2018年07月19日

カルボレンといいます! 〜その880〜

人というのは浮き沈みの大きい存在ですからある程度の余裕をもたせていないと失敗してしまいます。自分が最も効率よくできる速度をいつまでも維持できることはなく、想像よりも早いときも遅いときもあるのです。そう考えると自分の最も遅いであろう速度で余裕を持たせることが安全策ではありますが人の時間というのはそれほど余裕がないのです。ある程度焦りつつもそれなりにこなすことができる境界のリミットを決めなければ時間に溺れてしまうかもしれません。自分いあった余裕を見つけなければいけないのです。それは簡単なことではありません。余裕がなさ過ぎれば地獄のような時間との戦いが始まり、余裕がありすぎると怠惰になっていくことでしょう。一番いいのは自分のストレスにならずやりがいを感じる程度の作業時間……それはきっとこだわり始めるとなかなか難しいかもしれません。それは自分の感覚であり、人によって違うものであり、人には理解されないことなのですから。
結果としてそれが期限内に終わるのならば誰も文句は言わないのです。もしも期限を提示されてそれが終わらないと気がついたのなら断るべきなのでしょう。何人かで分担する方法を取ったほうがいいのかもしれません。
ある程度の余裕を持つことこそが生きる方法なのだと思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:09| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月18日

カルボレンといいます! 〜その879〜

自分の苦労が報われないと思ったときに改善策を考えないのはいけないことでしょう。苦労が報われないと思うということは、それが報われて欲しいと思っているということであり、報われない理由は単純に方法が間違っているのか足りていないのかもしれません。報われないと感じた時点でなにか工夫をするべきなのでしょう。それでうまくいかなければ違う方法を試したり元の方法に戻したりすることで報われる努力をするべきなのでしょう。それがいつか報われることを願って。
苦労したという事実が残ることが自分にとっては幸せなのかもしれません。それが支えとなっているうちはどんな努力でもできるのかもしれません。永遠に報われないだろうと考えた時点で敗北なのでしょう。その予兆に気づいたものは賢いという称号を得つつ今までの苦労を生贄に捧げるのです。ではその逆は。
気がつかないふりをして報われない苦労を続けるものは愚か者であり貶されるべき存在です。しかしその報われないはずの苦労が報われたときのふり幅はより大きなものになるのでしょう。無難であれ無謀であれ、やってみなければどうなるか分からない。なら人は自分の性格に合うほうを選びたいと願うことでしょう。
人々の苦労がすべて報われることを願うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年07月17日

カルボレンといいます! 〜その878〜

なんだかパソコンにあまり良くない日々が続いていますね。パソコン中心の生活をしなければならないので最近は気温との戦いが続いています。パソコンの排熱が空間を支配し、すべてを圧倒するその熱量にやられてしまいそうになります。いっそのこと外でパソコンをしたいと思いますが、おそらく移動中に降り注ぐ太陽光線によって灰になることでしょう。すべての移動経路が地下か、人の移動経路に屋根をつけてほしいと思いますが、地震に台風がやってくる場所ではあまりよくないのかもしれません。それでも地下空間を移動するというのは素晴らしい考えだと思います。
トンネルは何となく惹かれるものがあるのはどうしてでしょうか。きっと日が当たらないこととその向こうに何があるのだろうという期待感があるからなのでしょうか。それは関係があるようで関係のない話です。
暑いときは無理をしないで何か手段を考えなければならないでしょう。これは毎年恒例の暑さとの戦争なのです。繰り返して油断をしているときに痛い目を見るのはよくあること。毎年準備をして戦わなければならないのです。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 17:52| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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