2018年02月13日

カルボレンといいます! 〜その730〜

擬人化というのは楽しいものです。どんなものでも人間の行動に似ていることをしているのです。なのでどんなものでも「もし人間だったら」ということを考えることができ、そうして表現されたものはこの世界にあふれているのかもしれません。
自らの意思を持っていないものでも人として捉えることができるのが人なのかもしれません。ということは意思を持っているものの意思をも作ることができるのかもしれません。それは良いように解釈しているだけなのかもしれませんが。人が人の意思を想像した場合、それはただの勝手な解釈であって、その人の本当の気持ちを知っているわけではありません。しかし、「人が意思を持っているか」なんてことは触れ合ってみて意思に触れることがなければ気がつかないことでしょう。
ということは実は意思を持っていないと思っていた「もの」だと思っていたものが意思を持っていたとしたら、その「もの」の意思に背いているのではないかと考えてしまうのです。だからといってどうということはないのですけどね。
擬人化をして意思を持たせることができるということがどんな効果をもたらすのか。面白いものですね。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 17:44| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月12日

カルボレンといいます! 〜その729〜

人の目線というものは限定的なことであることもあり、大きく見るとまったく違う見方をすることができるものがたくさんあります。これがこれであると定義したのは人であり、それが本当にそれなのかということを考えるのもまた人間なのです。なのである分類が本当に正しいのか。ということを考えるのは無粋なのかもしれません。人によって分類の定義は異なり、そもそも分類しようなんてことを世界は考えていないのですから。何を基準として仲間とするか、なんてことを考えはじめたらどんなものでも組み入れることができ、都合のよい定義なんて簡単に作ることができるのですから。
人は理由づけをすることによって定義をします。大雑把に定義をするのなら「この世界にあるもの」と定義すればこの世界のものすべてが一つの種類となり、「この手に握られているもの」と定義すれば、今、わたしがもっている鉛筆だけが種類となるのです。自分なりに種類分けをすると、新しい発見があるのかもしれませんね。
自分なりに自分の好きなものの内容を分類していくと面白いことが起こるかもしれません。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:12| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月11日

カルボレンといいます! 〜その728〜

探していたものが見つかったときは嬉しいものです。しかし今探しているものは簡単には見つけられないものなのです。さて、一生かかってでも手に入れたいと思いますが間に合うかどうかはわかりません。そんなものではありますが、それだけの価値があるものなのでしょう。他の人から見たらつまらない、たいしたことのないものなのかもしれませんが。自分だけはそれを求めて、どうしようもないほど狂おしいものなのかもしれません。そんなものがあることに幸せを感じるのかもしれまえん。見つかったときの嬉しさを実感するために。
探し求めているものがどんなものであれ、どんな形になるかはわかりませんが手に入れることができるのです。妥協や変化をしていきながら自分の求めているものを手に入れるのです。それでも納得をすることができるものを手に入れることができたのなら、素晴らしい人生だったと感じられるでしょう。そんな自分の願いのためだったら少しくらいはワガママになってもいいのかな、なんてことを思うのです。
探しつづけることができるのなら、わたしは妥協を許さない。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月10日

カルボレンといいます! 〜その727〜

水とは不思議なものです。体に付着すると、まるで表面を覆い、包み隠してくれようとしてくれているような気がするのです。その透明度から迷彩になってくれることはありませんが、鎧になってくれることでしょう。水の鎧はなにから護ってくれるのでしょうか。少し気になるものですね。
普段からも空気を身にまとっている我われですが、それも不思議なことなのかもしれません。水とちがって常に包まれているからこそ気がつかない鎧なのかもしれません。そして、できるかぎり護りつづけてくれようとしてくれる鎧でもあるのです。水中に落ちたときに体に最後までとどまってくれる気泡にその意志を感じることができるのです。
逆に常に水に包まれている魚たちは水中から出てきたとき、水の膜に護られることによって少しのあいだだけ生きることができるのでしょう。
常に覆っているものだから護ってくれているのか、それとも護ってくれるように我われが変わったのか。そんなことを考えると楽しいのかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月09日

カルボレンといいます! 〜その726〜

少しの時間でできることを探してみると意外とないものです。いつの間にか熱中していてその時間を越えてしまったり、まったくつまらなくて時間つぶしにすらならないものだったりします。そんなときはいったいどうすればいいのか困ってしまうものですが、意外なことがその時間にぴったりなのかもしれません。どれだけの時間かわかっていれば、何をするべきかを決めることができるのかもしれませんね。
ほんの数秒、数分であっても無駄にはしたくないものです。時間は限られているのですから。しかし人は最善の行動を取りつづけることはできません。無駄を省いた人生が楽しいとは限りません。なので少しだけあいた自由な時間くらい無駄なことをするべきです。そして新しい考えを吸収して違う自分に生まれ変わるのです。ほんの少しの時間であったとしても自分のいままでの人生をすべて否定するような何かを見いだすことができるのかもしれませんから。
少しの時間でできることはなんでもいいのですが、自分にとって有意義な時間を過ごせるものがいいのです。それは意外なものなのかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 17:01| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする