2018年07月22日

カルボレンといいます! 〜その883〜

早めに作業を終わらせておくことができると良いのですが。どんどんと前倒しに作業をしていき、一週間ほどの余裕ができたら何をしましょうか。しかしそのためにはどれだけの作業をすれば余裕が生まれるのでしょうか。そもそも作業をたくさんすれば前倒しすることができるのか、ということを考える必要があるのかもしれません。毎日のようにしなければならないことがある作業に関しては前倒しすることができないのですから決まった量を決まった量だけやり、定められた休みを楽しむ方法を考えるべきなのです。作業が前倒しにできるのなら、いずれ来るときのために前倒しできるだけ前倒ししてしまえばいいのかもしれません。そうすれば不測の事態にも対処することができるのですから。
ただ前倒ししすぎてしまえばその作業はどんどんと過去のものになっていくのです。そんな過去に積み重ねたものを必要とする作業というのはどれだけあるのでしょうか。やっぱり楽をするために作業をするのは間違っているのかもしれませんね。
やり続けなければならないのだと思った、そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年07月21日

カルボレンといいます! 〜その882〜

必要なものは必要なだけ持っていればいい。そうは思っていてもちょうどいいくらいなんてわからないでしょう。足りないよりは足りたほうがいいと多めに持つというのはとても心配症だと思いますがほかにもそれを必要としている人がいる可能性を考えると、本来は足りなくなったときに足りなくなった分だけ補充するということが良いのかもしれません。ですがそんなことは面倒くさいので補充できるときに補充できるだけ補充して満ち満ちている自分に満足するというのがほとんどの人なのかもしれません。むしろ足りている自分は足りていない人よりも満たされているのだと自慢げに語るかもしれません。実際にはそんなことを自慢げにいわれても困るようなことばかりですが自慢人が楽しく話して周りは「良かったね」なんて優しい言葉をかけてあげるという優しい世界なのかもしれません。
しかし本当に優しい世界というのは初めに言った足りないときに足りない分だけ、ということを続け、無駄に需要をあげないことが優しさなのだと思います。余計なものはできるだけ抑えることが望まれることだと分かっていてもうまくいかないのが人ですが。
自分には何がどのくらい必要なのか考えつづけているカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年07月20日

カルボレンといいます! 〜その881〜

好きなことをしていれば生きていけるという存在であればいいのにと思います。求めている知識や運動によって生きるエネルギーを得ることはできず、エネルギーを消費して行うというのは嫌ですね。植物が光合成によって二酸化炭素を消費し酸素を創り出すように、自分が好きな事をすることで必要な睡眠や食事のストックが作れたらよいなと思うのです。
それはある意味では好きな事でお金を稼ぎ、お金で質の良い睡眠や食事を買うのに似ているかもしれません。何かを必要とするために何かを犠牲にしなければならないのだとしたら仕方がないことなのかもしれません。
何かを消費することで何かを得られるというのは普通の事なのだと思います。ならば生きるためのエネルギーを得るために犠牲にするものと好きなことをするための犠牲にするもの、そのどちらにもあたるものを見つけたら良いということなのでしょうか。結局やるべきことは決まっているのかもしれません。
自分が求めているものを得るための犠牲を考えると、ある程度の我慢をしなければならないのかもしれません。無理をしない程度に満足を得ることにしましょう。そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年07月19日

カルボレンといいます! 〜その880〜

人というのは浮き沈みの大きい存在ですからある程度の余裕をもたせていないと失敗してしまいます。自分が最も効率よくできる速度をいつまでも維持できることはなく、想像よりも早いときも遅いときもあるのです。そう考えると自分の最も遅いであろう速度で余裕を持たせることが安全策ではありますが人の時間というのはそれほど余裕がないのです。ある程度焦りつつもそれなりにこなすことができる境界のリミットを決めなければ時間に溺れてしまうかもしれません。自分いあった余裕を見つけなければいけないのです。それは簡単なことではありません。余裕がなさ過ぎれば地獄のような時間との戦いが始まり、余裕がありすぎると怠惰になっていくことでしょう。一番いいのは自分のストレスにならずやりがいを感じる程度の作業時間……それはきっとこだわり始めるとなかなか難しいかもしれません。それは自分の感覚であり、人によって違うものであり、人には理解されないことなのですから。
結果としてそれが期限内に終わるのならば誰も文句は言わないのです。もしも期限を提示されてそれが終わらないと気がついたのなら断るべきなのでしょう。何人かで分担する方法を取ったほうがいいのかもしれません。
ある程度の余裕を持つことこそが生きる方法なのだと思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年07月18日

カルボレンといいます! 〜その879〜

自分の苦労が報われないと思ったときに改善策を考えないのはいけないことでしょう。苦労が報われないと思うということは、それが報われて欲しいと思っているということであり、報われない理由は単純に方法が間違っているのか足りていないのかもしれません。報われないと感じた時点でなにか工夫をするべきなのでしょう。それでうまくいかなければ違う方法を試したり元の方法に戻したりすることで報われる努力をするべきなのでしょう。それがいつか報われることを願って。
苦労したという事実が残ることが自分にとっては幸せなのかもしれません。それが支えとなっているうちはどんな努力でもできるのかもしれません。永遠に報われないだろうと考えた時点で敗北なのでしょう。その予兆に気づいたものは賢いという称号を得つつ今までの苦労を生贄に捧げるのです。ではその逆は。
気がつかないふりをして報われない苦労を続けるものは愚か者であり貶されるべき存在です。しかしその報われないはずの苦労が報われたときのふり幅はより大きなものになるのでしょう。無難であれ無謀であれ、やってみなければどうなるか分からない。なら人は自分の性格に合うほうを選びたいと願うことでしょう。
人々の苦労がすべて報われることを願うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年07月17日

カルボレンといいます! 〜その878〜

なんだかパソコンにあまり良くない日々が続いていますね。パソコン中心の生活をしなければならないので最近は気温との戦いが続いています。パソコンの排熱が空間を支配し、すべてを圧倒するその熱量にやられてしまいそうになります。いっそのこと外でパソコンをしたいと思いますが、おそらく移動中に降り注ぐ太陽光線によって灰になることでしょう。すべての移動経路が地下か、人の移動経路に屋根をつけてほしいと思いますが、地震に台風がやってくる場所ではあまりよくないのかもしれません。それでも地下空間を移動するというのは素晴らしい考えだと思います。
トンネルは何となく惹かれるものがあるのはどうしてでしょうか。きっと日が当たらないこととその向こうに何があるのだろうという期待感があるからなのでしょうか。それは関係があるようで関係のない話です。
暑いときは無理をしないで何か手段を考えなければならないでしょう。これは毎年恒例の暑さとの戦争なのです。繰り返して油断をしているときに痛い目を見るのはよくあること。毎年準備をして戦わなければならないのです。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年07月16日

カルボレンといいます! 〜その877〜

人の体というのは脆いものであり、堅いものでもあります。不思議なものですね。ふとした瞬間に故障したかと思ったら、同じことがあっても大丈夫なこともある。絶対にダメだと思うようなことでも無傷で生還したり、何事もないように見えることがあるのです。それはどんなものにでも言えることかもしれませんが、自分自身のことを見ることができるだけに分かりやすいのかもしれません。昨日はできたことなのにできなかった。できないことだったのにできるようになった。そんなことばかりではありますができる限り安心に生きることができるように注意を払っているのです。リスクを避けるように人は行動するのです。
脆い、堅いを判断するのは難しいのかもしれません。脆いこともあれば堅いこともある。それはそのときによって変わり、自分が見たときには脆かった。自分のときは堅かった。そんなふうに考えなければならないのかもしれません。それは面倒くさいですね。しかし一概に判断できないものが多いからこそ、この世界は成り立っているのかもしれませんね。
そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年07月15日

カルボレンといいます! 〜その876〜

暑いときにふと吹く風が、なんとも幸せに感じるものです。普段は何でもないようなものが幸せに感じる瞬間というのは不思議なものですね。何か特殊な条件であったり、余り目に触れなくなったとき、幸せに感じるものかもしれません。珍しいからこそ幸せに感じることもるのです。毎日のように見ることができるありきたりなものでは幸せも薄れてしまうのですから。
いつから幸せであることが当然のように思うのでしょうか。一度でも特別を決めたほうがいいのかもしれません。この日しかやってはいけないこと。年に一回だけ、月に一回だけ、週に一回でもいいのでその日を定めることによって、その日が来るのを楽しみにすることができ、幸せなのだと実感することができる、そんな日があってもいいのではないでしょうか。
そのために、一度、自分のやっていることをすべてやめてみるのもいいかもしれません。そして本当に必要で、やらなければならないということを見つけ、その行動をする日を決めたのなら、きっと幸せに生きることができるのではないでしょうか。
幸せを求めているカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年07月14日

カルボレンといいます! 〜その875〜

永遠に残り続けるものとはどんなものがあるでしょうか。形として残り続けるものはあるのでしょうか。本当の意味で永遠に残り続けるものはないかもしれませんが、人が人であるうちは、自分が人であるうちは残り続けるものはあるのかもしれません。そんなことを求めていたとしても、結局は手放さなくてはいけないというのなら、自分が消える前にすべてを処分することを前提にして永遠を求めるというのは大切なのかもしれません。自分が手に入れて自分の消滅とともに消滅することができるもの。そうでなければ残されたものが酷い扱いをされるかもしれませんし、ただのゴミになってしまうかもしれません。永遠に残り続けることが良いこととは限りません。そう考えると永遠というものは良くないのかもしれません。
それでも人は自分の望むものを手元に残しておきたいと思うものです。そして良いものは他人と共有したいと思うもので、それが他人にとって望むものとは限らないのです。もし自分が消滅したときにそれを託されたとして、その人はどう思うのか。そう考えるとすぐに処分できる形にして託すというのが必要なのかもしれません。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年07月13日

カルボレンといいます! 〜その874〜

言葉を調べていると永遠に続けることができるのです。言葉は常に変わっていくのでしょうから。
今と昔の言葉を見比べることや色んな世界の言葉を知ることで分かることもあるのでしょう。そして最終的には未来の言葉を手に入れることができるのでしょうか。言葉を知ればおそらく新しい言葉を作りだすことも可能になるのかもしれませんが。
一つの言葉を完璧に理解すれば他の言葉と重ね合わせることができるのかもしれません。まずは一つを完璧にする必要があるのかもしれません。それだけでも一生を費やすことができるのでしょう。昔から今までのすべての変遷は興味深いものかもしれません。しかしすべてを知ることができるのでしょうか。色々と調べてみたくなりました。
まずは日本語を理解しないといけません。そうしなければ他の言葉の良さも分からないことでしょう。一つを知れば他のものの良さにも気がつくことができるのでしょう。それはどんなものでもよいのです。どんなことでも知ることで何か新しいものを手に入れることができるのですから。
私はとりあえず言葉を知らなければいけないのだと、そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 16:58| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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