2018年03月30日

カルボレンといいます! 〜その774〜

人が優れているというのは誰が決めたのでしょうか。人は本当に他の生物よりも優れているのでしょうか。人が人より優れているというのはどのような基準なのでしょうか。すべてにおいて優れている人間なんているのでしょうか。どこか劣っている場所を探すというのはなんと醜いことでしょう。しかし人は少しでも自分の優れている部分を見つけて安心をしたいと願ってしまう傾向があるのです。ならばこそ、私は思うのです。人よりも優れている部分を探して驕るより、人よりも劣っている部分を探して謙虚になろうと、そんなことを思うのです。驕る。謙虚になろう。そう思っている時点で人は十分に他の存在を貶めているには違いありませんが。
人には犬のような嗅覚、猫のような俊敏さ、牛のような逞しさ、馬のような美しさを備えていません。しかしそうして比べることこそが浅ましいものなのではないでしょうか。人が人として存在するということが特別なことだとは思いません。人が人よりも優れているものだと考えることもできません。ですがきっと比べてしまうのでしょう。それが人なのですから。
人とは面白いと思ったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 23:59| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月29日

カルボレンといいます! 〜その773〜

せっかく良いものだというのに余計なことをすることで台無しにしてしまうことがあります。人はそれを蛇足といい、もったいないと思うのでしょう。そのままの美しさというものもあるのだと感じます。自然なままで、元からあったように。様々なことを思い、様々な工夫を行ってみたいと思って行った結果、初めに戻すことは良くあることです。何度も行ったり来たりして自分にとって最高の形を求めていったとき、結局初めに戻ったとき、人は満足とともに寂しい気分に浸ることになるのでしょう。それでもいいのです。良いものが手に入ったのですから。
余計なものというのはたくさんあるのです。過剰な演出は人を不快にさせるのです。それを好んでいるものもいますが私は苦手です。しかし場合によっては過剰なほどにつけ加えます。それらの好みは個性として受け入れられていることでしょう。
文章は過剰なほど鮮明になる、だから私は好きなのです。より鮮明になればなるほどそこには重みが生まれるのですから。だからこそ、過剰に付加されることによって意味が薄れてしまう。興味が逸れてしまう。そういうものが苦手になっていくのは必然だったのかもしれません。
シンプルかつ鮮明である。そんなことを求めているカルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年03月28日

カルボレンといいます! 〜その772〜

人はいつ現状を維持できなくなるのか知ることはできません。明日、自分のしたかったことができなくなってしまう可能性があるのです。だとしたら今、したいことをしなければならないのかもしれません。しかし、自分のしたいことをするためにはそれだけの余裕が必要になるのです。したいことをするために努力をし、そしてしたいことができなくなった人をたくさん見てきました。そして後悔をするのです。「あの時にしておけばよかった」と。
後悔をしたくないのです。しかし後悔がどんなことによって起こるのか、私にはわかりません。何をするべきだったなんてことをその時に知ることができたのなら、その人は人間ではないのでしょう。人は必ず後悔して、取り戻そうとする。その結果としてこの世界は構成されているのです。
人は生きているうちはどんどんと情報が入ってきます。それを見るたびに人はやってみたくなり羨ましくなることでしょう。しかしそれができる期間というのは限られています。気がついた時には出来なくなっていたことはたくさんあるのです。そんな思いをしたくないと思った人はどうすればいいのでしょうか。考える必要がある案件なのでしょう。
皆さんも後悔をしながら選択を繰り返しましょう、カルボレンでした(´っ・ω・)っ
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2018年03月27日

カルボレンといいます! 〜その771〜

魅力的なものを思いうかべてください。どんなものを思いうかべますか。私の場合は面白い本が思いうかぶのです。何度読んでも飽きない本。そんな本を追い求めている私にとって、その存在はとても魅力的に感じることでしょう。数回読むだけで飽きてしまうような本。一度くらいしか私は本を擦り切れるほど読んだことはありません。本が劣化する原因は、決してたくさん読んだからだけではなく、長い年月が経っているからなのでしょう。それでは本が可哀想ではありませんか。一度読まれたらそのまま放置されて再び日の目を見ることなく朽ち果てていく。そんな本は持っていても仕方がないと手放す必要があるのかもしれません。別の持ち主が大切に読んでくれることを期待して。魅力のあるものであったら、きっと気がついたときに読んでいるかもしれません。そんな本は幾つもあるものではないのだと思いますが……果たして私の本棚にはそうだと思っている本が一体何冊あるのでしょうか。ついつい考えて見るのですが、結局答えは出ないのでしょう。
魅力的というのは一体何なのか、考えているカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2018年03月26日

カルボレンといいます! 〜その770〜

ふと庭を見たのですが、そよ風に揺れる草木の音のなかで、淡く咲く花はこちらに微笑み、鳥のさえずりが聞こえてくるのです。月はまだ出ていませんが花鳥風月を感じました。美しい景色を見ながら春を感じることができることは幸せなのかもしれません。春を感じるにも様々なものがありますが、やはり季節を感じるのは自然からが良いのでしょう。人との関係で季節を感じることがあります。出会いの季節、別れの季節と言われる春ですが、そんなことで春を感じたくないと思ってしまうのは、人のコミュニティの中に住んでいるものとしてはダメなことなのかもしれませんが。
自然があるということを幸せに感じるのは季節を感じたときなのだと思います。空から降り注ぐ太陽の光に、爽やかな風、地面から感じる草木の息吹はなにを私に囁いているのでしょうか。思い切り息を吸い込んで春を体に取り込んで、夏が来るのを待つのでしょう。
ふと私はもう一度庭を見ます。鳥のさえずりは聞こえなくなっていました。同じ空間がない自然の儚さや美しさはなんともいいものですね。そんなことを考えながら春の日差しを浴びたかったカルボレンでした(´っ・ω・)っ
posted by さくら紅葉 at 18:36| Comment(0) | カルボレン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする