2018年06月04日

カルボレンといいます! 〜その836〜

同じことを何度も繰り返しているとそれが自分のものになっていくような気がします。こうして毎日書いていることで自分なりの文章というものが生まれているのではないでしょうか。そのうち、この文章の書き方は私だな、なんて分かるようになってしまったら変な場所に変なことを書けないな、なんてことを思います。
その人の癖というのはあるのだと思います。人が行動をするうえで、その個性によって行うことは変わって行きます。それは一つのルーティーンであり、それが狂ってしまったら調子も狂ってしまうことでしょう。それほどに大切なことであるというのに、人はできる限り癖を治したいと思うのです。それはどうしてでしょうか。
人にとって癖は変に目だってしまうものなのです。そう言われると嫌になってしまうものでしょう。しかし言い換えれば目立つチャンスでもあるということになるかもしれません。癖と行ないが釣り合えば咎める人はいないことでしょう。癖を伸ばしていく、すると不思議な化学変化が起こるのかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年06月03日

カルボレンといいます! 〜その835〜

人はなにで判断されるでしょうか。たいていは顔ではないでしょうか。顔を見た瞬間にその本人だということがわかりますが顔が変わったらきっとそれが誰なのかわからなくなるでしょう。では顔がその本人なのでしょうか。そんなことはありません。話をすればその人だということが分かりますし、その人だということがわかることでしょう。その人というのは顔だけではないのです。考え方があってこそ、その人だと判断できるのかもしれません。顔が変わったときの第一印象は驚くものですが次第に慣れていくものです。しかし考え方が変わってしまったらその人と仲良くできないかもしれません。それこそ変わってしまったと思うことでしょう。どこまで変わってしまったら、その人はその人になるのでしょうか。
その人が誰かなんて自分で判断するしかありません。もし自分だけが違うといっても何も変わりはしないのです。では自分は誰が判断するのでしょうか。自分が自分であるとはどういうことなのでしょうか。つい考えてしまいます。
人は何で判断されるのか。知っている人であれば判断する材料はいくらでもあることでしょう。ですがそれでは足りないこともあるのかもしれません。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年06月02日

カルボレンといいます! 〜その834〜

やる気の維持というものは大変なことです。一度決めたことくらいやりきってみせろと言われますが、それは生半可な気持ちではないことでしょう。簡単にやるべきことをやりきることができません。簡単に出来てしまうことであったらやる気なんて必要なくなってしまうのでしょうから。
やる気は必要なのです。しかしそれは簡単になくなってしまうことかもしれません。仕方がないから続けるでは、かかる時間も質も下がることでしょう。それではいけません。やる意味がなくなってしまいます。
そんなときは再びやる気が出るまで休むしかないのでしょう。そしてやる気が戻って来ないのであればその程度のものだったのだと終わってしまうことでしょう。やる気はそのまま切り替えるための方法になるのかもしれません。自分の本当にやりたいことであったら、やる気はある程度休んだら戻ってくるのでしょうから。
そうして少しずつ自分のやる気が回復するものを考えつづけることで、自分なりの人生を構築していくのかもしれません。やる気が再びやってくることを願わずにはいられないカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年06月01日

カルボレンといいます! 〜その833〜

違和感というものはどうしようもありません。知らないものであればどうにでもなりますが知っているものであればあるほど、その違和感というのは耐えがたいものになるのです。その違和感をそのまま放っておくことができるのは大人なのでしょう。しかしそれを許せるかどうかはわかりません。違和感を気にしながらもそれを放置することができたら良かったのですが、つい口にして後悔した人もいることでしょう。人は違和感に対して敏感なのです。それは一つの危機管理能力からなのかもしれません。
人は自分のテリトリーにあるものの変化には敏感であり、自分が気にしていることに関してであれば、ほんのわずかな違いですらも見きわめることができるでしょう。「何か変だな」程度に思える。それですらすごいことなのだと思います。興味のないものであれば少しくらいの変化はどうでもいいことと処理することすらなく見逃されることでしょう。
少しでも違和感があったのならそれを改善したほうが気持ちがよいと思えるものです。しかしその行動によって、更に違和感を助長することになるかもしれません。そうなると手が進まなくなりなにも手につかなくなってしまいます。そんなことにならないように目を瞑ったほうが良いのでしょうか。
そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年05月31日

カルボレンといいます! 〜その832〜

脳が正常に働かない、そんなときがあります。普段できていることができなくなり、したいことすらわからなくなる。ただただぼーっとしているうちに時間が過ぎてゆき、何もしないうちに一日が終わる。そんなときには思うのです。「今日は体調が悪いのかな」
体調が悪いのなら理由があるはずなのです。風邪を引いたときや疲れているなど、さまざまな原因があることでしょう。理由が単純で分かりやすいのなら良いのです。
しかしどうしてこんなふうになっているのかが分からないときがあります。そんなときはどうすればいいのでしょうか。脳がただただ老化して考える力が衰えてしまったのかとも考えるものですが、実際にはもっと単純で簡単なことだったりもするのでしょう。最悪なことばかり考えてふさぎ込むよりも、最高のことを考えたほうが気持ちは楽になります。困った事態に陥ったとき、どうすれば改善するのか。ということを考えるのは当然のことで、そのままでいいと思う人はいないのですから。
考えつづけることができなければ私は私でいることができないと信じているからこそ、悩みが生じるのです。どんなときでも同じスペックでいられるほど人間が精密ではないからこそ、面白いと思おうと考えたカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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