2018年02月08日

カルボレンといいます! 〜その725〜

一杯の水の価値というのは大きく異なります。それはどんな水であるのか、どんな場所なのかによって変わることでしょう。水が貴重な場所、水が少ない場所。きれいな水、汚い水。ひと口に水といっても様々です。しかしわたしの住んでいる場所ではたくさんある川の水には特に注意を向けることはなくとだえることはないと思っているものであり、海外から取り寄せたおしゃれな水を、好きなだけ選んで飲むことができます。しかし場所によっては川の水も貴重なもので、水一滴も無駄にできないものであり、コップ一杯の水を求めて争いが起こることもあるのです。その価値観の相違はときとして大きな問題に発展することがあるのです。それを防ぐためには自分の知っていることだけが現実ではないということを知っていなければならないのです。
一つの物事をたくさんの方面から見ることで新たな発見をすることは知っています。その価値も大きく変動し、一定であることはないのでしょう。推測することはでき、楽しむこともできるはずなのです。自分の身の周りにあるものの新たな一面を探してみてはいかがでしょうか。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月07日

カルボレンといいます! 〜その724〜

好きなものはわたしに力をあたえてくれるような気がしますが、その力はいったいどこまでつづくのでしょうか。ついつい考えてしまいます。人の好きなもので何かをして欲しいとお願いすることがありますが、どこまでやってくれるのでしょうか。ついつい試してみたくなってしまいます。
好きなものがそもそも価値があるものであることがわかるときは、その金額によってやってくれることの変化があるため正確なことはわかりませんが、比較的入手しやすい好きなものによってその人に与える影響とでもいいましょうか。それがどんなものなのか。それが気になって仕方がないのです。それは人によって大きくことなり、何回、行ったかによっても変わることでしょう。試してみたい人に最大のお願いから少しずつ難易度を下げて、その上限を調べてみることにしたいと思っていますが、長い人生、どんなことがあるかわかりませんから、いろいろと試す余地がありそうですね。
少しいたずらのようになりますが、いたずらが好きなわたしはついつい心動かされてしまうのです。好きなものを聞いてみようと思った、そんなカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月06日

カルボレンといいます! 〜その723〜

機械が難しいことができるようになっていくことによって、その仕組みはだんだんと複雑になっていくのです。その複雑になっていく機構のすべてを把握することができたのならば、その人は専門家といわれ重宝されることでしょう。少しでも知っていれば頼られる存在になり、まったく知らないと笑われる。そんな世界なのかもしれません。
機械に限らずどんな物事も新しい機能をつけるたびにその機構は複雑になり、難しくなっていくのです。そのすべてを理解しようとしたとき、そのためにはかなりの時間を要することになり、それだけのために人生を捧げる人もいるほどです。さらに新しい機能をつけたいなんてことを考える余裕が生まれるのはさらに稀なことになるのです。そんな選ばれた存在になれたのなら、人のために使わなければならないことでしょう。
ただ、わたしは思うのです。便利で誰にでも組み立てることができる単純なものを人びとは求めているのではないかと。自分で修理をしながら長い時間を一緒に過ごせるものが好きな、そんなカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月05日

カルボレンといいます! 〜その722〜

時間がかかることをひたすらしているのは、ひとつの楽しみかもしれません。やることで得られることができるものは、簡単には手に入ることのないものなのですから。たとえそれが役に立たないものであったとしても、やることに意味があるのかもしれません。
時間がかかること、というのははたしてどんなものでしょうか。何が思いうかびますか。どんなことでも時間をかけることができます。ひとつの文字を丁寧に、完璧なバランスで書くことでひたすら時間をかけることは可能です。そうすることで出来上がるのは、綺麗な文字で書かれた文章になることでしょう。それもひとつの完成系であり、形として残るひとつの楽しみになるのではないでしょうか。時間をかけて書いた一文字は他人から見たら唯の一文字にすぎません。しかし自分にしてみれば完璧を追い求めた結果の美しい一文字になるのです。それは時間を代償にしただけの価値があるものになることでしょう。
それに価値があるかどうかは自分にしかわからないけれど、確かに存在するのです。そんなことを思うカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年02月04日

カルボレンといいます! 〜その721〜

人が欲しいだけ欲しいものを手にしてしまったら病んでしまうのかもしれません。何ごともほどほどが一番なんだと思う今日この頃のわたしです。好きな食べ物を好きなだけ食べたとき嫌になってしまうように、好きなことをずっとしているとそのうち飽きるように、ほどほどが一番だと思う日々なのです。試しに自分の好きな食べ物を目の前に山積みにしてみましょう、食べきれないほどの量を。さて、極限まで食べたとき、その食べ物を好きなままでいられるのでしょうか。もういらないと思うのではないでしょうか。
どんなものでも多すぎると毒になるのかもしれません。人によってその致死量ともいうべきものは異なりますが、かならずその量が決まっていることでしょう。
人はどれだけの量を食べることができるでしょうか。
人はどれだけの時間歌っていることができるでしょうか。
人はどれだけ動くことができるでしょうか。
そんなことを考えながら自分の限界を探究するのも楽しいかもしれませんね。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 17:57| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする