2017年12月07日

カルボレンといいます! 〜その662〜

人の声というのは多ければ多いほど嫌な気分になるのかもしれません。大勢の人間がいるところで、ひとり椅子に坐っていると、なんだか寂しい気分がします。その声に混ざりたいと思ってしまいますが知りあいがいない状況ではどうしようもありません。片手にグラスを掲げ、ひとりで乾杯をするのです。その声に負けず頑張ろうと。
しかしまったく声のない場所。音のない場所にもいることはできません。なぜか落ち着かないのです。自分の心臓の鼓動だけが響き、わたしが生きているということを無理やり教えこまれているような、そんな気分になるのです。人にとって音は、声は、必要であり、避けたいものなのかもしれません。自分の好みの場所を求めて這いまわる虫のように、人も同様に安らぎの場所を探しつづけているのでしょう。
音というのは生きている限りついてくるもので、逃げることのできないことなのです。そして逃げ切ったところで恋しくなるというのなら、騒音でさえも愛そうとそんなことを思うのです。
音があるということは、わたしが生きているという証でもあるのですから。カルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 21:25| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする