2018年04月10日

カルボレンといいます! 〜その784〜

他人が正しいと考えていることを変えるためにはたくさんの証拠を提示しなければなりません。相手が信じるほどの説得力がなければならないのです。果たして嘘のようなことであったとしても人は信じてしまうのでしょうか。それは状況によるのです。幾つかの偶然が重なることで信じられないようなことでも信じてしまうのです。情報の量が昔よりも多くなった現在でも、逆に情報が多いからこそかもしれませんが、実際にはないことを信じてしまうのかもしれません。正しい情報だけを得ることができない昨今ではありますが、もし自分だけが、もしくは少数だけが真実を知ってしまったとき、どうすれば事実が本当であることをその他大勢に照明することができるでしょうか。ただ喚いているだけでは話は伝わりません。狂ってしまったと思われるだけなのでしょう。
しっかりと人に伝えなければならないのです。そのためには証拠をいくつも提示する必要があり、そのすべてに相手が納得をするタイミングでなければならないのです。一日に一回不幸があったとしても明日の心配はしませんが、その回数が増すにつれ明日が不安になるのです。その実感が狭ければ狭いほど現実的になり、明日が不安になる。そういうことなのでしょうから。
私だけが信じている物事が本当に正しいのか。考えなければならないカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年04月09日

カルボレンといいます! 〜その783〜

暗い場所に居るときに落ち着く場合と不安になる場合があります。それはどんな違いがあるのでしょうか。その場所が知っている場所であったら安心して、知らない場所なら不安になるでしょうか。気分が落ちこんでいるときは暗い場所は落ち着くのでしょうか。完全なる闇に人は怯えますが、自ら自分の知っている場所で真暗な場所に飛び込んで、その闇を楽しむことがあります。闇は全てを覆い隠し、自分自身も闇に溶けることができるのです。まるで自分自身が闇そのものになったような感覚を味わうことができるのは、絶対に安全だと知っている場所でしか感じることのできない恵まれた環境下の出来事に過ぎません。
あらゆる条件がそろわなければ人は闇を求めることはないのです。何かを知りたい者、何かを忘れたい者、何かに疲れた者、何かから逃げたい者は闇に身をゆだね、闇に溶けこんで自分の求めているものを得ることでしょう。それを闇の力と、闇を受け入れない存在から糾弾されるのかもしれません。
しかし光が良いと思われるように、闇も目線を変えれば良いものになることでしょう。見えたほうが良いものがあれば見えないほうが良いものもある。全てを理解することが幸せとは限らない。
そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年04月07日

カルボレンといいます! 〜その782〜

自分が今考えていることを忘れてしまう。そんなことは良くあります。忘れてしまったことは思い出すことはありますが大抵は完全に失われ二度と思い出すことはないでしょう。
それと同じようにもしも全てのことを忘れてしまったのならそれは失われたということなのでしょうか。人によっては「全ての記憶を失ったら死んだということと同じことだ」という人がいますが、人の知識は死んだとき、完全に失われるのかもしれません。ではその失われた知識を再び甦らせるにはどうすればいいのでしょうか。
歴史に新事実が発見されるたびに変わり、いくつも説が存在するように、個人個人の考えを客観的にとらえると幾つもの考え方ができ、一つにまとまらないのです。その人の気持ちを代弁して話すことなんてできるわけがなく、時間をかけてでもその本人から聞いた本心でしか、その人のことを知るすべはないのでしょう。さて、人が話を聞いてその話が本当に本心であると知ることができるでしょうか。
そう、その人の知識、考えというものはその人にしか分からない。周りの人がどんな解釈をしたとしてもその人の考えとは似て非なるものなのです。
だからこそ、もう失ってしまったものを様々な説を持って補いたいと、そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年04月06日

カルボレンといいます! 〜その781〜

気まぐれにたくさんの出来事が起こります。その出来事は自然に起こるのです。なら楽しんだほうがいいですね。どんなことが起こっても楽しめばいいのです。喜怒哀楽を感じることができるのはいいことなのです。起こることを分析し、なぜ起こるのかを考える。これからなにが起こるのかを考えることができるのです。何もしなくても毎日何かが起こり、何も変化しないものなんてないのですから。
その変化は微々たるもので大したことがないのかもしれません。ときに人生の根底を変えてしまうようなことが起こるのかもしれません。そのすべてを知ること、記憶すること、理解することはできないことでしょう。しかし興味があるのです。興味があるからこそ毎日起こることを楽しくなり、毎日起こることが恐ろしくなるのでしょう。望んでいても避けようとしても目の前にまで迫ってきているのですから。
明日何が起こるか分からない。数時間後、数分後、数秒後。なにが起こるか分からない。
何が起こったとしても後悔をしないようにしないといけないのかもしれません。選択を間違えないように。カルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年04月05日

カルボレンといいます! 〜その780〜

作業が遅々として進まない時には休憩をする必要があるのでしょう。リフレッシュというのは大切です。しっかりと休んでから作業を続けると、飽きてしまっていた作業を再び新しい気持ちでやることができたのです。どれだけの休憩を取ればいいのかは人によって異なります。すぐに再開できる人がいれば、二度と再開しない人もいるくらいですからね。そう考えると休憩することが怖くなりますが作業を続けていると確かに能率は落ちていくのです。常に完璧な能率を求めることはできませんが高い水準を保つためにも球形はするべきなのです。最終的な結果がより良いものになる比率を調べなくてはならないでしょう。
人には必ず限界と回復率があります。限界を見極め、回復率を知ることで、このくらいの作業なら休憩はいらない。このくらいなら休憩はこんなものだ。そう考えることができるようになると作業の効率は上がるでしょう。一時間に一回、数時間に一回などの単純なものでいい、休むときはしっかりと休んで、素晴らしい仕事をしてください。
そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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