2017年12月06日

カルボレンといいます! 〜その661〜

夢の世界というものがあります。しかしそれは本当に自分のなかだけにしかないものでしょうか。
自分の想像のなかだけで存在しているものなのでしょうか。
ときに思うのです。実は現実に過ごしているわたしが夢であり、夢のなかが現実であるのではないか。
もしくは現実だと思っているものも、夢だと思っているものも、ひとしく現実なのではないか。
どちらにしても、人は認識しているのです“その場に自分がいる”のだと。
しかしそれは自分がそれを意識しているとき、現実では現実の自分を意識しているからこそ夢の自分に気づくことができず、夢では夢の自分に意識が向いているからこそ現実の世界を忘れているのだと認識しているのですが、現実のなかで夢を見ることができ、夢のなかで現実を思うことができる。
それはきっと現実も夢もどちらも存在し、本来は行き来することができるものなのではないかということです。
現実がひとつだと思っていて、さらに夢の世界は無限に存在するかのように思われる。どの夢の世界でも自分は生まれ、もしくは死ぬこともある。それでもわたしが生きているのは自分と意識を共有している何者かがいるということになるのかもしれません。夢をあまり覚えていないのは、それらの世界を混合させないため。
人にとって夢はかすかで、虚ろで、淡いものでなければならないのかもしれません。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 23:12| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月05日

カルボレンといいます! 〜その660〜

眩暈……めまいとはいいものですね。普通に立っているだけなのにそこに地面がないように思える。
常に頭痛がする身にあって、その痛みに、めまいによってわたしはここにいることを理解することができます。めまいがわたしに与えてくれるものはもうひとつの世界なのかもしれません。目に見えているものが本当とは限らない。というのはそう言っているだけであって、すべてが本物なのでしょう。たとえ錯覚であったとしても、それが本当だと思っていれば本当のこととして認識される。いない生物がいるように感じ、ありもしない世界は目の前に存在している。音も、匂いも、すべての感覚が本当であり、事実なのです。目の前にあることを疑ったとしても仕方がないこと。そう思ってもいいかもしれません。
しかし頭に疑問が生じてしまったとき、その本当は嘘になる。ということは嘘によって見ることができる本当が本当になったということなのでしょうが、それは事実といえるのでしょう。
わたしが痛みを感じているならば、事実を疑い、事実を求めつづけ、常に安心を求めたい。それは許されることでしょうか。カルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 17:52| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月04日

カルボレンといいます! 〜その659〜

日々、人は衰えていくのです。使わない部分を徐徐に失っていく。それは不要だと思ったのかもしれません。ぜひとも使わない部分を使って衰えないようにしたほうがいいことでしょう。不要だと思って失ってしまうよりは、持っているほうがいつか使うことがあるのかもしれません。
とはいっても、使わないものを棄てていくのは必要なことで、人はいくらかの必要なことだけを使っていればなんとかなるのです。いらない機能を失くして、必要な機能を増やすことができるのなら、喜んで交換をする人がいるのではないでしょうか。
衰えを憂うのも、喜ぶのもそのときの考えによって変わっていきます。どうせ衰えていくのならば、その衰えを楽しまないといけないのだと思います。不要だからこそ切り捨てた。捨てることによって何かを手にいれることができたというのなら、衰えるというのもいいのかもしれませんね。
老いていくのは避けられない事実なのだとしたら、それを受け入れる必要があるのかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年12月03日

カルボレンといいます! 〜その658〜

調子が悪いときは何もかもがダメなような気がするのです。すべてがマイナスなような気がして何もかもができないような、そんな気がするのです。普段できることでさえもできず、やってみようという気持にもならなくなってしまう。調子が悪いことによって起こることは、より悪い方向に考えをもっていくように、誘っているのかもしれません。悪いときは悪い。そう割り切ることさえできなくなるほどに頭のなかは怠惰に支配され、なにもすることができない気がします。そんなときは休んでもいいのではないでしょうか。
そんな機会がなければ人は休むことができません。ただ横になって目をつぶり、闇を楽しむ余裕すらなく、何も存在しないとすら思えるほどに何もなくなってしまうのなら、それもいいと思えるのです。
調子が悪いときくらいは、自分の思いどおりの求めている行動をしてあげるべきなのかもしれません。今、自分が求めているものはいったいなんなのだろう。そんなことさえも考えることが面倒なほどに調子が悪いのならば、することは決まっているのでしょう。
そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年12月02日

カルボレンといいます! 〜その657〜

自分のことを知っているようで知っていないことが多くて困ります。他の人と自分との差というのはがっかりさせられることもあれば、意外と嬉しいものも含まれているのです。正確に自分の顔を見ないで書くのが難しいように、自分のことを考えてみると、不確実なことがたくさんあります。自分の顔を見る方法はたくさんあります。鏡であれ写真であれ。その映っている自分自身は本当に自分なのでしょうか。そう疑ってしまうこともあります。鏡のなかに居る自分は実は高度に自分のことを真似している何者か、なのではないかと。そんなことはないとしても、そう言われてしまったらそうかもしれないと思えてしまう。そんな不確定さがあるのです。
自分とはいったいなんであろうか。それはどんなに考えても自分だけの考えになることでしょう。自分のことを考えれば考えるほど、人との考えには差が生じていく。それでも自分は自分なのでしょう。自分が自分だと思っていれば自分。わたしはわたしなのです。
わたしとはいったいなんなのか。そんなことを知るための努力は無駄にならないことでしょう。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:27| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする