2017年08月11日

カルボレンといいます! 〜その543〜

夜の暗さと同じ場所があります。場所によっては大きく変化しますが、皆さんの夜の暗さはどのくらいですか。周りがまったく見えない暗闇なのか、うっすらとした明りで照らされている暗闇。さまざまな夜が存在しますが人によって夜は純粋な黒の場合と、灰色のような黒のときがあります。その一つひとつが夜であり、すべて等しく訪れるはずのものが違って見えているのです。月に照らされて、または人工的な光に照らされたりして。
夜に灯るすべての灯りが月明り程度の強さだったらと思ったことがあります。目を突き刺すような光が人の脳にどんな影響を与えているのか。ということを思ったことがあります。不眠症になってしまうのは昼間の光よりも夜の光のほうが強いからなのかもしれないと思ったことがあります。いろんなことを思いながらあまり夜に光の無い場所に行ってみたりします。そこで寝ようとすると明りがない不安感で眠れなかったりする。暗闇は基本的には人を不安にさせるのです。安心するためには明りが必要不可欠。そうなってしまったのは明りに慣れてしまったからなのかもしれませんね。
なので、人によって夜の暗さは色々好みがあるのかな。なんて思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年08月10日

カルボレンといいます! 〜その542〜

不意をつかれると、人はまったく反応できないことがあります。やろうと思っていた行動を、無意識にそのままやってしまい、大きな被害を受けることがあります。車を運転していて、加速をしようと思ってアクセルを踏もうとした瞬間に、人が目の前に飛び出してきたのでとっさにブレーキを踏もうとして、さっきまでしようとしていたアクセルを思いっきり踏んでしまうような、そんな感じです。人はやろうと思っていたことをついついやろうとしてしまい、大きな被害を生むことがあるのです。そうならないためには、その不測の事態を予想しておくことでしか、対応することができないのかもしれません。普段からとっさの行動を出来ない人は、とくにこの後はどんなことが起こるのか。ということをしっかりと考えながら行動をしてみてください。とっさなことといっても、一番、起こり得るものを考えることから始めましょう。すると、危険な場所では気を付ける意識が身につきます。そうなったら安全に生活をすることが可能になるのでしょうから。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年08月09日

カルボレンといいます! 〜その541〜

自然の音を聞きたいと思うことがあります。それほどに疲れているとか、自然に還りたいなんて、そんなことを思っているわけではありません。頭が自然な音を求めていることがあるのです。水の流れる音、木々のそよぐ音。生き物が鳴いている音。自然の音にも様々なものがあります。人間は生まれたときから特に聞いたことがなかったとしても、とくに問題なく自然の音を聞くことができます。
それは、頭のどこかに自然で育ったという記憶が残っているからかもしれません。自然の記憶は少しずつ薄れているかもしれませんが、確かに残っているのです。コンクリートに囲まれて、家の中でずっとテレビを見ていたとしても、テレビからは自然の録音した音が流れる。その音を聞くだけでも「自然だな」と思うことができるのかもしれません。
なら自然とはいったいなんなのでしょうか。自分自身で作り出した自然像というものは、他人の自然像とは異なり、自分なりの自然を作り出しているのかもしれません。それでも人は思うのです。「ああ、自然はいいな」。それはきっと、どこかに人が自然を好くという遺伝子が存在しているからかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年08月08日

カルボレンといいます! 〜その540〜

さて、一度いい目に遭っていると、再びそれが起こると思ってしまい、それを狙ってどんどんと力をつぎ込んでいくということがあります。そして、そういうときには、再びいい目に遭うことはないのかもしれません。忘れた頃にふとやってみて、なぜかうまくいくことがあります。その違いはなんでしょうか。人によっては物欲によって避けられていると思うかもしれませんが、実際に物欲に反応して、避けるような設定でもしてあるのでしょうか。
それに関しては人が設定した機械などに多くあることですが、自然界でも当然、存在します。たくさんいる生き物も狩り尽くしてしまえば、その場所で再び獲ることは難しくなります。長い年月が経てば再び帰ってくるのでしょうが、連続をして搾取することができるようなものは少ないのです。利害が発生するものは特にそうで、何も考えずに手に入れることができるものはないのでしょう。
そう考えると、一度でもいいことがあった、ということで満足をし、再び必要になったときにやるといいのかもしれません。常に心に余裕をもって行動しないといけないのかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年08月07日

カルボレンといいます! 〜その539〜

不思議なことは解明してしまうとなんでもない、ただの事実が残ってしまう。それは面白くありません。伝説やら迷信だというのに信じてしまうとか、嘘など、事実ではないことでも、何かそれを言われるような理由があったということになります。その元がなんにせよ、それが判明するまでは夢を見ることができ、それが真実であるのです。嘘であっても、勘違いであっても、それしか知らなければ、それは真実になるのです。そう考えると、この世界にあるのは真実が多いのか。虚偽が多いのか。それはわかりません。同じように見えて違うもの。細かすぎてわからないもの。色んな真実が混じり合って、人間の社会が構成されているのです。自然と人間社会に微妙な違いがあるのはそのおかげなのかもしれません。人間界にある不自然な節理は人によって勘違いされた真実。真実であって真実でない事柄が転がっているこの世界の中で、あなたはどんな真実を求めるのか。そんなことを思うのです。
この世界で不確かだと思っていることは、人が造っているのかな。何てことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:30| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする