2018年06月19日

カルボレンといいます! 〜その851〜

物事は順調なときがあればそうでないときがあります。それは何が違うのでしょうか。世界は常に一定の確率で動き続けているのです。それを自分たちの都合で良い、悪いを判断しているわけであり、なんとも自分勝手だと自然には怒られてしまうかもしれません。ときにその怒りは人に罰を与え、人々はそれを神の御業だと崇拝した歴史があるのです。人は自分の理解できないものを未知なる力に置きかえることを好みます。神さま、幽霊、怪物……私はそんな考え方が大好きな人なので、そんな物語ばかりを好んで読んでいるのです。もちろん、きちんとどうしてそんなことが起こったのかということを科学的に知っていたほうがその物語はより面白いのですが。
人の見えなかった力を可視化する。それでもなお強大な力は我々に思わぬ影響を与える。だからこそそれを利用しようとする存在や恐れる存在、様々な反応があるのでしょう。その反応がたまらなく面白いために人々は物語を書き、読み、堪能することでしょう。
そうして培ってきたものが今の世界であるというのなら、不思議な過程を経ているのだな、なんてことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ

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2018年06月18日

カルボレンといいます! 〜その850〜

毎日予想外なことがあるからこそ、人生は楽しく恐ろしいのでしょう。何が起こるか分からない。それが良いことか悪いことかもわからない。一瞬で状況が反転し、明暗が変わり、まるで異世界に移動したかのように錯覚することさえあります。夢のような景色、幻をみているかのような感じ、ついつい現であるということを忘れて望んだ行動をしてしまいたくなります。理性というものを失いたくなることもあるでしょう。しかしここが現であるうちは、人は人であり続けなければならないというのは大変なことかもしれません。しかし人はどこまでいっても人であり、王でも君主でもないのです。獣でも動物でもないのです。理性がある人間なのです。そのことに誇りを持つことは問題ありませんが、度が過ぎる誇りはときに思わぬ結末を迎えることになるのでしょう。
しかしそれも含めて人だというのなら予想外なことが起こるのは当然のことで、人の思惑が予想外を産む要因の一つになっているのでしょう。それが夢を見ているように感じることがあります。夢であってほしいと思うこともあります。そんなときは声高に言えばいいのです。それは嘘であると。
いつまでも異世界に逃げることができないというのなら、誇りなんて捨ててしまえばいい。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年06月17日

カルボレンといいます! 〜その849〜

何度も繰り返していくとそれは気になるものになるのでしょうか。そんなことはないでしょう。繰り返すだけでは刺激が足りないのです。そのうち疎ましくなっていくことでしょう。そうなってしまったらシャットアウトされておしまいです。なにか変化がなければいけません。何年も、何十年も続いているものに飽きてしまう前に何か工夫を繰り返して、人は技術を高めていったのです。しかし簡単にはいきません。それに失敗したものから順番に廃れていく。そうしてまた新しいものが生まれていく。それが嬉しいと思う人がいれば悲しいと思う人がいる。しかし少数のものは我慢しなければならないなんていうのは悲しさに拍車をかけることになりますね。
少数が泣くという事態はあってはならないのですが、少数がピックアップされるのも嫌なのです。そんなときには限られたコミュニティのなかで盛り上がる程度のもので良いのだと考えます。最低限度でもいい、それが生きがいになってくれるのならそれ以上は望まない。そんな気持ちがあればうまくいく世界であればどれだけいいのでしょうか。欲を捨てきれないというのは嫌なものなのです。良くもなく生きがいを求めるためだけに頑張っていくことで成功することができる人はどれくらいいるのでしょうか。色々考えてしまいます。
繰り返したとしてもそれは何のためでしょうか。好きなことを繰り返すのは自分のためなのです。頭がこんがらがりそうなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年06月16日

カルボレンといいます! 〜その848〜

体を動かすのは良いことですが、どれだけ体を動かしたら満足するのでしょうか。自分の思った通りに自由にやめられる状況で運動をすることが楽しいという人がいれば、友達と協力してなにかをやるということ、なにかイベントに参加して運動する人と様々いるでしょうが、私は一人で体を動かし続けるのが好きな人なのかもしれません。自分が疲れたらやめて、続けたいときは続ける。そんなことをするためには一人のほうが都合がよいのです。まぁ一人でできることというのは限られていますが。
自分がどんなことを望んでいるのかということを考えることは、そのまま自分のことを考えることになるかもしれません。私は一人で体を動かすことが好きなので、おそらく人との関わりを持つのが苦手であったり面倒くさいと思っているのかもしれません。ならそれを考慮して動かなければならないことは仕方がないのでしょう。自分らしさというのはそういう自然なところにあるのかもしれません。
では自分が満足することを変化させれば性格は変わるのでしょうか。変わるかもしれません。要は楽しいと思えればいいのです。楽しいと思えば人は続けることができるのでしょう。苦手なことを楽しいと思えるようにすること。それが上手く適応する方法だと改めて思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年06月15日

カルボレンといいます! 〜その847〜

自分の五感以外で感じることはあるでしょうか。よくわかりません。それが五感でないのか、それらが組み合わさって別の感覚に感じているのか。意外となんだかよく分からないけど感じるものというのは、全身で感じているものなのかもしれません。
人は一度に多くのことを感じることができない存在です。だからこそ、様々なものが合わさってしまうと脳が混乱してしまうことがよくあることです。脳が混乱して何か未知なるものを感じたような気がしたとき、人は喜び、恐怖するのです。なにか新しい発見をしたような気がするのですから。
人の感覚は素晴らしいことに一つひとつの能力が素晴らしいものです。目、耳、鼻、口、肌……それぞれ感じることは異なりますが刺激には変わりありません。その刺激が混じったとき、初めて現実のものとして目の前に現われるのです。しかし繊細な感覚はときにその物質の実像を変化させるでしょう。一つの感覚が無くなることで。一つの感覚が加わることでまったく別のものが生まれてしまう。それが五感以上の感覚だというのならそれは正しいのかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年06月14日

カルボレンといいます! 〜その846〜

日によって変わる自分自身の感情をなんとかいつも通りに戻さなければならないのです。それは簡単なことではありません。人の感情は簡単に変化してしまうのですから。それでも常に一定であるためには自分の常というものを作らなければならないのです。
自分がどうであるべきなのか。まったくぶれなければいいのです。自分がどうあるべきなのかを考えて行動すればいいのです。それは簡単なことではありません。どんなときにも自分のあるべき姿を考えていなければいけません。ふとした瞬間に自分がどうあるべきか正気を失うときがあります。何を考えているのか分からなくなるときがあります。そんなときに果たして自分らしさを保つことができるのでしょうか。自分と自分の理想がかけ離れていればいるほど、それは難しくなるのでしょう。
なら自分のことを知っていることが必要なのです。自分の理想は自分の身の丈にあったものでなければいけません。そうしなければいつも通りなんてできないのです。作られた自分が自分のものになるためには人生を捧げなければいけません。それなら自分らしい自分らしさを見つけたほうが楽なのです。
そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年06月13日

カルボレンといいます! 〜その845〜

どうして自然というものは不思議な形を生み出すのでしょうか。ときに思いもよらない形を造ることがあり、感覚を刺激されるのです。その刺激は良くも悪くも私に力を与えてくれるものなのでしょう。それが果たしてどんな影響を与えるのか考えてもわかりません。ですが何かが変わるのでしょう。一つも同じものが見当たらないもの、ときに何の一致すら見当たらないものを発見したときに感じる感動はどれほど素晴らしいものなのでしょうか。それを知りたくて新しい発見を探すときに最も可能性があるのが自然なのでしょう。自然はすべての根源であり、かつ基盤なのですから。
どんなものも結局は何かの応用によってつくられている。だからこそすべてには見覚えがあり、何かの真似であると考えることができる。それでも真新しいと感じるのはきっとまだ見たことのないもの、未知なるものだということなのでしょう。考えつかないようなものが普通に転がっているのだとしたら、それは意外と身近にあるものの応用である可能性があり、その可能性を見つけるには基礎から探しだすことが重要なのかもしれません。
そう考えると自然の形というのは良いものなのでしょう。だからこそ不思議な形を探しているのです。どこにでもあるありきたりな自然というものを。
そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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カルボレンといいます! 〜その844〜

朝に書くというのもいいものです。ですが予定が狂うのは気持ちが悪いものです。
人は予定通りにことが運ばないと気持ちが悪いと思います。つい忘れてしまったことでも、あとでもやもやしてくるのです。たとえそれがどうしようもないことであったとしても。
管理をしていると思っている自分のことですら管理できていない人間が他人の管理なんてできるのでしょうか。偉そうなことを言って自分のことを見ていない人間にできることとはなんでしょうか。そんな自分を見つめることで見つかるものがあるのでしょうか。様々なことを考えてしまいます。
忙しさを理由にしてはいけない。体調不良を理由にしてはいけない。なぜなら後で後悔するからです。どうせ後で悩むくらいなら今、やったほうがいいのです。そうすれば自分だけはすっきりすることでしょう。
まず第一に自分のことを考えるべきです。そうして充実していくうちに他人との関係も充実したものになっていくでしょう。自分が満足できないものであれば、他人に満足を提供することはできないと思っています。
なら次に何をするべきなのか。もう決まっていることでしょう。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年06月11日

カルボレンといいます! 〜その843〜

一日にできる作業量というのは限られていますができる限り多くのことをしておきたいものです。やりたいことが多いと一日という時間があまりにも短く感じて窮屈になります。しかし何をしたらいいのかと考えるのは時間がもったいないと感じてしまい、ただひたすら自分のしたいことから順番にやることは効率がよいとはいえません。果たして効率よく自分のしたいことをするにはどうすればいいのか、と考えてしまいます。
しかし大抵のものはやっているうちにやるべきことが見つかるものであると信じており、ただただやるべきことを見付けるためにやりたいことをするのです。そうしているうちに自分の作業が間違っていることに気がつき方向転換をすることができ、さらに突き詰めていくことも可能なのかもしれません。
自分の人生を振り返ってやってきたことを思うとどうなのでしょうか。これからするべきことの一つの指針になってくれるのではないでしょうか。私がするべき作業はなにで、どうすればいいのかを考えることができるのではないでしょうか。やってきたことを振り返りより良い人生になることを祈る、そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年06月10日

カルボレンといいます! 〜その842〜

一つのものを深く調べるのと、多くのことを浅く調べるのはどちらのほうが良いのでしょうか。考えはじめると分からなくなってしまいます。一つのものを深く調べると誰よりもそのことに詳しくなれるかもしれませんがだから何だといわれてしまうこともあるでしょう。多くのことを浅く知っていると誰とでも話はできますが深い話を知っている人には鼻で笑われることでしょう。
本当であればすべてのことを深く知っていることが理想です。しかしすべてのことを知るには人の人生はあまりにも短すぎることでしょう。それほどに人には調べなければならないことがたくさんあるのでしょう。
だからこそ人は選択しなければならないのです、自分が何を調べるべきなのかということを。自分が好きなものであれば自分だけが知っていることであっても突き詰めていくことができるはずなのです。そしてそんなことは一つもなく、必ず誰かが興味を持っているのでしょう。そんな人は探さなくても、自然と見つかるものなのです。
そう考えると一つのものを深く調べるのも楽しく思えます。昔から偏屈な私にはお似合いなのかもしれません。
しかしすべてのことを知りたいと思ってしまうのはなんとも強欲なものですね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 17:49| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする