2017年06月05日

カルボレンといいます! 〜その477〜

人は自分のこだわっていることを指摘されると怒るものです。もしも話していて、急に相手の態度が変わったと感じたら、なにか相手が気にしていたり、プライドを持っている何かに触れてしまったのかもしれません。そんなときは別の話にするか、しばらく沈黙することもいいかもしれませんね。
同じ話題でもその時々で、その人の気分次第でいくらでも変わります。だからこそ、人は一つひとつの言葉に、単語に気を遣わないといけません。相手にも感情があるのですから、どんな人であっても気を遣う必要があるのです。たとえ身近にいる人であったとしても、それは大切なことなのです。
そのためにはどうすればいいのでしょうか。相手がこだわっていることを話すと地雷。自分の好きなことを話しても地雷。地雷原を歩いているような状態では、安心して何も話すことができませんね。
そんなときに思うのは話題を持って理解をしつつ、相手の話をしっかりと聞いてあげることが大切なのかもしれません。話をぶつかり合いではいけない。話を軽く投げ合う程度で十分に話は伝わるのです。
ついつい話に割り込んでしまう私は、あまり人と話すのは得意ではないのでしょうね。そんなことを思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2017年06月04日

カルボレンといいます! 〜その476〜

普段からやっていることでさえもできない。そんな日もあります。とても落ち込むことでしょう。
集中することができない。それは嫌なことです。集中力を保つことが難しいのは、どうしようもないことです。その時々で考えることが変わってしまうのですから。
人は常に考えていることが変わります。変わっていくので自分でも戸惑うくらいにヤル気にならないことがあり、普段からやっていることさえもめんどうくさくなるのでしょうね。作業効率がおち、理由を探しても気まぐれということにしかなりません。
それでも、時間を割いて作業をしているのは変わりません。その時々に持っている集中力を使って毎日続けていくことによって、底が、底辺の力が、底力が上がっていくことでしょうね。
どんなことでも続けていくと、きっとある程度、見られるものになっていくことでしょう。どんなときでも続けることで、うまくいくことができるはずです。
だからこそ、何があったとしても、どんなことが起きたとしても、やる気がなかったとしても続けていくこと。それが大切なのでしょうね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年06月03日

カルボレンといいます! 〜その475〜

どんな家にでも古いものというのがあるものです。そのものに価値がある、ないに関係なくロマンを感じるのは、きっとそのものが過ごしてきた時代というものに思いを馳せるからなのでしょう。そのものが作られた時代の背景を想像して「あぁ、すごいな。そんな時代だったんだ」なんてことを思うことができる。しかしそれは調べてみるまでわからないことなのです。調べて初めてその時代にそんなことがあった。それは数年前でも数十年前でも思うもので、古いものたちはそんなことを考えるきっかけをくれるものなのです。家にある一番古いものはなんですか。それがあったころの生活を考えてみると、今がなって進化したのだろう。なんてことを思うことができるのかもしれません。
一つのものの歴史を見ていくとその進化というものがわかりやすいのです。おもちゃにしても昔の遊びをするよりも今の遊びのほうがしたいという人のほうが多いでしょう。それは時代に合わせて進化していった結果なのだと思います。
そんな中で昔からあるというのに今なお形を変えずに残っているものもあるというのも驚きで、身近にもたくさんあるのです。この目の前にあるものはいつからあるのか。調べてみるとおもしろいかもしれませんね。
そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年06月02日

カルボレンといいます! 〜その474〜

美味しいと感じるものはどんなものがあるでしょうか。私が好きな食べ物は何だっただろう。私はあまり美味しいと感じることがないのかもしれません。それはなぜかというと、どんなものでも美味しく感じるようになってしまったからなのでしょう。好きと大好きと普通しかなく、優劣がつかないのです。そうなると常に美味しいと感じているため、美味しいとはなんだったのか分からなくなるのです。
美味しいと感じることは幸せですが、その幸せを感じ続けると、それが幸せだと分からなくなるのかもしれません。幸せをずっと感じ続けていると、幸せだと感じなくなってしまうのです。だからこそ、いつも不幸せな人のほうが微かな幸せを感じることができ、幸福感は増すのかもしれませんね。幸せが欲しいと思っている人は、不幸な方向に自ら進んでいけばいいのかもしれません。幸せが欲しいといっている人には言ってあげましょう。自分から不幸に向かっていくといいよ、というふうに。
そう考えると私はいつも美味しいものを食べているから美味しいと感じないのかもしれません。一度舌をリセットして、感謝の気持ちを忘れないようにしないといけないのかもしれませんね。そんなことを思うカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ

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2017年06月01日

カルボレンといいます! 〜その473〜

耳をすましてみると聞こえてくる音が必ずあります。この世界には全くの無音という環境は存在しないのかもしれません。必ずなにか音が、耳に聞こえなかったとしても、なんらかの形で音が溢れているといってもいいのかもしれません。
聞こえている音だけが音ではないのです。人に聞こえなくても常にどこかから音は発しています。たとえば自分自身の骨がすれる音などは、自分も他人も気にしない音ですが、確かに音がしているのかもしれません。人がその場にいるというだけで、鼓動や息遣い。たしかに何かの音がしていて、それに気がついていないだけということになるのでしょう。
普段は聞こえない音が振動となって、波となって伝わってくるのを感じることでさえ難しいのですから、目視しようなんて難しいのですが想像してみると楽しいのかもしれません。小さな虫が歩くたびに地面との摩擦によって生じる音が、広がっていく波紋の形になって連なって現われる。色んな場所から現れる音の波によってこの部屋は埋めつくされては薄れていくのでしょう。
そんなことを考えながら何も音がしない部屋の中で、カタカタというパソコンの音だけを響かせているカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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