなこととはいったいなんでしょうか。好きなことがない人はどうすればいいのでしょうか。それは自分で決めるしかなく、わからないのです。自分が好きなこととはいったいなんだったんだろう。急に渡された時間のなかに、なにができるのかということを考えると、それだけで時間が過ぎていくことでしょう。それがもったいないという人もいますが、わたしはそんな考える時間でもいいと思えてしまいます。それほどすることがないのですから。
考えれば考えるほど、休みというのはつまらないものになるのかもしれません。だったら何も考えずにふと思ったことをすればいい。そうなるのではないでしょうか。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:05| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月22日

カルボレンといいます! 〜その647〜

冒険というものはしたいものです。それだけで楽しくてたまらないのです。自分の見たことも聞いたこともない、想像さえもしたことがないものがまだ存在する限り、人は冒険をし続けることができるのでしょう。わたしは冒険をしつづけたいのです。その先になにがあるのかはわかりませんが、それを知るために、人は冒険するのです。
しかし、閉じこもっている空間のなかでは、冒険をしたくても、なにが冒険なのか。どんな冒険をすればいいのかわからないのです。冒険は何かきっかけがないことには始まらないのですから。
ではどう冒険を見つけたらいいのでしょうか。それは自分の知らないことに手を伸ばすことが必要なのではないでしょうか。自分の知らないことを求めていく積極性がなければいけないのでしょう。それは恐怖を感じることもあるでしょう。しかし冒険と恐怖というのは常に一緒に存在しているのです。
危険ではない、何も得ることのない冒険は冒険とは言い難く、そんなことで誇っている人もいます。そんな人を笑って流しながら、自分の冒険をすることにしましょうか。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 20:16| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月21日

カルボレンといいます! 〜その646〜

髪の毛は放っておくと伸びていきます。それはたいていの人が思っていることで、いつの間にか伸びなくなっていた髪の毛に気がついて焦っても遅いのです。髪が伸びているうちはうっとうしいと思っていたのに、それが貴重な存在になる。それは、伸びているうちに気がつくことができないことなのでしょう。そういうものはたくさんあります。
身近にあって気がつかないことはたくさんありますが、身近になくて困ることもたくさんあります。これを無くしたらどうなるのだろう。ということを考えると面白いのかもしれません。
たとえば目が見えなかったらどうなるのでしょうか。そんな疑似体験をしておくと、目を酷使しなくなるのかもしれません。目を閉じて、なにもない空間で、ふらふらと歩いてみると、不安でいっぱいになるのです。その不安を覚えておくといいのかもしれませんね。きっとその不安が大切に思う気持を生むのではないでしょうか。
常にあるものなんてないのです。それがなくなってしまったときにどうすればいいのか。戸惑わないように考え続けようと思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 17:16| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする