2017年12月01日

カルボレンといいます! 〜その656〜

眠気には勝てないものですが、そんなときは寝てしまうといいでしょう。我慢することは体によくありませんし、その後はスッキリして作業をできるものです。後々のことを考えると我慢をするということはあまり良いことはないのかもしれません。基本的には我慢をせずに、求めていることをしたほうが良いと思いますが、それができることとできないことがあります。しかしやりたいことがあって、それが別のことで邪魔されてしまうくらいなら、その邪魔を排除することくらいはしたほうがいいのだと思います。眠気というのはしたいことにとって邪魔なもの。それを手っ取り早くなくす方法は、さっさと寝てしまえばいいのです。やりたいことがあって眠れないというのならやりたいことをやればいい。ただそれだけのことなのです。
しかしだからといって、すべてをやらないという選択肢をとってしまったら、その時間がもったいないような気がしてしまうのです。自分が求めているもの。求められているもの。それを理解してそのどちらかをしなければならない。ただ求められていることが多いだけなのです。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年11月30日

カルボレンといいます! 〜その655〜

自分らしいとはいったい何でしょうか。人に「あなたらしい」といわれることがあって、また自分でも「自分らしいな」と思うことがあります。それは本当に自分らしいことなのでしょうか。それは誰にもわからないことで、すべて正しいのでしょう。それぞれが思う人物像が自分らしさを形作っているのです。たとえそれが矛盾していたとしても自分らしいということに変わりないのです。人によってその人がその人たる所以があるのでしょう。
そう考えたうえで、「自分らしい」とはいったいなんなのでしょうか。それは決定することができないことなのかもしれません。自分らしさというものは不安定であり、不確定なもので、すぐに変わってしまうものなのです。自分がなりたい自分があったのならば、努力さえすれば「自分らしさ」として手にいれることができる可能性があるほどに。
逆をいえば、「自分らしさ」にこだわらなくても、気にしなくても大丈夫ということなのでしょう。自分らしさは誰になにをいわれようとその人から見た自分と、自らの評価が一致することはないのですから。
「自分らしさ」は好きなようにできるのだと、そう思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年11月29日

カルボレンといいます! 〜その654〜

単純な作業であれば、人はなにか別のことをしながら完璧にこなすことができるようになっていきます。手が、目が、脳が、すべてがその作業を覚えているのかもしれません。考えなくても動いてくれる当たり前のこと。なにも考えなくてもものを食べたり眠ったりする本能の域にまで達したならば、完璧にすることができるのかもしれません。単純な作業であったとしても、片手間で完璧にこなすためには自慢できるほどの鍛錬が必要になることでしょう。
無意識でできる作業を考えてみるとどれほどあるのでしょうか。数えてみようとしても難しいことです。無意識のうちにできていることなのですから。自己判断で「できた」と評価できるものはたくさんあるのでしょう。どのレベルまでできたらその作業を無意識でできるということができるのでしょうか。そんなことを考えているとわたしは、無意識でできると自信をもっていえることがまったくないのだな。と思えてしまいます。
べつにそれでいいのでしょう。無意識のうちにできてしまうというのはつまらないものですから。わたしの知らないところで物語が進んでしまったらなにもわからないままになってしまうのです。簡単な作業のなかにもなにか物語が隠れているのではないでしょうか。
そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年11月28日

カルボレンといいます! 〜その653〜

確率を考えなければいけないとき、どれだけの試行をおこなうと満足することができますか。
たとえば袋の中にさまざまな色をした球を入れたとします。何の色がどれだけ入っているかはわかりません。ただ、ものすごく、数えきれないほどの球が入っているとします。
試行回数が一回であれば、そうして出たものは100%となる。赤が出たとしたら袋のなかには100%赤の球が入っているという結論になるのです。この話をしたところで、ほとんどすべての人は、「この袋に100%、赤球が入っている」ということを信じないことでしょう。
それでは、100回試行をおこなって、赤の球が出たのは一回であり、1%の確率です。というとどうでしょうか。100%よりも信じる人は増えることでしょう。試行回数が増えれば増えるほど、そのデータはより正確にその確率を出してくれることでしょう。しかし人によって信じることができる程度は異なります。
わたしは、そうですね。少なくとも1000回は引いて、ひとつの球の確率が0.1%となり、ひとつの種類に対して少なくとも一回はダブっていなければ安心することができないのです。ものによってはいつまでも確率計算をし続けることでしょう。
不毛なことかもしれませんが、そういうことを考えるのが好きなのですよ。そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年11月27日

カルボレンといいます! 〜その652〜

いまさらなのですがコメントを頂いたことに気づきました。コメントを頂けることがあるとは夢にも思っていなかったため、見逃してしまっていたのです。そんな幸せなことが起こるなんて。続けてきてよかったな、という気持がするものです。報われたといえるのではないでしょうか。
報われるというのはどういうときでしょうか。わたしは今まで数字を見て。回数を重ねることで増えていく数字を見て満足してきました。10……50……100……150……200……500……というように。
回数をこなすことを記録することによって、わたしは報われた気分になっていたのですが、こうしてコメントを頂くと、その報われた気持ちというのは、数字の積み重ねとは比較にならないほどの悦びが、興奮とともに訪れるものなのですね。久しぶりに感じました。
そんなことに気がついてしまったら、コメントを求めるようになるかといえば、そんなことはありません、わたしは数字を積み重ねて満足をする。そんな存在でありたいのです。
しかしそんなサプライズが、読者の反応というものはわたしにどんな化学変化を起こすのか。すこし見てみたいとも思った、そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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