2017年10月02日

カルボレンといいます! 〜その595〜

感情というのはすぐに変わってしまうもの。そんなことで?というようなことで一喜一憂してしまいます。そんな自分が嫌になることもあるので、もはや機械のように感情を無くしたいなんてことも思ってしまうのです。感情さえなければ、周りの人は振り回されずに済むのですから。
感情の変化によって困るのは他人ばかりなのです。なので、常に一定であれば、この世界の中で安定して過ごすことができるのでしょう。人は自分に対してより正確な判断ができることでしょう。こうすればこうなる。ということが分かれば、変なことをして調子を窺う。なんてことはなくなっていくのです。
正確に支持に従う機械のように、こうしたらこんなふうになるということを少しでも理解できれば、人と人とは仲良くなることができるのかもしれません。つまり、自分の行動を一定にしたら、相手に理解されやすくなるということなのかもしれません。行動に一貫性を持たせること。それが大切なのかもしれませんね。
「どうせ、これが気に入るでしょう」「これは気に入らない」それが毎回、同じであれば、人は経験からより良いほうが分かっていきます。しかし、日によって変わるのが人なのですよね。人は大変だな、と思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年10月01日

カルボレンといいます! 〜その594〜

古いものは消えていくのですが、再び現れることがある。それは新しいものが頼りないというだけではなく、懐かしいという気持ちや、やっぱり使いやすかった。古いほうにもメリットがあるということに気がついたなど、さまざまな理由があるのでしょう。どんな理由であろうと、今も昔も形が変わらずそこにあるというのは、それが使いやすいということなのだと思います。斬新なものはいくらでも現れますが、使うのが難しいのなら消えていくのでしょうから。
でも思うのです。使い難くても、変に感じても、使っていくうちになれるのかもしれません。使っているうちに分かることというのはたくさんあります。良い点、悪い点、こうしたらよいという改善点。それらを考えていくうちに、自分にとって使いやすい形というのを発見することができるのでしょう。人によって考え方、体格が違うのですから。
大きさ、厚み、形状。さまざまなものが組み合わさって無数のパターンがあるのだとしたら、やっぱりオーダーメイドで自分に合ったものを作るといいのかもしれませんね。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年09月30日

カルボレンといいます! 〜その593〜

やり続けることができることは幸せなのかもしれません。ですがそんなことはほとんどの場合はできないのです。人はやり続けようとしても、何らかの理由で中断しなければならない事態になることもあるのでしょう。そんなときはテンションが下がるものです。ですが、再びやり直すこともできます。それまでモチベーションを維持し続けることができればいいのですが、それは可能なのでしょうか。
一度冷めた熱が再び熱くなるのには時間がかかるのかもしれません。ゆっくりと時間をかけて温めてきたものが一気に冷めていくと変性してしまい、二度と温まらないことだってあるのでしょう。なので私は提案します。時間のかかるものは時間があるときにやるべきです。熱中するためには時間が必要なのかもしれません。そして、一度温めたものをもう一度焚くことがないようにしたいものです。一度限りだからこそ、やり続けることができるということもあるのかもしれませんから。
ただ、本当にやり続けられるものは好きなもので、好きなものは何の制限もなく続けることができるのかもしれません。結局は好みなのでしょうか。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ

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2017年09月29日

カルボレンといいます! 〜その592〜

夢中になれるというのは素晴らしい、おかげで私の体はボロボロです。
やる気があることはいいのですが、体力が追い付いていないこともあります。
体力の量を考えないで、気持ちだけでやり続けることはできます。しかし、その後にまっているのはやり終えた作業と消耗した自身なのでしょう。限界を知っているからといって、その限界を見極めてやるというのは難しいものです。終わった後からくる疲労の波に、その次の日は押し流されて、立ち上がることさえも億劫になってしまうことでしょう。
私にはストッパーがないらしく、限界を超えて動いてしまうことがあるからこそ、自分の体を犠牲にして、何かを成し遂げるということが当然のようになってしまっているのです。それは問題であって、あまり褒められたものではないのかもしれませんが、一つの私の個性なのだと思います。それを活かしてできることはどんなことでしょうか。
誰にでも個性があるのです。それをどう活かすのか考えるのが大切なのではないでしょうか。そう納得させてボロボロの体を癒しているカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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2017年09月28日

カルボレンといいます! 〜その591〜

無駄なことを全力でするというのはいいことですね。やってもなんの得もないようなものをひたすらにやり続けるということは気分転換にいいものです。無駄なことでも一時の充実感や達成感を得ることができる。人生はそんなことばかりを繰り返していると思います。それが何かに活かされると思っていても、意外と活かされず、それを行ったことがあるという結果だけが残るのでしょう。それを誇りたくなる気持ちはよくわかりますね。それに対して達成感を得ているのですから。自己満足というものです。
自己満足は極めて楽しいものです。惹かれるものです。どうしてもくり返し、やってしまうものです。やるべきことなのです。やることで自分のことを維持することができるのです。そして一人の人間観が誕生するのかもしれません。
そうして得られるものがひとりひとりの個性であり、誰もが違うものに対して違う達成感を得ることができるのです。だからこそ、無駄なことを全力でやろう。そんなことを思ったカルボレンなのでした(´っ・ω・)っ
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