2018年04月30日

カルボレンといいます! 〜その803〜

楽しいと思うこととつまらないと思うことの差とはなんでしょうか。
どんなことでも楽しいと思えますし、どんなことでもつまらないと思えるでしょう。結局は見方によって変化するのです。その変化を感じる瞬間というのは自分では気がつかないでしょう。しかし人は楽しいこと、つまらないことを入れ替えることができるのです。楽しいと思うことが出来ますし、つまらないと思うこともできます。すべて見方次第なのでしょう。
自分にとって楽しいことはいったい何ですか?そしてその楽しいことの特徴は何ですか?
きっとそれを考えていくとつまらないものとの共通点を見つけることができるかもしれません。共通点を見つけることでつまらないものを楽しむことができるのではないでしょうか。その逆もしかりです。
自分の楽しんでいるものとつまらないと思っているもの。それらの共通点を見つけてしまうことで考えが逆転してしまうことがある。誰かに辞めてほしい趣味があったときは、その人が嫌いな事柄との共通点を指摘するといいのかもしれません。
そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ

posted by さくら紅葉 at 20:45| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月29日

カルボレンといいます! 〜その802〜

言いたいことは言いたいものですね。しかし言えない状況というものは多いものです。人と話をしているときは言いたいことを言うとたいていは嫌われてしまいます。相手の顔色を見ながら言うことを考えながら話す、というのは面倒くさいですから。
そう考えると私は言いたいことを壁に向かって言うことにしています。壁は文句を言いませんからね。穴を掘って叫ぶのもいいでしょう。水の中で喋るのもいいでしょう。言いたいことは言えばいいのです。ただそれを人前でいう必要はなく、自己完結をすることもできるのです。
ただそれでは満足できないのが人間です。人に話して共感してもらいたい。そんな気持ちを抱くのではないでしょうか。だとすると話を肯定してくれる人という存在が大切なのかもしれません。だからこそお願いするしかないのです。「黙って私の話を聴いて頷いて!」それなら機械でもできますし、反応があれば満足するでしょう。
ただ私的には間違ったことがあったら否定してほしい。そんなことを思ってしまうのです。
言いたいことは言うけれど、相手の言いたいことは聞かない。そんなことはきっとまかり通らない。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年04月28日

カルボレンといいます! 〜その801〜

感性というのは人それぞれです。その感性にいつも振り回され、私は自分のするべきことを決めてきました。自分が何に刺激を感じて生きてきたか。ふと考えてみると偏りがあるように感じます。もっと昔にそれに触れていたらと思うこともありますが、そのときの自分の感性が邪魔をして見ることはありませんでした。意識的に引き寄せられてしまうものがあれば、避けてしまうものがある。その避けていたものに自分の求めるものがあった可能性があったかもしれないと後になって思うのです。自分の感性が自らを阻害する要因になってしまったのかもしれません。
しかし感性とは大切なもので、それが何であるかを感じるものであり、人によって同じものが違うものに見える原因となるものです。それは変化させることができ思いのままに操ることができる。それはそれがそれに見えるという不思議なものなのです。
だとすると後悔をしない感性を作り出すことができるのではないかと考え、意識改革を行なってみました。自分は何をするべきなのか整理を行なうだけで十分です。それだけで考え方も感じ方も変わり、満たされることになるのでしょう。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年04月27日

カルボレンといいます! 〜その800〜

おや、800回目ですか。ずいぶんと旅を続けてきたものです。病んでいるときも元気なときも、ずっと続けてきたかいがあるものです。それは自分のため、自分が楽しむために続けてきたものであり、自分の考えを少しでも人に知ってもらいたいということで続けてきたのです。一つのやりがいというものを感じていました。
やりがいというのは大切なことです。やりたいという気持ちが人に継続力を与えます。継続力はそのまま、それに対する興味であり、どこまで上手くすることができるかという切磋琢磨の機会でもあります。その日一日に出会うことができることは限られており、限定的なものもたくさんあります。人はそれを一期一会と言い楽しんできました。私の書く文章も内容は似たり寄ったりではありますが一期一会のものなのかもしれません。自分自身にとっても、読んでくれる人にとっても。
私の偏狭で稚拙な文章を読んでくれる心優しい方々に伝えられる情報は少ないものかもしれません。ですが少しでも影響を与えることができるものだったらと思います。
少し嬉しい気分になったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年04月26日

カルボレンといいます! 〜その799〜

ジグソーパズルをやっていると楽しい気分になります。多種多様のパーツがあり、その一つひとつが繋がっていって最終的には一つのものになるのです。その完成形を楽しみにジグソーパズルをする人もいますが、私はその過程が楽しいと思います。だんだんと形作っていく中でその完成形を想像している時が楽しいと思います。完成してしまったらそれで終わってしまうのですから。それが寂しくてたまらないのです。だから私は完成を先延ばしにして色々と考えていることも多いです。でもやがては完成することでしょう。
ただ完成したからといってそれで終わりではありません。どんな額に入れるか、どんなコーティングをするか、どこに飾るか。そんなことを考えることができます。完成したと思ったものにもまだ手を加えることができるものもあるのです。終わることはなく果てしなく続いていくのだと、そう考えます。
ジグソーパズルは一つの作品を作るだけのことですが、その一つを完成させる過程はそれぞれで、完成品がどのように飾られるかも違います。自分が求める完成形にできたらいいと思う、そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年04月25日

カルボレンといいます! 〜その798〜

触ったら壊れてしまう大切なものがあるとします。そのものを運ばなければならない時はどのように運びますか。丁寧に梱包することでしょう。では梱包すらできないものだったら。その場所から動かせないものだったらどうするでしょうか。そのまま置きっぱなしにしていたら壊されてしまうことでしょう。
そんなときはそこに置いておくことを願うでしょうか。それともどうせ壊れるのなら自分で壊すでしょうか。何とかして運ぶ方法を探し続けるでしょうか。どれを選んでも構いません。それは別の人にとっては大切ではなく、その場所から動くことが大切になるのですから。
どうしようもないことというのはたくさんありますが、それを何とかしようとすることは尊いことでしょう。考えることをやめてしまうことは簡単ですが、考えつづけることで突然妙案が浮かんでなんとかなってしまうことがある。しかしそれは限られた時間で考えなければならないとなると大変です。何も思い浮かばない時になさねばならない決断を決めておかなければならないことでしょう。
私だったら……そうですね、その時にならないとわからないです。そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年04月24日

カルボレンといいます! 〜その797〜

自分の存在意義というものを考えますが、自分の存在を評価するのは他人ですから自分の存在意義というものを自分で判断することは難しいのかもしれません。しかし自分というものの中にも他人は存在し、自分の中の他人が自分というものを評価することができるのです。それは一つの自分の存在意義と言えるものではないでしょうか。
多くの人が自分のことについて考えることでしょう。どうしてここにいるのか。どうしてこんなことをしているのか。その答えは誰も教えてくれませんが誰もが推測するものなのです。何かを見た時にそれに対する感想を述べる。その一つ一つこそが自分の存在する意義であり、理由なのです。それには自分の意見も反映され、それらを総括することで自分の存在意義が形となって表れるのではないでしょうか。
ならばこそ、その存在意義の積み重ねによって人の実像が形作られていくということでもあり、それ自体が本体となっている可能性もあるのです。評価そのものが自分の意義となる世界。それが社会なのでしょう。
では社会から抜け出したものはどのような評価を受け、どのような姿に変わるのか、何となく想像できるのです。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 17:08| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月23日

カルボレンといいます! 〜その796〜

意味を考えはじめると面白いものです。どんなものにも理由があり、それを推測することを許されています。自由にそのものについて考えることができ、それが例え間違っていたとしても納得することもさせることもできる。人にとって一つの真実は見方を変えることで違う結論に持っていくことができる。真逆の結論になったとき、きっと教唆した存在は笑いが止まらないことでしょう。
真実は必ず存在しますが解釈によってさまざまな形に装飾されることは事実です。一つのものであってもそれは装飾されることで形を大きく変化させます。「丸」が目の前にあったとして、それは歪んだ丸なのか正確な丸なのかを「丸」という言葉から受け取ることはできません。しかし人は想像することを許されます。「丸」がいったいどんな「丸」なのかということを。
「丸」という真実は、きっと正しいのでしょう。そこに様々な装飾がつくことによって自分の脳裡に浮かんでくる。もっとも自分が「丸」と感じる「丸」に形作られていくのはどんな気分なのでしょうか。
他人の真実も知りたいと思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年04月22日

カルボレンといいます! 〜その795〜

不思議な話というのは惹かれるものがあります。この世界に存在する話には理解できない不思議な話がたくさんあります。それは真実を知ってしまえば単純なことかもしれません。しかしたった一つの事実を隠すだけで不思議なことになってしまう。そこが面白いのかもしれません。
その一つとして挙げられるのがマジックでしょう。マジックには種があります。その種を知ってしまえば簡単なことで納得することができますが、知らないで見ていると不思議な気分を味わうことができるでしょう。空を飛ぶはずのないものが空を飛び、消えるはずのないものが消える。そんなことはありえないということが目の前で起こるのは、その裏で何か自分の知らない前提や理由があるからなのです。
不思議というものには答えがあるのです。しかしそれを知ってしまうと面白くなくなってしまうのもまた事実。ならば真実を隠し不思議のままであり続けることも幸せなのかもしれません。
真実を知ってしまったとき、つまらなくなって離れていってしまう人もいるのは事実なのですから。
そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 17:31| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月21日

カルボレンといいます! 〜その794〜

ああ、まとめるということは難しいものですね。まとめる人によってその見やすさは大きく変わります。一つの物語だとしても、どの人がどのようにまとめるかによって印象が大きく変わります。すごく哀しい物語だというのに面白いものになったり、良い話が悪い話にまとめられたり自由に印象を変えることができます。綺麗にまとめる人とまとめているうちに訳が分からなくなる人、何が違うのでしょうか。
それはきっと一つの軸があるかどうかに決まるのではないでしょうか。どんな物語にもいくつかの軸があることでしょう。そのうちの一つを正確に読み取り、その部分をうまくつなげることでまとめになるのかもしれません。
しかし豪華に装飾されたものからその骨格を取り出すということは技術が必要なのです。何度も推敲を重ね、たくさんの作業をすることによって技術を高めることでまとめる力というものが必要になるのかもしれません。要領の良い人は簡単に出来てしまう作業だと思いますが、できない人にはいつまでもできないことでしょう。
まとめるというのはきっと多くの努力が必要になるのかもしれません。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:13| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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