2018年07月17日

カルボレンといいます! 〜その878〜

なんだかパソコンにあまり良くない日々が続いていますね。パソコン中心の生活をしなければならないので最近は気温との戦いが続いています。パソコンの排熱が空間を支配し、すべてを圧倒するその熱量にやられてしまいそうになります。いっそのこと外でパソコンをしたいと思いますが、おそらく移動中に降り注ぐ太陽光線によって灰になることでしょう。すべての移動経路が地下か、人の移動経路に屋根をつけてほしいと思いますが、地震に台風がやってくる場所ではあまりよくないのかもしれません。それでも地下空間を移動するというのは素晴らしい考えだと思います。
トンネルは何となく惹かれるものがあるのはどうしてでしょうか。きっと日が当たらないこととその向こうに何があるのだろうという期待感があるからなのでしょうか。それは関係があるようで関係のない話です。
暑いときは無理をしないで何か手段を考えなければならないでしょう。これは毎年恒例の暑さとの戦争なのです。繰り返して油断をしているときに痛い目を見るのはよくあること。毎年準備をして戦わなければならないのです。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 17:52| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月16日

カルボレンといいます! 〜その877〜

人の体というのは脆いものであり、堅いものでもあります。不思議なものですね。ふとした瞬間に故障したかと思ったら、同じことがあっても大丈夫なこともある。絶対にダメだと思うようなことでも無傷で生還したり、何事もないように見えることがあるのです。それはどんなものにでも言えることかもしれませんが、自分自身のことを見ることができるだけに分かりやすいのかもしれません。昨日はできたことなのにできなかった。できないことだったのにできるようになった。そんなことばかりではありますができる限り安心に生きることができるように注意を払っているのです。リスクを避けるように人は行動するのです。
脆い、堅いを判断するのは難しいのかもしれません。脆いこともあれば堅いこともある。それはそのときによって変わり、自分が見たときには脆かった。自分のときは堅かった。そんなふうに考えなければならないのかもしれません。それは面倒くさいですね。しかし一概に判断できないものが多いからこそ、この世界は成り立っているのかもしれませんね。
そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年07月15日

カルボレンといいます! 〜その876〜

暑いときにふと吹く風が、なんとも幸せに感じるものです。普段は何でもないようなものが幸せに感じる瞬間というのは不思議なものですね。何か特殊な条件であったり、余り目に触れなくなったとき、幸せに感じるものかもしれません。珍しいからこそ幸せに感じることもるのです。毎日のように見ることができるありきたりなものでは幸せも薄れてしまうのですから。
いつから幸せであることが当然のように思うのでしょうか。一度でも特別を決めたほうがいいのかもしれません。この日しかやってはいけないこと。年に一回だけ、月に一回だけ、週に一回でもいいのでその日を定めることによって、その日が来るのを楽しみにすることができ、幸せなのだと実感することができる、そんな日があってもいいのではないでしょうか。
そのために、一度、自分のやっていることをすべてやめてみるのもいいかもしれません。そして本当に必要で、やらなければならないということを見つけ、その行動をする日を決めたのなら、きっと幸せに生きることができるのではないでしょうか。
幸せを求めているカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年07月14日

カルボレンといいます! 〜その875〜

永遠に残り続けるものとはどんなものがあるでしょうか。形として残り続けるものはあるのでしょうか。本当の意味で永遠に残り続けるものはないかもしれませんが、人が人であるうちは、自分が人であるうちは残り続けるものはあるのかもしれません。そんなことを求めていたとしても、結局は手放さなくてはいけないというのなら、自分が消える前にすべてを処分することを前提にして永遠を求めるというのは大切なのかもしれません。自分が手に入れて自分の消滅とともに消滅することができるもの。そうでなければ残されたものが酷い扱いをされるかもしれませんし、ただのゴミになってしまうかもしれません。永遠に残り続けることが良いこととは限りません。そう考えると永遠というものは良くないのかもしれません。
それでも人は自分の望むものを手元に残しておきたいと思うものです。そして良いものは他人と共有したいと思うもので、それが他人にとって望むものとは限らないのです。もし自分が消滅したときにそれを託されたとして、その人はどう思うのか。そう考えるとすぐに処分できる形にして託すというのが必要なのかもしれません。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年07月13日

カルボレンといいます! 〜その874〜

言葉を調べていると永遠に続けることができるのです。言葉は常に変わっていくのでしょうから。
今と昔の言葉を見比べることや色んな世界の言葉を知ることで分かることもあるのでしょう。そして最終的には未来の言葉を手に入れることができるのでしょうか。言葉を知ればおそらく新しい言葉を作りだすことも可能になるのかもしれませんが。
一つの言葉を完璧に理解すれば他の言葉と重ね合わせることができるのかもしれません。まずは一つを完璧にする必要があるのかもしれません。それだけでも一生を費やすことができるのでしょう。昔から今までのすべての変遷は興味深いものかもしれません。しかしすべてを知ることができるのでしょうか。色々と調べてみたくなりました。
まずは日本語を理解しないといけません。そうしなければ他の言葉の良さも分からないことでしょう。一つを知れば他のものの良さにも気がつくことができるのでしょう。それはどんなものでもよいのです。どんなことでも知ることで何か新しいものを手に入れることができるのですから。
私はとりあえず言葉を知らなければいけないのだと、そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 16:58| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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