2017年10月07日

カルボレンといいます! 〜その600〜

やりたいことができないときはいらいらしますね。やりたいことはやりたいときにやりたいものです。しかし、そう簡単にできるとは限りません。そんなときは、その高まった気持ちをどうしようか考えてしまうものです。別のことをしっかりとやりきってからやればいいのですが、気持ちというのはそう簡単に切り替えることができるわけではなく、やり終わったときにはすでにその気持ちは落ち着いてしまっていることも多いのでしょう。気持ちが冷めてしまったのです。冷めてしまったのならもうやる必要はないのでしょうが、少しもったいないような気がしますね。
やりたいときにやらないと人の気持ちは冷めていくものです。その前にやっていたほうが、より良いものが作れるかもしれませんし、気分がいいものです。気分よくやるためにもやりたいことをやることで、気持ちのバランスをとろうとするのもいいかもしれませんね。
自分がどんなことをしたいのか、どうすれば楽しく作業ができるのか、考えながら行動してもいいかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ

600回目になりました!
posted by さくら紅葉 at 18:06| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月06日

カルボレンといいます! 〜その599〜

最近、楽しいこととはなんだろうと考えてしまいます。自分にとって楽しいことを探しているのは、それだけで楽しいことですね。むしろ、それが楽しいのかもしれません。楽しいことを探しているうちが、楽しいということはあるのかもしれません。何事も体験しているうちが、初心者のうちが楽しめるのかもしれません。どうやるんだろう。こうするのかな。そうして試行錯誤しているうちが私は楽しくなります。そしてある程度やり方がわかって、これがいいと思ってしまったら、そこからは効率化が始まるのでだんだんとつまらなくなっていくのです。最終的にはこれじゃない。と辞めてしまうことでしょう。見つけてやり始める。それを繰り返しているのです。
楽しいことは人それぞれですが、やり込んでいくと楽しいと思うことが減っていくのかもしれません。それは未知の発見というものを好んでいる人が多く、それが減ることによって楽しいと感じにくくなることが原因なのかもしれません。楽しいことを探す旅は続くのかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月05日

カルボレンといいます! 〜その598〜

人によって好きなものは違う。それは分かっています。明るい雰囲気が好きな人がいれば暗い雰囲気がいいという人もいる。人によってはその時の感情によって変化することもある。今日はこの曲が好き、明日はその歌が好きという感じですかね。その曲は聞いていたけれど、もう飽きた。という人もいるかもしれません。誰もが、いつまでも好きだと言い続けられる曲は何曲あるのでそうか。そんな曲はないのかもしれません。だからこそ「自分はこの曲が好きで、あなたはどんな曲が好きなのですか」と聞くことでしょう。
私は暗いものが好きで、明るいものから離れていきたいと思うのです。そう思っている人は何人いることでしょう。人であればたいていは光を浴びたいと思うべきなのかもしれませんが、私はその光を避けてしまうのです。光は私にとっては害があると思えるものだと考えていても、ほかの人はそうは思わない。その溝は埋まらないのかもしれませんね。だからといって多いほうになろうとは思えないものです。もう片方の考えを理解して、そんな考えがあると歩み寄るだけでいいのだと思います。
当たり障りないようにやろうと思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月04日

カルボレンといいます! 〜その597〜

眠いときは眠ったほうがいいのでしょう。無理に眠いのを我慢していると、何かが起こることがあります。私はよく、眠いのを我慢しながら作業をしていることがあるのですが、やっているうちにうつらうつらとして、いつの間にか手が止まっていることがあります。それがもし、手が止まったらとても危険なものだったら。なんてことを思うと、とても恐ろしくなるのです。
眠いときには、たった数分間だけ眠ることでスッキリするものです。眠いときは寝て、頭をスッキリとさせてから作業をしたほうがいいのです。
それは、遠回りや時間がかかるように思うことが、実は近道であるということの一つの例なのかもしれません。遠回りをしたほうがいいこともあるのです。目の前にあからさまに危険であると分かっている近道を通るよりも、危険のない道を探した方がいいのです。今まで様々な危険を歩いてきたので、もう危険はいらないのです。
危険を回避するためには危険の兆候を知るべきなのかもしれません。危険だと思ったらやめられる。そんな判断を欲しいと思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月03日

カルボレンといいます! 〜その596〜

多少無理があったとしても、強引にやった場合、それなりのものができるものです。しかし完璧なものはできない。余裕があってこそ、素晴らしいものができるのだと思います。余裕を彩るのは技術力であり、技術を使わずに強引にやった場合、技術がある人がやるものに比べて劣っているのは間違いないと思いたいものですが、中途半端な技術を持っている人が余裕をもってやったものと、好きなものを技術なく強引に作ったものは、時に同等のものができることもあるのです。なので私は思うのです。人のごり押しで作られた良品に優る良品を作りたいと。
技術のあるなしにかかわらずに出来てしまうというのは悲しいものです。技術を高めれば高めるほど、その可能性は下がっていき、ある点まで技術が成長したとき、その可能性はなくなることでしょう。
偶然負ける、運が悪かった。それが減っていくというのは楽しいものです。そうして常勝になったとき、何を感じることができるのでしょうね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:27| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする