2017年12月31日

カルボレンといいます! 〜その686〜

大晦日になり、今年ももう終ろうとしているというのに、わたしはなにをしているのでしょうか。よくわからなくなってしまいました。一年まえに考えた目標のどれくらいを達成することができたのだろうか。なんてことを思ってしまいますが、なかなか完璧に目標をこなすことはできないことでしょう。そうなると目標を引き継ぐことになるのですが、また来年もなにかしらしたいことが増えていることでしょう。そうなるとどんどんと積重なっていき、たくさんの目標をこなさなければならなくなることでしょう。
それほどの律儀な人がいるかどうかはわかりませんが、目標を達成できずに残すのは嫌な気分がするものです。だとすると達成できる程度のことを目標にするべきなのでしょうか。
そんなことはないはずです。目標はそもそも自分のしたいことを定めるべきであり、それがどんなに難しいものであれ、好きなら目標を達成するために頑張ることができるかもしれません。その指針となるのが目標なのですから。
良い新年を迎えましょう、そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年12月30日

カルボレンといいます! 〜その685〜

年末だというのに忙しいというのは大変なことですが、大変なときほど、人は恵まれているのかもしれません。忙しいということはそれだけするべきことがあるということなのですから。何もなくて暇な時間を過ごしているよりずっといいのです。必ずなにもすることがないときがやってくる。そんなときに気づくのです。なにかするべきことはないものかと。
毎日を過ごしていると何かしらすることが生まれます。自分がしたいと思ったり、人からお願いされたりして、なんだかんだで何もしなくてもやるべきことは出てくるのです。しかしだんだんとそんなことはなくなっていき、何もなくなってしまう。そうなったとき、きっと人は初めて忙しいということを幸せに気がつくことでしょう。人は忙しいことを嫌がっている影で、心のなかでは喜びを感じているのかもしれません。
そんなことは分かり切っていることなのです。本当は知っているのです。だからこそ人は一生働きつづけ、遊びつづけ、学びつづけることでしょう。それをどれだけの時間することができるのかは、自分によるのでしょう。あなたはどのような生活を送るのでしょうか。カルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年12月29日

カルボレンといいます! 〜その684〜

人は痛みを感じると、痛みを感じた部分がなくなってしまえばいいと思うときがあります。わたしの場合もそうで、全身に痛みがはしったとき、体がなくなってしまえばいいと願ったことがあるのです。わたしは趣味でパソコンにひたすら文字を打ちつづけることをしているものですが、それ以外の機能を持たない存在になって、痛みを失くしてしまいたいとも思いました。ときおり収まる痛みに安堵し、自分が幸せであると感じたときには、そんなことを忘れてしまっているのですが。
人は痛みを感じたとき、自らに不要な機能がついていることに気がつきます。人は多様の技能を持っており、それを使いこなしているわけではないのです。ですがそれを棄てようと思うことはないことでしょう。人は自らたくさんの能力を持っていることに気がついておらず、それに気づくのはなにか異常が生まれたときなのです。だからこそ人は痛みを感じ、痛みは大切なものとなっているのかもしれません。
人は恵まれているからこそ、恵まれていることに気がつかない。何かが起こったときに気がつくことができるのだなあ。と思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年12月28日

カルボレンといいます! 〜その683〜

何でもない毎日が急に終わってしまうことがある。人生というのは不思議なものです。いつの間にか始まって、いつの間にか終わっている。それがいつものことなのです。いつも始まりと終わりを繰返し、人生として形をなしていくのです。それが善いことであれ、悪いことであれ構わずに日日は流れていってしまう。それが厭だと駄駄をこねたとしても無駄なことで、常に一定であり、常に無関心にわたしのことを眺めては、選択肢を落としておくのです。そんな毎日。変化を求めようが求めてなかろうが必ず始まりも終わりもやってくる。ならば選択をして、楽しまなければならないのかもしれません。それがたとえどんなことであったとしても。
今が普通だと思っていてもそれが普通ではないと気がつくのはその基準となる普通がやってきたとき。その普通が来るのはいつになるのか分からない。しかし必ずやってきて、どうすればいいのかを選ばせてくるのです。あなたは今を楽しんでいますか。今は今しか体験することができないのです。
その瞬間を楽しんでください。カルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年12月27日

カルボレンといいます! 〜その682〜

時間を感じるときはどんなときでしょうか。意外と時間は経っていないようで経っているのです。終わらないで欲しいときは本当に早く寂しく感じるからこそ、人は楽しみなのでしょう。終わってしまうからこそ、人は楽しいのです。長くつづけばつづくほど楽しいという気持は薄れていくのですから。
本当に一瞬の出来事のほうが楽しく感じるのかもしれません。長く見つめれば見つめるほどそのものの粗が見えて、だんだんと楽しくなくなっていくのかもしれません。なので第一印象というものが大切になるのかもしれません。初めの一瞬がピークであり、だんだんと落ちていくのであれば、初めのピークを素晴らしいものにしなければならないのかもしれませんから。
どんなものでは多くの人が情報を得るのが初めの衝撃であり、その後、咀嚼してしっかりと吟味をしているのはごくわずかなのでしょう。深く追求すればするほど、周りから人は居なくなっていくのです。そう思うとなんとも寂しいものですが、時間は待ってくれないのです。終わらないでほしいという気持よりも楽しいうちに終わってほしいと思うほうが良かったのかもしれません。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年12月26日

カルボレンといいます! 〜その681〜

新しいものを作ろうとすると難しいものです。ですが、すでにあるものから新しいものを工夫して作り出すことは、まだ簡単なのかもしれません。逆をいえば、人は無から有を作ることができ、有から有を作ることも可能と言えるのでしょう。無から有を作るためにはかなりの労力を必要としますが、有から有を作るには粘土を押してへこませるがごとく簡単なものから、彫像を作り出すような難しさまであるのでしょう。
本来は無から有を作り出すことも簡単なものと難しいものがあったのですが、ほとんどが表に出てきてしまった。その時点で無ではなく有となり、ついには見つけることが困難な無ばかりになり、無から有になったものを工夫し、新たな有を生み出すことで人は進歩してきたのです。それがつまらないと思った人は、人生をかけて何か見たことのない無を有にする努力をつづけることでしょう。しかし無は無限にあり、どこまでも考えつづけることができるのです。ぜひとも考えつづけてください。人には無というものが必要になるのですから。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年12月25日

カルボレンといいます! 〜その680〜

人はワガママであるべきなのかもしれません。人は自分のことだけで精一杯になっているのでしょうから。自分がしっかりとしてから、他の人に手を差し伸べることができるのでしょう。自分というものを知らずに他人のために動きつづけることは、結果として他人に迷惑をかける結果となるのですから。
自分がちゃんとしている状態というのはどういうときでしょうか。安定した生活を過ごすことができていることでしょうか。精神が安定し心に余裕があるときでしょうか。自分が自分であるということがわかっているときでしょうか。それとも冷静なときでしょうか。そんなことは人によりますが、自分なりの定義で大丈夫であるときに、人に手を差し伸べることができるようになるのかもしれません。だとすると、わたしはいつまで経っても、他の人に気を配ることができないのかもしれません。
自分の満たされない心が欲しているワガママによって、他人に迷惑をかけているとして、それは満たされていないことで暴走しそうな思いを抑え込んでいる、そんな様子を他人に気づかれて気を遣われるのはどちらが迷惑なのでしょうか。
自分のワガママが他の人が見ない場所で発散され、満たされて他の人に手を差し伸べる。それができたらいいのですが。カルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年12月24日

カルボレンといいます! 〜その679〜

文章であればいまは不可能なことであっても可能にすることができる。文章のもつ力は素晴らしいものです。また、文章で表したり説明することができることは実現することが可能なのかもしれません。どんなに不可能だと思われていることも一つの新しい事実が発見されるたびに更新されていくのですから。
物事はまず、文章や言葉にしなければならないのでしょう。そうしなければ考えられることもありません。どんなに実現可能なものであったとしても、分かり切ったことであったとしても、なにかしらの形にしなければ考えることさえできないことでしょう。考えがあるだけではダメなのです。考えがあって、その考えを断片的でも、それがいつでも見られる状態にあって、そのことに考える機会がなければ発展はないことでしょう。
なのでどんどんと思ったことは人びとに伝えるべきなのです。どんなに莫迦らしくあり得ないことだと笑われたとしても、伝わっていくことで、事実になることもあるのです。事実を生み出すきっかけを作ることができるのはあなたしかいないのかもしれません。そう考えるとやる気が湧いてくるものですね。
そんなことをクリスマスイブに思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年12月23日

カルボレンといいます! 〜その678〜

ずっと同じ体勢でいると疲れますね。一日じゅう立っていると足が震えてくるのです。立っているだけでそうなのですから、固定されてしまうというのなら、それは苦痛でしかないことでしょう。すべての関節を固定し、まったく動けないようになってしまったらどうなることでしょう。たったの24時間だったとして、いくらお金をもらったとしても嫌なことでしょう。それがたとえどんな体勢であったとしても。
気がついたら同じ体勢をつづけていて後悔することもあるのですよね。坐った状態で何時間もいたことで、立ちあがれなくなることもあるのでしょう。それがもし強要されてしまったものだったとしたら、ものすごく嫌なことなのだと思います。
それはどんなことであったとしても嫌なのでしょう。髪の毛を固めただけでも常に頭が気になってしまうほど、人は固定されること、束縛されることに敏感なのかもしれません。それはどうしてなのでしょうか。ずっと動かないですむのなら望むべきことだとも思うのですが、人の体はじっとしつづけることに向いていないのです。それは常に動きつづけているからなのかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年12月22日

カルボレンといいます! 〜その677〜

たいしたことではありませんが、気になったことはやりたくなってしまうわたしです。興味があることはつづけたくなってしまうものですが、どれだけやっていいものか難しいものです。物事はいつまでもつづけることができますから、区切りをつけなければならないときが必ずやってくるのです。そのタイミングを見きわめることは難しいものです。だからこそ楽しいのですが。
常に人はタイミングを見きわめているのかもしれません。それがどんなものであれ、自分に一番良いであろう瞬間はかならず存在し、自分の考えでそのタイミングを見きわめて、行動をしています。なのですべては自分の判断によって良し悪しが決まることでしょう。つまり悪いタイミングは自分の判断によって決まるので、自分の考えが悪い方向にむかっているのならば悪いことばかりが起こることでしょう。なら良いタイミングが起こる良い方向の考えかたをできれば、良いタイミングを得ることができるのではないでしょうか。
自分の考えかたを変えることで運も変えることができるのでしょう。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 19:17| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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