2018年07月07日

カルボレンといいます! 〜その868〜

気圧が低くてくらくらしますね。気圧が一気に下がると影響を感じるようになったのはいつからだったでしょうか。小さな頃はそんなことはなかったような気がします。子供のときはどんなことがあったとしても次の日には治っていることが多くありました。歳をとって治りが遅くなったように感じるようになったのはどうしてなのでしょうか。そんなことを考えてしまいます。小さな頃はきっと気がついていなかったのだろうか、なんてことを思います。知らなかっただけなのかもしれません。体が気がついてしまったのかもしれません。徐々に侵食されているのかもしれません。そんなことを思うとなんだか恐ろしいですね。なんでもないことが一大事にならないように工夫というものが必要になっていくのです。
それができるのはきっと自由に動けるときなのでしょう。若いうちに歳をとったときの準備を始めることは若いうちはめんどうに感じますがやった方がいいことなのかもしれません。そう考えると私は今、何をするべきなのだろうか。なんて健康を考えているカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:03| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月06日

カルボレンといいます! 〜その867〜

やりたいことがある時は一日があっという間に終わってしまう時、その一日が無駄だったと思う人はいないのでしょう。一日があっという間に終わるという時こそ、人にとって充実した日々と言えるのかもしれません。それが良いのか悪いのかは分かりませんが。
一日は長いほうが良いと思います。そのほうができる作業が増えるのですから。ですがそれは感覚的なものであり、実際にはしたい作業をしているときには一日は短く感じます。作業をしなければ一日は長く感じることでしょう。つまらない作業をしていたとしても時間は長く感じるようで短く感じ、つまらないことに一日を費やしてしまったと悔やむかもしれません。
だったら一日中やりたいことをやって過ごせたらいいなと思うのです。時間は限られていて自分は自分に好きなことをやれと言い続けることで今やっていることを肯定しているのです。自分がやっていることを自分自身がわからないのではすべてが無駄になってしまうのですから。
自分がやっている行動に自信をもってしっかりとしないといけないと思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 17:50| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月05日

カルボレンといいます! 〜その866〜

何かをするためにはそれなりの準備が必要になるものです。どれほどの準備をしたとしても完璧な準備なんてできませんが、それでもある程度の準備をしなければ不安で仕方がありません。なんの準備もせずに行動をする人もいますがそれも楽しいのかもしれません。さて、どのくらいの準備をするのが良いのでしょうか。それはわからないのでしょう。準備しようのないことをすれば準備せずにいくことになるのでしょう。未知というのはそれなりに興味深いものがあります。
だからといって準備をしないということは自分以外の人に迷惑をかける可能性があるわけで、できる限り準備をするのは他人に迷惑をかけないためということになるのでしょう。自分だったら何があっても構わない。ですが他人が嫌な思いをするのは嫌だ。そんなことを考えて準備をすることになるのでしょう。そんなことを考えてしまう私はきっと遠出に向いていないのかもしれません。
自分がどれだけ時間を楽しむことができるのか、ということに力を入れるのが準備の楽しみでしょう。そんなことを考えられる人は旅を楽しむことができるのではないでしょうか。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:12| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月04日

カルボレンといいます! 〜その865〜

足りないものというのは案外気がつかないものです。なにか違いを比べられるものがあれば無いものはすぐに見つかりますが、見比べることができるほどものは充実していないのです。自ら足りないものを探すことによってようやく見つけることができる足りないもの。それは見つけないほうが良かった事実かもしれませんが、それでも手に入れたいと探してみたくある不思議なものなのです。見つけてしまって後悔するまで、それが後悔する足りないものだということに気がつかないのです。もう間に合わないもの。手に入れたら実際には足りないものではなく必要のないものだった、なんてこともあるのですから。
人は足りないと思うものがあったら補充したいと思うものです。しかし補充すべきものというのは自分で判断しなければならないものであり、自分で必要なものを考えて調べなければならないというのは大変なことだと思います。自動的に教えてもらえる基礎とは異なる自分自身の世界に足りないものは一体なのでしょうか。そもそも基礎は一定のものであるのでしょうか。そもそも基礎がそれぞれに違う強度なのですから必要なものとは何なのでしょうか。考えなければなりません。
基礎を考えなければならないカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 20:36| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月03日

カルボレンといいます! 〜その864〜

笑うと楽しい気分になるかもしれません。ただただ笑い続けるというのも退屈ですが。ですがつらいときこそ、笑いたくないときこそ笑うべきなのです。そうすることで何かが変わるのかもしれません。笑ってはいけない状況で笑ってはいけませんが、一人でいるときくらいは笑いたいものです。悲しい顔、つまらなそうな顔なんてしていても何もいいことはありませんから。常日頃から笑っていれば、それなりにいいことがあるのかもしれません。笑う顔にはきっと幸せが引き寄せられてくると信じています。笑うことによって嫌なことを忘れられるのだとそう思いたいのです。笑うという動作を一つの鍵にしてしまえばいいのです。習慣です。規則です。法則です。なんでもいいのです。笑うことで誤魔化されることであるのなら誤魔化してしまえばいいのです。笑うことがおかしいなんてきっとないのですから。まぁ状況によりますけどね。
笑うという動作は一つ顔の筋肉を動かすということになります。緊張しているときや疲れているときにこそ体の一部を動かしてほぐしてあげるだけで少しだけ安らぐのではないでしょうか。笑うというのにもメリットはあるのですね。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:18| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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