2018年01月31日

カルボレンといいます! 〜その717〜

自分が何をするべきか迷ったときは、自分が何をしたいのか考えるべきなのかもしれません。自分は何のためにここにいるのだろう。自分は何がしたいのだろう。自分は何を求めているのだろう。そうすることで自分のするべき行動は見えてくることでしょう。
人がなにかをするためには目的が必要になります。その目的を失ってしまったり、達成してしまったとき、それまでの行動がつづけることはできなくなってしまうのです。それ以上やったとしても、その先に自分の目的はなくなってしまうのですから。
そうなったときには新たな目的を作りだし、その目的を果たすためにはどんな行動をするべきなのかを考えなければならないでしょう。そのために今の行動が必要ないとするのなら切り捨てる勇気も必要となります。自分の満足を得るために人は目的を作りだし、そして行動をするのですから。
いま、自分がしたいことはいったいなんですか。そしてそのためにするべきことはいったいなんですか。それを確かめながら今日も目的を果たすために努力をするのでしょう。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年01月30日

カルボレンといいます! 〜その716〜

自分のことをテストするというのは楽しいことです。いろんなテストがありますが最近はさまざまな分野の筆記試験というものが好みになりつつあります。テストをしなくなって初めてテストの楽しみというものに気がつくのかもしれません。自分のことをテストすることで自分の能力を認識することができる。自分の知識がどれほどのものかを確認できる。それは素晴らしいことなのです。
最近ではさまざまなことをテストして、自分の知識を試すことができるようになりました。くだらないことから必須なこと、どんなものでも確かめることができ、自らの足りないものを発見しやすくなったのかもしれません。テストによって自分に足りないものを発見することができるのです。
すべてのテストは提示してくれるのです、自らの足りないものを。そしてふたたびそれについて勉強をする活力となり、次へのモチベーションにつながっていくことでしょう。だからこそ、わたしはテストを好んでいるのです。これからも自らの足りないものを追い求めるように。
それが結果につながるといいのですけどね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年01月29日

カルボレンといいます! 〜その715〜

気分を落ちこんでいるときほど、人の思考は詩的になるのだと思っています。それは自分の感情をさらけ出して伝えたいという気持ちが強いからかもしれません。落ち込んでいるから慰めてほしい。助けてほしいという気持ちを表現しようとするからなのかもしれません。共感してほしい気持ちを表現するのが詩であるというのなら。
人は自分の気持ちを表現する場として、ときに文章に頼ります。そうすれば読んだ相手にその気持ちを伝えることができ、その気持ちをそのなかにとどめておくことができるのですから。自分のことを忘れてほしくないという気持ちも、気がついてほしいとおもう気持ちも、すべて表現することができるのが詩であり、文字なのでしょう。
そう考えると思うのです、文章がすらすらと出てくるときは、自分に気がついてほしいということなのでしょう。落ち込んでいて誰かに慰めてほしいときについつい出てしまう溜息のかわりに、文章としてこの世に発散する。一種の憂さ晴らしのようなものなのかもしれません。
詩や文章に頼りわたしは生きている。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年01月28日

カルボレンといいます! 〜その714〜

最近は旅にでたいという気持ちも薄れ、地図を見ながらその場所に思いを募らせることが楽しいと思いはじめました。地図を見ているとその場所に行かなくても、その場所のことについて知ることができます。どんな地形でどんな建物があるのか。どんなものを見つけることができるのか。そこから新しいことを発見し、新しい興味を得ることもできるのです。人は何かヒントがあれば、興味を持ち、調べようと思うことができるのでしょう。そのきっかけとなるのはその場を通るよりも、まとまっている地図を見たほうがいいのかもしれません。それは集中力の差ということになるのでしょう。何かに集中することによって、見つけることができる一つの楽しみを、わたしは求めているのかもしれません。
実際に入ることができない場所、遠い場所にまでいくことができるのは素晴らしいことです。知的好奇心はどこまでも追及を止めることはなく、見たことのない場所を求めつづけることでしょう。そして見たことがある光景をふと見ることで、懐かしいという感覚が生まれる。地図は一つの旅の導入になるかもしれません。無くなってしまった旅に出たいという感覚を取り戻したいカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年01月27日

カルボレンといいます! 〜その713〜

体のとある一部分、ごく小さな範囲であったとしても大きな痛みを感じます。その痛みは全身に伝わって、すべてをしびれさせることでしょう。人の感覚はそれほど正確に痛みがどこからくるものなのかを教えてくれないものなのかもしれません。肩凝りからくる頭痛のような、指をケガして手がしびれるようなそんな感じで、ある程度の範囲を指定しつつ、全身に波のように伝わってくことでしょう。その痛みのおかげできっと自らの体の異常を感じることができるのでしょう。それでも痛みを避けたいと願っていますがね。
痛みを感じるたびに人は後悔してばかりなのです。そんなことはあってはならないと思ってしまうのです。その原因をどうやったら無くすことができるのかを考えながら生きることになるのです。痛みは必ずついてくるものなのですから。じっとしていれば地面に接する部分は痛くなり、体を動かせば動かした部分が痛くなる。痛みを感じない方法は体に力を入れずに、永遠に浮きつづけることなのかもしれません。それは可能でしょうか。
人が宇宙を目指すのはそれも含まれるのかな。と思い、ふと面白くなったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年01月26日

カルボレンといいます! 〜その712〜

寒いときは暖かいものを求めますが、暑いときは涼しいものを求めます。いつまでも暖かいものを、涼しいものを追い求めつづけるということはありません。それはきっと調整だからなのでしょう。追い求めつづけられるものとはなんだろうと思うのですが、それは調整するために用いるものではないのかもしれません。寒さがずっとつづくわけではなく、暑さがずっとつづくわけでもない季節の変化するこの場所に住んでいるからこそ、そう思うのかもしれませんが。寒さが消えなかったらわたしは暖かさというものを追い求めることでしょう。しかし季節は変わるのです。いずれ暖かくなって、求めている暖かいものをそれ以上必要ではなくなるときが必ずやってくると思うと、なんだかうれしい気分になるものです。
追いつづけることができるものは満たされないものでなければならないのでしょう。一年中寒いのなら、一年中薪を集めつづけるように生きるためにやりつづけることを強いられるのに似ています。生きるためにひとは何かを求めつづけ、そして満たされないことで楽しむことができるのでしょう。
わたしはなにをしているのでしょうか、カルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年01月25日

カルボレンといいます! 〜その711〜

一つのものにこだわって、粗末なものを100作れる時間をかけて一つのものを作ったとして、その価値は100倍になるのでしょうか。ほとんどのものはそうならないことでしょう。よくて10倍、20倍ほどであり、利益を求めるのであれば時間がかかる一つよりも簡単に作れる100個を売ったほうがいいのです。なんとも味気ないものですが。
あまり利益をもとめていないわたしはこの世界では生きづらいのかもしれません。肩身の狭い生活を送りながら自分のできるかぎりのこだわりを用いて、自分のお気に入りばかりを作っている。そして心ばかりの利益を得て生きている。そんな生活をいつまでつづけることができるのだろうかということを無視しながら。
こだわりによってより良いものを作ることが大前提のものづくりの世界で、「手早く良いものを安く」提供することが生産者の目標となることでしょう。そのための技術を磨くことができるのは年月と、それによって得ることができる工夫であり、努力はそれなりの成果を与えてくれるものだと信じているのです。
こだわりは人を変えるのです。いつまでも思考が止まることがないことを願うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年01月24日

カルボレンといいます! 〜その710〜

お風呂に入っていて、目のまえの壁の水滴が気になったとします。そんなときにお風呂の水をはじいて水滴を落とそうとするとします。すると気になっていた水滴は落ちましたが、その周囲には新しい水滴がついていた。それらの水滴が気になってふたたび水を飛ばしはじめる。それを繰返すことによって、すべてを落としきることができるでしょうか。いつまでたっても残りつづける水滴に憤慨するかもしれません。そんなときは体を起こし、水滴を払い落とすことでしょう。そのほうが明らかに楽なのですから。
自分で勝手に決めたルールをやぶり、求めている成果を生み出す。難易度を変える。縛りを解禁する。そのほうが効率的で楽であるならばそちらを選択する。それが賢いことなのでしょう。しかし、その選択肢が浮かばないほど熱中をしていることもあるのです。そんなときは客観的に自分を見て、冷静に今の状況を理解することが必要になるのかもしれませんね。
楽を選択することが正しいのであれば、そのための苦労をする必要がある。考える苦労と考えない苦労、どちらを望んでいますか。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年01月23日

カルボレンといいます! 〜その709〜

人はどんなものにもなることができるのです。自分が思い描くものになることができ、他人を自分の思いのままの姿にすることも可能でしょう。しかし、それにはタイミングや難易があり、自分の望んでいるタイミングでおこなうことは不可能に近いことでしょう。自分の望みであればあるほどに遠ざかり、他人と干渉することで、自分の姿はより自分らしい姿に構築されていくのです。自分の思惑と他人の思惑。それらが混ざりあうことで自分は作られていく。なのでどんなものにでもなることはできますが、思い描くものになることができるのか、はわからないことでしょう。
自分というのはたくさんの姿があるものです。常に変化し一定ではない。そんな自分の姿を認識したときでさえ、また違う姿に変化しているのです。そのなかに自分の好きな形があるとするならば、それを思い描いていればいいのです。いずれは近づいていくことでしょう。それがいつになるのかはわかりませんが。
一度でもなったことがあるものならふたたび巡ってくる可能性があるのです。自分に適しているものはより可能性が高く、ふさわしくないものは生きているうちに起こるかどうか。ですが望んでいるのです。
そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年01月22日

カルボレンといいます! 〜その708〜

予想外なことばかりが起きる世界ですが大丈夫でしょうか。心配になることがあります。この世界には予想外なことのほうが予想できることよりも多いのです。思い通りにならないとしても問題はなく世界は巡るのです。しかし信じたくもない予想外の出来事が起こったときのショックは耐えがたいものなのです。苦痛をともなう予想外は遠慮したいと、そう願っているのです。
喜ばしい予想外ばかりだといいのですが、そんなことはありません。とはいっても喜ばしい予想外に関しては、起こっても気がつくことがないだけで多く起こっているのかもしれません。しかし感覚的には嫌がらせのような予想外ばかりが目立ち嫌なことばかりが起こっているような気さえするのです。予想外とはどんなことでしょうか。人によって異なるイメージではありますが、わたしにとって予想外は嫌なものでしかないのかもしれません。
すべてを把握することはできないのですが、それでも予想をしたいと願うのです。とっさの行動というのは難しいものですからね。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:22| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする