2017年10月12日

カルボレンといいます! 〜その605〜

手がふるえる。これが恐怖というものなのでしょうか。
人は恐怖を感じたときに顔はひきつり、手はふるえることでしょう。それはしばらく続き、とめることはできません。生きているなかでなんども体験していたことなのです。ですが慣れないのは本能的にそれを避けなければならないということを感じているからなのでしょう。恐怖は本来、生きていくうえで避けなければならないものであり、強要されたり、自ら歩み寄っていくものではないと思っているのですが、恐怖を楽しむ人もいる。自ら恐怖に進んでいき、震える手の感覚や高鳴る心臓の鼓動を楽しみ、他の人に同じ心地よさを共有しようと勧めてくるのです。
恐怖はすぐ近くに寄り添っていて、そしていつでも得ることができる身近なものなのです。避けてばかりはいられないものなのですから、自ら歩み寄る必要もあるのかもしれませんね。ほどほどがいいものですが。
それを考えた結果、恐怖を楽しむという人もいるのかもしれませんね。避けきれないくらいなら受け入れようと思うのでしょう。
皆さんは恐怖を受けいれますか?カルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月11日

カルボレンといいます! 〜その604〜

慣れないことをすると疲れますが、疲れない方法を知るにはやってみるしかない。人はやることによって慣れていき、行動をしても疲れなくなっていくのだと思います。
人は慣れることによって、様々なものを手に入れることができるのでしょう。慣れるまで努力をしたご褒美ということでしょうか。
しかし、慣れるとはいったいなんなのでしょうね。慣れたと思っていても他の人に勝てないこともあります。慣れるというのはどのくらいのレベルになったら言えるものなのかが良く分からないのです。
慣れてくると人はそれに対して油断をするのかもしれません。集中が切れるかもしれません。飽きたら慣れたということなのでしょうか。慣れてくると人は飽きるということだと考えると、慣れても、誰よりも下手ということがあり得るのかもしれません。
飽きてくるとテキトーにやろうとするものです。そうすると真剣にやっているときよりも疲れません。疲れないためにはある程度、気を抜いてやる必要があるのでしょうね。
ということは慣れてくるというのは、飽きてきて、手を抜くことを覚えたときに慣れた、といえるのかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月10日

カルボレンといいます! 〜その603〜

「におい」というのは大切ですね。この世界に溢れているたくさんの香りを嗅いで、それを判断することができる。香りからそのものを想像することができる。印象に残っている「におい」というものは頭から離れずにずっと存在しつづけるものなのかもしれません。あなたが好きな「におい」はなんでしょうか。香りと聞いて思い浮かぶものはいったい何の香りでしょう。そんなことを思ってしまうのです。
この世界に存在する匂いはかすかに香るていどのものが、人にとっていい香りと感じるものであり、それを濃縮して濃い匂いにした状態にすると、匂いは臭いになる。それは困ったものですが、匂いよりも臭いのほうが頭には残るものです。
臭いを感じると人は危険を感じ、匂いを嗅ぐと安心する。そんなものなのかもしれません。好きな匂いは自分の好きな匂い、思いうかぶ匂いのなかには昔遭遇してしまった刺激的な臭い、危険な臭いを感じたものなのかもしれません。
この世界にはさまざまな「におい」があるからこそ、印象に残っているものは少なく、よりインパクトがあるものが残るのかもしれません。あなたのなかにあるものはどんなものでしょうか。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月09日

カルボレンといいます! 〜その602〜

人が望むものは、どんどんと遠くになっていくのでしょう。届かない位置にあるものを人は望むものですから。高くなった望みは届かず、叶わなくなるのですが、その状態が人として頑張れる状態なのかもしれません。届かない程度の望みのほうが、人は頑張れる。少し頑張っただけで届いてしまうような望みは、つまらなくなっていくのかもしれません。届かないで悔しがっているほうが私は楽しく感じます。そして最終的にできなかったとしてもそんな難しいことに挑戦したということを自分が知っている。それがモチベーションになるのかもしれません。ひとつくらいは届かない望みがあって、頑張ってもいいと思うのです。
望むものがどんなものかはわかりません。形があるものかもしれないし、ないものかもしれない。どんなものであったとしても、それを目指して頑張っている姿が一番カッコいいのだと思います。そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月08日

カルボレンといいます! 〜その601〜

人は真似をすることから始まるのだと思います。何かを真似しなければ何も得ることができないのかもしれません。何かモデルがあってこそ人は応用をすることができ、さらに発展させることができる。そしてその発展させたものを人は新しいものとして扱うようになるのかもしれません。新しく作られるものはたくさんの既存のものの複合や応用、使い方によって生み出されるものであり、この部分はあるものに似ている。なんてことをしばしば思うものです。
真似をするということは上達や進化には必要なものなのです。真似をするということは、そのことに対しての基礎を固めるという意味をもっており、新しく発展させるためにも、今まであった既存のものをしっかりと学び、そこからどう発展させるか考えていくと面白いのではないでしょうか。
真似をし続けてその水準を超えることができ、それが世間に認められると、それは新しいものとして認知されるのではないでしょうか。新しいものを生みだしてきた開拓者方に敬意をもって、新しいものを生みだしていきたいものですね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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