2018年02月28日

カルボレンといいます! 〜その745〜

常識とはなんでしょうか。分からなくなってしまいます。大勢の人が正しいと思っていれば常識なのでしょうか。全ての人が正しいといえば正しいことなのでしょうか。人々が言っていることが事実とは限りません。正しくないと信じて疑わなければ、それは自分にとって常識なのでしょうか。そしてそれが正しいとしたら……。
非常識というものはこの社会に生きづらくなることです。なので周りの人が同じことを話していたら、それが常識と考え、自分の考えとは異なっているとしても考えなおすことでしょう。常識が常識でなく、非常識が常識のこともある。常識をどれだけ考えれば本当に常識を理解することができるのでしょうか。
それは自分の正しいと思うことを、あらゆるものを見つめ、見つけだすしかないのでしょう。正しいことであれば同意も得られる。説得をすれば納得してくれる。正しければそれは常識になるのではないでしょうか。
自らが常識であるというような人間にはなりたくありませんが、常識を疑うということも必要なのではないでしょうか。そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月27日

カルボレンといいます! 〜その744〜

暖かい日差しにやられてくらくらしてしまった私です。日陰者の私に日なたは辛いものかもしれません。太陽の力は偉大です。気温を上げ、地面を焦がし、植物には成長を、人々にはやる気を与えてくれるのですから。その膨大なエネルギーを感じることは多々あります。この距離ですらこんなにも感じるのですから近づいていったら耐えがたいものになることでしょう。地球上ではありがたい太陽も、どこかでは嫌われているのかもしれません。どんなものにでも良い条件と悪い条件があるのです。すべてにとって良い条件なんてこの世には存在しないのかもしれません。いくつもの要因が重なって、結果的には自分にとって良い条件であれば許容しているだけなのです。
太陽を嫌っているものもいます。それは太陽を好んでいるものには理解できないことでしょう。太陽を見つめ続けなければならないものがいれば、太陽を見ることができないものもいます。それぞれの考えは理解することができますが、考えなければ触れることのない領域のことかもしれません。知らなくてもいいことを知りたいと思う人はどれだけいることでしょうか。
ぜひ、自分と対照的なものについても、どうしてそうなのか考えることも必要でしょう。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月26日

カルボレンといいます! 〜その743〜

専門的な知識を学びたいと思ったときには、専門的な場所に行くしかありません。知識の深淵に向かえば向かうほど、困難なものになっていくのです。
どれだけ知りたいと思っても、知ることができるのは表面上のものだけで、本当の知識というものは得ることができません。その知識を得るためにどれだけの時間を費やし、手間をかけ、力を注ぐことができるかにかかっているのでしょう。人生の大半をかけて本当に知りたかったものを手に入れることができない人もいるのですから。
一つのことを突き詰めていこうとしても、一人では力不足です。同じ知識を得たい者たちが集まって情報交換を行いながら、自分の知らない情報を得ていくこと。それが近道になるのかもしれません。しかし油断してはならないのです。自分の知っている情報だけを持っていく、狡賢い人はたくさんいるのですから。
人は常に駆け引きをしています。知識が専門的になればなるほど、それは必要とする人が少なく、価値の高いものとなっていくのでしょう。その知識をつかって何をするでもなく一人で楽しむ。そんな人ばかりだったらどれだけ素晴らしい世界になることか。
知識は競争をうみ、戦いをうむのかもしれません。そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月25日

カルボレンといいます! 〜その742〜

矜持を保つためであったらどんなことでもする。それは必要なのかもしれません。
しかしそれがどこまで許されるのかは分かりませんが。
許される程度のことであればやってもいいのでしょうか。
それとも、世間を気にしながら自分を曲げる必要があるのでしょうか。
それは人それぞれです。人によって変わります。自分の匙加減なのですから。
譲れないもののために犯さなければいけない罪があるとするのなら、あなたはどうするでしょうか。少し気になるところです。その度合いによっては対応を変えなければならないのですから。
人と接するとき、その人の性格は非常に大切になることでしょう。その人の正確なデータが売られているとするならば、どんな大金を払ってでも買うべきです。それを活用できるかは分かりませんが。
そして性格は衝撃的な事態によって変わってしまう。日々変化している。
その瞬間のデータだけでなく、常に更新を続けていく便利なデータでなければならないのですが。
自分の矜持を貫く人がいれば、簡単に捨てられる人もいる。そんな世界がなんとも面白く面倒くさいです。
そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月24日

カルボレンといいます! 〜その741〜

だいぶ昼間の時間が長くなりました。日によって昼間の時間が異なるというのは不思議なことです。その違いによってできることは大きく異なります。日が長ければ長いほうが良いもの、日が短ければ短いほうが良いものとあるのです。一日中太陽が昇っている。一日中日が沈んでいる。そんな日があるとするなら、きっとそんなときにしかできないこともあるのでしょう。太陽のもとでしかできないこと。太陽があるとできないこと。どんなことがあるでしょうか。
ずっとパソコンの前に座っていると太陽を目にしなくなっていきます。そんなときは一日中夜でも構わないと思うのかもしれません。むしろ太陽の日差が地上を暖めることにより、パソコンに与える影響を気にしているのかもしれません。そう、太陽が出る時間が長ければ長いほど地表は暖まり、短いほど冷えていくのです。
昼間の時間が長くなっていくということは暖かくなってきたということ。パソコンは心配ですが、肉体は暖かくなっていくことを楽しみにしているのです。春の兆しを感じつつ、太陽と見ている。そんなカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月23日

カルボレンといいます! 〜その740〜

言葉は魔法、文字は呪文なのです。人間は言語を自在に操ることができることこそが魔導師といえるのかもしれません。人は常に呪文を学び、魔法を唱えているのです。自分の思い通りに展開させるための始原にして最強の魔法を。
人である以上、しっかりと言葉を学ばなければならないのでしょう。生きているうちに完全に会得することのできない難解なものでありながら、誕生してすぐに会得することができる簡単な魔法。単純にして複雑。苦労をしなくてもある程度を得ることができるけれど、突き詰めるには長い年月を要する。
そう考えるとある程度の魔法が使えたらそれでいいかな、なんて思います。
せっかく手に入れたものなのです。それを自由に使えたらどんなにいいかと思います。うまく使うことによってどんなものでも生み出すことができ、消失させることもできるのです。良くも悪くも印象を変えてしまうこともできる万能なものとどう付き合っていくのか、考えても面白いのではないでしょうか。
そこで問いたいのです、あなたの魔法力はどれほどのものでしょうか。魔法とは何かと思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月22日

カルボレンといいます! 〜その739〜

人の変化というものは突然にやって来る。何が引き金になって変化するのかはわからない。そしてその変化に気がつくのは、距離を置いていた人だということにも注目したいものです。突然の変化、急激な変化だとしても、距離の近い人は以外と気がつかないもので、ふと過去に立ち戻ったときに思い出すのでしょう。「彼はいつの間に変わってしまったのだろう」
それは自分の場合も同じであり、過去の自分を知っていれば、自分の変化を理解することができるのでしょう。自分の変化に気がつきたくないとしてもふとした時に気がついてしまうこともあるのです。そのときは過去の自分自身に戻るチャンスを得るのかもしれませんが、過去の自分に戻りたいと思うことはあるのでしょうか。昔の自分を思い出そうとしてもなにも思いだせない私は、なにもわからないからこそ、昔の自分に憧れているのかもしれません。
人は信号によって動いているというのなら、ちょっとした衝撃で信号の変化は起こるのです。その信号の波形さえわかれば矯正をすることは可能なのでしょう。自分は今、どんな波形なのでしょうか。少し考えてみたいカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月21日

カルボレンといいます! 〜その738〜

人の慣れとは恐ろしいもので、どんなことにも適応していくことでしょう。たとえ毒であるとしても微量であればそれに耐えることができ、徐々に免疫ができていくことで量を増やしても大丈夫になることもあるのです。どんなことでも一気にやってしまうより、小分けにしてやったほうが体がついてくるというのに似ているのかもしれません。
人の体は環境に合わせて大きく変化をしていきます。一番顕著に表れるのは皮膚でしょうか。よくこすれる部分は硬くなり、ダメージに強くなっていく。手のまめを見て何をしているのか当てるというのは、何かをすることによって生じる見た目の変化から推測しているにすぎません。手は人が作業をするうえで必ずといっていいほど使われるもの。パソコンをタイプし続けていると手首にタコができるように、特別な模様を浮かびあがらせていくのです。それを上回れば骨格まで変わり、よりその作業をしやすいものへと変化していく人の慣れというものに驚きを感じているのです。柔かい素肌が柔軟な鎧のように変化していく過程を気がつく人はあまりいませんが、結果として残ったそのものは自分の努力した証として残ることでしょう。
昔の努力は代謝で消えるまで残りつづけている。それに活力を得たいカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月20日

カルボレンといいます! 〜その737〜

数字の列が並んでいます。その数字が何を表しているのかは作った人でなければわかりませんが、説明されれば意味を持つものがあります。一見、何の意味もなさそうな列のなかに思わぬ意味が含まれていることもあるのでしょう。人々はそんな暗号を用いて内密に、知られてはならない情報を仲間内に伝えることをしてきました。この世界は暗号によってできたといってもいいでしょう。日本人にとっては他の言語であっても暗号のように感じます。それは日本語が日本という国で過ごすために共有された暗号ということができるのかもしれません。
そう考えると他の国の言葉を国語として勉強するより、一種の暗号を解くという作業にしてしまうと面白いのかもしれません。生きた言語であるのならば本物の暗号よりも遥かに簡単に解くことができるでしょう。言葉というのはどんな状態になるにせよ相関性があるのですから。暗号のように見えるものでも単純に解くことができるのが言語として使われているのです。
そう考えるとどんなに難しい暗号であっても、何を表しているのかを紐解いていくことで解読することができるのでしょう。そうして古代の暗号は解かれてきたのですから。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月19日

カルボレンといいます! 〜その736〜

情報量が多くなればなるほど処理は遅くなっていきます。それは脳であってもパソコンであっても同じです。辞書から一つの単語を探すとして、その辞書の規模が大きければ大きいほど、探すのは大変になることでしょう。探すのに数秒ですむ情報と、何時間もかかる情報。どちらのほうが求めている情報なのでしょうか。深く知りたいのなら時間のかかるもののほうが良い情報なのでしょうか。それは関係ないのかもしれませんが、時間をかけたほうが良いもののような気がするのも確かです。
時間がかかるといらいらしてきてしまいます。何を調べていたのか。その情報は本当に必要だったのか。それすらも分からなくなってしまうかもしれません。情報量が多いというのも考えものなのです。それだけ探しているものが見つからなくなってしまうのですから。
情報というのはいくらでもかさましすることができるのです。そして多ければ多いほど具体的にはなりますが、それを知りたいと思う人は減っていくのかもしれません。それだけ時間を取られるということなのですから。興味がない人にとってはただの苦行となってしまうことでしょう。
その苦行を自ら突き進んでいるのだな。と思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:43| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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