2018年02月23日

カルボレンといいます! 〜その740〜

言葉は魔法、文字は呪文なのです。人間は言語を自在に操ることができることこそが魔導師といえるのかもしれません。人は常に呪文を学び、魔法を唱えているのです。自分の思い通りに展開させるための始原にして最強の魔法を。
人である以上、しっかりと言葉を学ばなければならないのでしょう。生きているうちに完全に会得することのできない難解なものでありながら、誕生してすぐに会得することができる簡単な魔法。単純にして複雑。苦労をしなくてもある程度を得ることができるけれど、突き詰めるには長い年月を要する。
そう考えるとある程度の魔法が使えたらそれでいいかな、なんて思います。
せっかく手に入れたものなのです。それを自由に使えたらどんなにいいかと思います。うまく使うことによってどんなものでも生み出すことができ、消失させることもできるのです。良くも悪くも印象を変えてしまうこともできる万能なものとどう付き合っていくのか、考えても面白いのではないでしょうか。
そこで問いたいのです、あなたの魔法力はどれほどのものでしょうか。魔法とは何かと思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月22日

カルボレンといいます! 〜その739〜

人の変化というものは突然にやって来る。何が引き金になって変化するのかはわからない。そしてその変化に気がつくのは、距離を置いていた人だということにも注目したいものです。突然の変化、急激な変化だとしても、距離の近い人は以外と気がつかないもので、ふと過去に立ち戻ったときに思い出すのでしょう。「彼はいつの間に変わってしまったのだろう」
それは自分の場合も同じであり、過去の自分を知っていれば、自分の変化を理解することができるのでしょう。自分の変化に気がつきたくないとしてもふとした時に気がついてしまうこともあるのです。そのときは過去の自分自身に戻るチャンスを得るのかもしれませんが、過去の自分に戻りたいと思うことはあるのでしょうか。昔の自分を思い出そうとしてもなにも思いだせない私は、なにもわからないからこそ、昔の自分に憧れているのかもしれません。
人は信号によって動いているというのなら、ちょっとした衝撃で信号の変化は起こるのです。その信号の波形さえわかれば矯正をすることは可能なのでしょう。自分は今、どんな波形なのでしょうか。少し考えてみたいカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月21日

カルボレンといいます! 〜その738〜

人の慣れとは恐ろしいもので、どんなことにも適応していくことでしょう。たとえ毒であるとしても微量であればそれに耐えることができ、徐々に免疫ができていくことで量を増やしても大丈夫になることもあるのです。どんなことでも一気にやってしまうより、小分けにしてやったほうが体がついてくるというのに似ているのかもしれません。
人の体は環境に合わせて大きく変化をしていきます。一番顕著に表れるのは皮膚でしょうか。よくこすれる部分は硬くなり、ダメージに強くなっていく。手のまめを見て何をしているのか当てるというのは、何かをすることによって生じる見た目の変化から推測しているにすぎません。手は人が作業をするうえで必ずといっていいほど使われるもの。パソコンをタイプし続けていると手首にタコができるように、特別な模様を浮かびあがらせていくのです。それを上回れば骨格まで変わり、よりその作業をしやすいものへと変化していく人の慣れというものに驚きを感じているのです。柔かい素肌が柔軟な鎧のように変化していく過程を気がつく人はあまりいませんが、結果として残ったそのものは自分の努力した証として残ることでしょう。
昔の努力は代謝で消えるまで残りつづけている。それに活力を得たいカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月20日

カルボレンといいます! 〜その737〜

数字の列が並んでいます。その数字が何を表しているのかは作った人でなければわかりませんが、説明されれば意味を持つものがあります。一見、何の意味もなさそうな列のなかに思わぬ意味が含まれていることもあるのでしょう。人々はそんな暗号を用いて内密に、知られてはならない情報を仲間内に伝えることをしてきました。この世界は暗号によってできたといってもいいでしょう。日本人にとっては他の言語であっても暗号のように感じます。それは日本語が日本という国で過ごすために共有された暗号ということができるのかもしれません。
そう考えると他の国の言葉を国語として勉強するより、一種の暗号を解くという作業にしてしまうと面白いのかもしれません。生きた言語であるのならば本物の暗号よりも遥かに簡単に解くことができるでしょう。言葉というのはどんな状態になるにせよ相関性があるのですから。暗号のように見えるものでも単純に解くことができるのが言語として使われているのです。
そう考えるとどんなに難しい暗号であっても、何を表しているのかを紐解いていくことで解読することができるのでしょう。そうして古代の暗号は解かれてきたのですから。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月19日

カルボレンといいます! 〜その736〜

情報量が多くなればなるほど処理は遅くなっていきます。それは脳であってもパソコンであっても同じです。辞書から一つの単語を探すとして、その辞書の規模が大きければ大きいほど、探すのは大変になることでしょう。探すのに数秒ですむ情報と、何時間もかかる情報。どちらのほうが求めている情報なのでしょうか。深く知りたいのなら時間のかかるもののほうが良い情報なのでしょうか。それは関係ないのかもしれませんが、時間をかけたほうが良いもののような気がするのも確かです。
時間がかかるといらいらしてきてしまいます。何を調べていたのか。その情報は本当に必要だったのか。それすらも分からなくなってしまうかもしれません。情報量が多いというのも考えものなのです。それだけ探しているものが見つからなくなってしまうのですから。
情報というのはいくらでもかさましすることができるのです。そして多ければ多いほど具体的にはなりますが、それを知りたいと思う人は減っていくのかもしれません。それだけ時間を取られるということなのですから。興味がない人にとってはただの苦行となってしまうことでしょう。
その苦行を自ら突き進んでいるのだな。と思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月18日

カルボレンといいます! 〜その735〜

寒さというのはいいものです。慣れてくると暖かく感じるものですから。暑さはだんだんと嫌になっていきますが寒さはそこにありたいという気持ちにさせてくれる力があるのかもしれません。それはある程度、人は寒さに強いからなのかもしれません。
とはいっても人間は暑さに弱いわけではないのですが。私は寒さのほうが気分的にいいのです。気分の問題なのです。とくにパソコンを扱っているものとしては暑さよりも寒さのほうが都合がいいのです。パソコンが正常に働く範囲でいうのなら、その最低限の寒さであるほうがいいな。なんてことも思うのです。その考えのなかに、人間がどれだけ暑さに強かろうが、寒さに強かろうが関係のないことなのですが。
自分が必要なものがもっとも活かすことができる気温がもっともよいのです。そこに人間の温度に対してのレスポンスは含まれていません。人は気温には適応することができるのですから。
だとするなら私は寒いほうがいいのです。寒さに人は耐えることができる。そしてわたしがしたいことは寒くなくてはできないもの。だとするなら私自身は妥協しなければならないのでしょうね。
寒さも調整することができる人という存在であるのですから。カルボレンでした(´っ・ω・)っ

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2018年02月17日

カルボレンといいます! 〜その734〜

日々、自分の顔を対面していると不思議な気持ちになるのです。自分の顔は自分が思っている以上に日々変わり、膨らんだりしぼんだりしていることに気がつきます。時には刻まれた深い谷を指でなぞり溜息をつくこともあれば、それが伸びて消えることもある。いつのまにかできた黒ずみの理由を考えながら、それをどう誤魔化そうか考えている自分がいる。これが本当に自分の顔なのかわからなくなってしまいそうになるほど変化するのに、そう時間はかからないことでしょう。それほどに人の顔は常に変化し続けているのです。今、この瞬間の顔はこの時にしか存在しないのなら、とっておきたいという気持ちも分からなくはないのです。実は今の自分が一番良い自分なのかもしれませんから。
自分の顔が自分で認識できなくなってしまうこともあるでしょう。基本的に人の顔は一つの基本の元にあり、最終的には皆同じ顔になっていくことでしょう。しかしそうは思えないほどに人の顔はさまざまです。自分の顔が認識できることが幸せであると信じています。そんなカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月16日

カルボレンといいます! 〜その733〜

自分が何のために「これ」をしているのか。よく考えることがあります。どんなものでもやるからには目的があるのです。その目的のためにやらなければならない「これ」に全力を注いでいるのでしょう。
生物の目的はたいてい生きるために努力するのでしょうか。人も生きるために努力をつづけるのかもしれません。そして生きるのに余裕が出てきたときに、楽しみながら生きるために努力をするとなるのかもしれません。楽しく人生を生きるためには、それなりの基盤が必要になるのですから。基盤は積み重ねることで安定していく。生きることを棄てて楽しみを得ることは難しいのかもしれません。しかし人はそれを望むのです。自らを苦しめながらその場の楽しみに惹かれてしまう。そんな欲のようなものが人を動かしているのも一つの真実なのでしょう。
自分はいま、何のために「これ」をしていますか。それは基盤になっていますか。それとも砂糖菓子のような甘さでしょうか。他人から見てもどちらも無駄に思えるものかもしれませんが、自分にとっては大切なものなのです。自分くらいは見きわめていたいものですね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月15日

カルボレンといいます! 〜その732〜

自分の感情をどのように表現したらいいのか、わからなくなってきました。人間は自分の感情を自由に表すことができるのです。喜怒哀楽、さまざまな表情をすることができるのですが、どんな顔をすれば表現することができるのかがわからなくなってしまったのです。人は感情を表現するとき、どんな顔だったかを意識し始めるとどんな顔をしたらいいのかわからなくなってしまうのでしょう。自然の表情を、意識して表現することは難しいのです。自然の笑顔と作り笑い、見比べてみると明らかで、人に自分の感情が読まれてしまうのではないかと意識し始めると、自分の感情を表に出してしまう表情というものを恐怖し、感情を表現することがなくなってしまったのです。するとだんだんと無機物のようになっていくように感じ、自分の感情を表現することができなくなっていったのです。
しかしやはり自然の表情というものが感情を一番表現するものであり、素晴らしいものなのかもしれません。ふとしたときに笑い、涙をみせる。そんな姿を他人が見て、その感情を知ることができる。素直な表情が一番なのだと感じたカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月14日

カルボレンといいます! 〜その731〜

人が味覚を感じるのはどうしてでしょうか。甘い、酸っぱい、しょっぱい、辛い。いろんな味を口のなかで分類できることに感動をおぼえているわたしです。大雑把に甘い、辛いということは簡単ですが、さらに細分化され、より甘いほう、より辛いほうと比べることができる。それはすごいことなのだと思います。
味は複雑なもので、単に甘い、単に辛いというものは自然にはほとんどありません。口にしたものの味を表現しようとしたらややこしいことになるのです。
このものは「口に入れたとたんに感じるのは甘く、しょっぱさのなかにほんの少し酸味があるような気がする。噛んでいるうちにしょっぱさ、というよりも塩気のようなものが強くなりはじめるうちに甘みが薄れ、呑みこんだ後には少しの酸味と苦みが残っていた」なんて表現されるのです。なんとなく想像をすることはできますがややこしくてあえて表現しようとは思わないことでしょう。
そんな複雑なことを一瞬で処理することができる人の味覚というのは、誇るべきものなのだと改めて思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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